サンドウィッチマンが“故郷の仕事”をなにより優先する理由。マネージャーが明かす伊達・富澤の素顔「ふたりともウソがないんです」

文=釣木文恵 撮影=嶌村吉祥丸


今年そろって50歳を迎えるサンドウィッチマン。結成26年目にしてなお新ネタを作り、精力的にライブを開催する<現役お笑い芸人>であるふたりは今、激動のお笑いシーンの中でどんな使命と野望を抱いているのだろう。

本稿では、2024年2月20日(火)発売の『クイック・ジャパン』vol.170に掲載した80ページ以上にわたるサンドウィッチマン総力特集から、元芸人仲間であり『M-1』優勝後はマネージャーとしてふたりに付き添う林信亨へのインタビューを公開。彼らを最も近い距離で見てきた人物として、これまでの歩みを改めて振り返ってもらいつつ、伊達・富澤の素顔を明かしてもらった。

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出会ったころのふたりは、きっかけを待っていた

上京したばかりの伊達と富澤

──林さんがサンドウィッチマンと出会ったのはいつごろですか? 

 僕は昔、じゅんいちダビッドソンとコンビを組んでいて、ホリプロにいた時期があるんです。サンドはその前にホリプロに一時期所属して、辞めていた。そこではすれ違いだったんですが、その後「ホリプロを辞めた人たちで集まってライブをしよう」という流れで出会いました。僕はもうコンビを解散していたのでひとりで参加して。そこでふとっちょ☆カウボーイともうひとりと知り合ってトリオをやることになるんですが。 

──芸人仲間として仲よくなったわけですね。その後、林さんは芸人の道をあきらめたそうですが、差し支えなければその理由を教えてください。 

 2006年の『M-1グランプリ』2回戦でサンドと会場が一緒になって。サンドと一緒に帰る約束で会場に残っていたら、彼らは決勝でもやった『街頭インタビュー』のネタをやっていたんです。それがすごくおもしろくて、一緒にやってきたのにずいぶん差が開いたなと思ったんですよ。そして、こんなにおもしろい人たちでもまだ決勝に行けない世界では、ちょっと難しいかなと思って、たしかその年に辞めました。サンドはその日のトップ通過だったらしいとあとで聞いて、「やっぱりおもしろかったんだ」と再確認しましたね。 

──芸人を辞めたきっかけにもサンドウィッチマンが関わっていたんですね。林さんは芸人仲間としての彼らをどう見ていましたか? 

 知り合った当時からおもしろかったけど、芸人として本気でやっていたかというと、もしかしたらそうじゃなかったかもしれない。なんかね、ちょっとダラッとしたネタだったんです。それがテンポのいいネタになってどんどんおもしろくなった。それは2005年に出た『エンタの神様』(日本テレビ)がきっかけだと思います。2005年から『M-1』でも準決勝に行くようになった。 

──『エンタ』がサンドウィッチマンを変えた。 

 そうですね。出会ったころのふたりは、どうやったらテレビに出られるかもわからないし、何に対してがんばればいいのかもわからない状態だった。きっかけを待っている時期だったんじゃないかな。それは多くの芸人にいえることなのかもしれませんけど。それが、サンドの場合は『エンタ』に声をかけてもらって、どうすればいいのかを教えてもらって、一気に加速した感じはありました。 

何があっても仙台の仕事を優先する 

──サンドウィッチマンが優勝した2007年の『M-1グランプリ』は、どんな状況で見ていたんですか? 

 僕はもう別の仕事をしていて、名古屋に転勤になっていました。『M-1』の日も結婚式の司会の仕事をしていたんですよ。その日仕事が終わったタイミングで今も一緒にやっている作家から電話がかかってきて「サンドさんが敗者復活で選ばれました」と。「マジで!? そうなんや、がんばるように言うといて」と伝えて原付で帰っていたら、途中でまた電話があって「最終決戦の3組に残りました、『もう1本、同じクオリティのネタがあったら優勝するんちゃうか』みたいな雰囲気になってます!」と。「え、じゃあ、『ピザ屋』があるやんか」と答えて。ようやく家に着いてテレビをつけたらちょうど最終決戦のサンドの漫才が始まるところだったんですよ。もう会場がサンドの空気になってるな、と思いながら観てた。そしたら実際に優勝して、「こんなことってあるんやな」と。おもしろいとは思っていたけど、あまりにも急だったので、観ながらずっと不思議で仕方なかったです。 

──実況中継のように作家の方から電話が来るくらい、親密な仲だったんですね。 

 ずっと一緒にいた仲間だったので。2007年夏にはサンドのふたりが名古屋に営業に来たタイミングで一緒にひつまぶしを食べに行って、名古屋城を観光したりしましたよ(笑)。 

──そんなサンドウィッチマン側からマネージャーとして声をかけられたのは、彼らが『M-1』優勝後に忙しくなった時期だそうですね。 

 『M-1』を獲ってちょっとしてから、当時のサンドの事務所の社長から「マネージャーをやりませんか?」と連絡がありました。今も一緒にやっている岩橋というマネージャーとサンドが相談して声をかけてくれたらしいです。でも、僕は芸人を辞めるとき、マネージャーや作家は絶対にできないと思ってたんですよ。そんな近くで仕事をしたら、芸人への未練が残ってしまうから。そういう気持ちなしに心の底から応援する気持ちでやれるとしたら元相方のじゅんいちか、サンドだと思ってた。だから声をかけられて「サンドだったらがんばれるかな」と。 

──でも、マネージメントの経験はないわけですよね? 

 ど素人でした。でも、前に働いていた会社で仕事のやり方をひととおり教えてもらっていた。そこで教わったことがけっこう、役に立ったんです。 

──なるほど。でもあらゆる仕事の依頼に対して、すぐに判断しなくてはいけないマネージャーの仕事は難しくなかったですか? 

 マネージャーになるとき、サンドに「全部任せてほしい。やってみてもし嫌なことがあればちゃんと言ってほしい」と伝えたんです。マネージャーになってからずっと、基本的に来た仕事の判断は任せてもらっていました。だから即返事ができたんです。 

──迷うことはなかったですか? 

 うーん、あまりなかったですね。基本、仕事は早いもの順で受けた。それから、仙台の仕事には優先的にスケジュールを切った。たとえどんな大きな仕事が来ても仙台の仕事は優先する、それは覚悟ですよね。大きな仕事もけっこう断ってました。そうするうちにふたりの向き不向きもわかってきて、より判断がしやすくなっていきました。 

──仙台の仕事は大切にしていたんですね。 

 東京の仕事って、やっぱりどこか勝負なんです。伊達が「今月、なんか勝負するやつありましたっけ?」と聞いてきたりしましたよ。仙台も仕事ではあるんだけど、ちょっと息をつける。東京での勝負が続く中で、仙台でリセットできるんです。昔はよく、それでもやっぱり忙しいことは間違いないから、サンドのふたりから「仕事が多すぎる」とメールをもらったこともありました。特に富澤は収録などの前に準備していく人だから、準備が追いつかなくなるのが嫌だったんだと思います。それもだんだん慣れていってくれましたけど。 

──そういうやり方を繰り返して、いつの間にか今の場所に。 

 MCの依頼がどっと増えてきそうな雰囲気のときには、ふたりにメールで伝えました。「サンドと仕事をしたいと思っているテレビ局の人たちがたくさんいます。これからMCの仕事が増えていく可能性があります。そこは、やってほしいと思ってもらえているんだからがんばりましょう」と。普通、芸人ならMCなんて大喜びだけど、あのふたりは別に喜ぶ人ではないから、ここが踏ん張りどころというときはそうやって改めて伝えたりはしましたね。 

──そんなサンドさんが、いまやMCとしていくつも番組をされているんですね。 

 そうですねえ。実はサンドウィッチマンのMC歴って、まだそんなに長くないんですよね。民放の全国ネットの地上波レギュラー自体、ちょうど10年前の『バイキング』(フジテレビ)の「地引網クッキング」(2014年スタート)が初めてで。あれを観た人が「サンドってお昼も大丈夫なんだ」ということで『いきなり!黄金伝説。』(テレビ朝日)に声をかけてもらった。初MCは2016年の『帰れマンデー見っけ隊!!』(テレビ朝日)で、まだ8年弱くらいだと思います。そこから今につながっていくわけですけども。 

出会ったころから根本は変わらない 

──サンドウィッチマンの活動といえば、震災復興支援に取り組み続けていることも大きな特徴ですよね。それについてはどう見ていますか? 

 今振り返ってみて、サンドの振る舞いも、僕らの考えも、間違ってなかったんだなと思います。東日本大震災が起きた当時はたくさんの人に言われましたから、「おもしろくなくなるよ」って。でもふたりとも、特に伊達なんかは、仙台で仕事をするために東京で売れたみたいな人だし、宮城県出身で津波を目の当たりにしている。そんな人が何もしないほうがおかしいと思いました。全国のみんなに訴えかけるのは、サンドだからこそできる仕事だと思います。 

──震災のことを伝えながらおもしろくもあり続ける、それはサンドウィッチマンならではですよね。そんな活動もあって、好感度ナンバーワン芸人となっていることについては林さんはどう捉えていますか? 

 好感度がなかったら仕事も来ないから、あるに越したことはないと思います(笑)。ふたりとも、ウソがないんですよ。嫌なことは嫌という。やりたくないことは「やらない」と言う。正直者なんです。そこが広く受け入れられたんじゃないかと思います。もちろん経験を積んでスキルは上がったけど、出会ったころから根本はまったく変わってないです。 

──変わらないまま。 

 ただどこかのタイミングで、東京の番組の収録が終わったとき、伊達が「汗かかなくなりました」と言ったことがあったんです。それまでいつも、収録のたび緊張で汗びしょびしょだった。富澤も、がんばりすぎず自然体で収録に臨むようになってから楽になったのかもしれません。 

──単独ライブで全国を回ることについては、マネージャーとしてどう思っていますか? 

 伊達が「ライブで全国を回ってお客さんをいっぱいにするためにテレビに出てる」とよく言っていますが僕も同じで、テレビはライブに来てもらうために出ているという考え方なんですよね。ライブはサンドの本業ですから。 

──ライブをとても大切にされている。その姿勢はグレープカンパニーの後輩のみなさんにも伝わるものですか? 

 後輩たちがそこまで密接にサンドと接しているわけではないので、直接的な影響があるかどうかはわかりません。でも、東京ホテイソンにしてもティモンディにしても、自分たちがある程度世に出始めて、改めてサンドのすごさを感じているみたいですね。誰でもあんなふうになれるわけじゃないんだとか、あの忙しさの中で、新しいネタを作って単独ライブを毎年やることのすごさとか、そういうことを感じてくれている若手はいると思います。 

──これからサンドさんと叶えたい野望はありますか? 

 サンドのふたりも言っていましたが、若い世代の芸人たちのために何かをしなきゃいけないなと思います。自分たちが何かをやりたいというよりは、その先に何かを残していくお手伝いができたらいいな、と。 

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釣木文恵

(つるき・ふみえ)ライター。名古屋出身。演劇、お笑いなどを中心にインタビューやレビューを執筆。

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