(3)「不思議」を与えるアオサギであり、ねじくれ男でありたい
3つ目の仮説は、子供たちのために不思議な物語を生み出す「へんなじじい」に徹したから、だ。
1997年に月刊誌『こどものとも』(福音館書店)の記事にある、自分の子や甥姪を含めた10人くらいの子供たちと宮崎駿ひとりで、沖縄の竹富島に行ったときのエピソードが興味深い。
僕は、その晩寝る前にこわい話をしてやりました。そうすると、『お便所に行けなくなる!』なんて子どもたちは大騒ぎでした。こっちものってきて、『イヒヒヒヒ……』なんて言いながら、エスカレートするんです。そうするとますます盛り上がってきて。ああいう楽しみは、大人になってからはないですね。
(中略)
「僕はこれからもそういう『へんなじじい』として生きていこうと思います。子どもたちは、世界の不思議を知ろうとして勝手に自分の冒険をするものだし、それが一番いい。だから、子どもたちの周りには、もっともっとわけがわからない不思議なものがたくさんあったほうがいいんですよ。
(中略)
子ども時代に得た何かというのは、どういう形で残るのかは定かではないけれど、その子にとって決定的な影響力を持っているものだと思います。そこには、大人の一年間に値するような五分間があるんだと思いますよ。
また『失われたものたちの本』では、主人公が奇怪で暗いおとぎ話を読むのが大好きだったおかげで、異界の中で起こるさまざまな「心が壊れてもおかしくないほど」の恐怖体験を好奇心で乗り越える姿が描かれている。
「どの物語にも必ず何か、学ぶべきものがあるはず」と作戦を練り、昔話をヒントに危機的状況を脱する。物語は「現実からの逃げ道」、虚構であると同時に、私たちの住む現実と並ぶように存在しながらいろんな影響を及ぼしてくれる「また別の現実でもある」、と説明される。
宮崎駿が「2015年に救われた」というのもうなずける、「不思議な物語」の必要性を痛感する作品だ。
アオサギ男のモデルとおぼしき「ねじくれ男」も異界への案内人であるだけでなく、「奇怪で暗いおとぎ話」を自ら作って現実世界に潜ませる、物語の創造主としても描かれる。そうなると、眞人を不敵に誘うアオサギ男は、子供たちを不思議な物語で怖がらせようとする宮崎駿自身にも思えてくる。
摩訶不思議な物語から観客が持ち帰る「石」の意味とは?
最後に、今作のラストで眞人が現実世界に持ち帰る「石」について触れたい。アオサギ男は、眞人が「下の世界」のことを覚えているのはその石のせいだけど、あまり力が残っていないからきっとすぐ忘れるさ、と笑って姿を消す。
宮崎駿が「石」について触れた、次のような発言がある。
人間が貴いと思う“無私”とか“純粋”というこころの動きは、そこらにある石ころにもあるものです。最も人間的なのは“権謀”や“術策”とかで、これは自然にないものです。
『清流』清流出版/1997年8月号より
私たちが、貴いと思うものはみな自然界から手に入れたものではないでしょうか。雲間から光が差し込むと“荘厳”な感じを抱き、雲の向こうに何かがいるのではないかと思う。人間の力を超えた何かがある。それは不条理で圧倒的な力を持つ存在なんです。例えば洪水を引き起こす大蛇や竜であったり、深い森には巨大なトラがいるとか……。
観客は劇場のスクリーンから理不尽だらけの現実に舞い戻っても、不思議な物語で感じた「人間の力を超えた何か」や、無私や純粋の心を忘れなければ、宮崎駿がアニメーター人生を通してこの世のいろんな秘密をのぞき見たように、この世界を生きるに値する何かを手に入れられるかもしれない。そんなふうに背中を押された気がした。
私は宮崎駿のいたずら心に連帯し、できるだけ多くの子供たちにこの不思議な物語を体験してほしいと思う。本人はひたすらに楽しんでいたかもしれないが、82歳にしてこの作品を届けてくれた宮崎駿には、心からおつかれさま、と、ありがとう、を言いたい。
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