なぜ『もののけ姫』サンの仮面は半分になる?その攻撃性とトランス効果を考察
スタジオジブリの長編アニメーション作品『もののけ姫』(1997年公開)が、7月21日(金)の『金曜ロードショー』(日本テレビ)で放送される。
もののけ姫ことサンといえば、赤くて丸い仮面が印象的だろう。初登場は、牛で米を運んでいるタタラ場の者たちに襲いかかるシーン。呪術的でなんだか不気味な仮面を着け、山犬にまたがる姿はまさに“物の怪(もののけ)”。観る者に強いインパクトを与える。
そんな仮面が、物語の後半で半分になるのを覚えているだろうか。
タタラ場を襲っていたときは顔全体を覆うタイプだったが、乙事主(おっことぬし)率いる猪たちといざ人間たちとの最終決戦へ向かう際、鼻から上半分しか覆わない“半仮面”になる。
かつて人間たちから森に捨てられ、山犬の娘として育てられたサン。モロの君に「お前にはあの若者と生きる道もあるのだが」とアシタカとの共生を示唆されても「人間は嫌い!」と言い放ち、猪たちと一緒にエボシたちと戦う。なのに、どうしてわざわざ半仮面にして自分の“人間の顔”の半分をさらけ出したのだろう。
仮面の考古学や宮崎駿の発言から考えたい。
顔全体を覆うサンの仮面の由来
物語の冒頭からサンが着けていた仮面は、赤くて丸い土台に、3つの丸い穴で目と口が表現された土製の面だ。おでこあたりに眉から鼻筋を表したような白いラインも入っている。イメージしているのは人面のようだが、とりあえずなんだか呪術的で不気味だ。
宮崎駿は、絵コンテやイメージボードで、サンの仮面を「土面」と呼んでいる。
土面とは一般的に、縄文時代の後晩期(約4000~2500年前)に多く出土された、粘土を人面の形にこねて焼き上げた面を指す。日本の考古学者・春成秀爾によると、2002年までに見つかった縄文時代の土面は60個弱と少なく、すべて人面をモデルにしているという。
また宮崎駿は本作の企画書「荒ぶる神々と人間の戦い」で、サンのことを「少女は類似を探すなら縄文期のある種の土偶に似ていなくもない」と説明している。
これらの事実から、サンの仮面のモチーフは「縄文人」であり、山犬の娘でありながら“自然と人間の共生”の立場を示している、と私は考察している。
そしてその土面は、タタラ場を襲った際に復讐に燃える女性らの石火矢を受けて、一度割れてしまう。
怒りの表情がうかがえる、物語終盤での仮面
アシタカに助けられ、森へ帰り、猪神(ししがみ)たちがやってきてエボシたちと最終決戦をするのでいざ加勢する、というときに再び土面を被るが、半仮面になっているのだ。
見比べてみると、ただ半分になったわけではない。両目が細くつり上がって、怒りの表情がうかがえる。前の土面の丸い目のうしろを走っていた、アーモンド型の孔もない。
半仮面の初登場カットの絵コンテで、宮崎駿は「戦衣で表情はよめない」と書き殴っている。どうも戦闘用に別で用意してあったか、新たに作った土面のようだ。
丸い目に口をすぼめたような前の仮面よりも、こっちの目つきのほうが人間たちへの敵意が剥き出し、威嚇にもつながりそうなので、最終決戦で着けるとしたら圧倒的に後者の半仮面のほうがいいだろう。
宮崎駿が剥き出しにしたサン自身の攻撃性
ここをあえて半仮面にしたところに、「サンの歯を観客に見せたい」宮崎駿の意図、アニメーションの手法を感じる。
「歯をつけるとぐっと攻撃的になるんです」
「攻撃的というかはっきりしてくる」
これは『風立ちぬ』の制作ドキュメンタリーにて、アニメーターが描いた堀越二郎の表情を宮崎駿が手直ししたときに放った言葉だ(『プロフェッショナル 仕事の流儀 特別編 映画監督 宮崎駿の仕事 「風立ちぬ」 1000日の記録』より)。
試作機の飛行実験に立ち会った二郎が、墜落した試作機の部品を拾う黒川に「今日自分は深い感銘を受けました」「目の前に果てしない道が開けたような気がします」と言うカットで、二郎が日本の航空技術の未熟さを目の当たりにした場面になる。
スタッフが描いた二郎は呆然とした表情だった。しかし宮崎駿としては失敗を受けて飛行機作りにさらなる闘志を燃やす姿を見せたかったようで、「こういう顔じゃないんだよ」と表現を大胆に変えていく。眉、目つきもキリッとさせつつ、口には見えていなかった歯を描き加えて、先ほどの言葉を発したのだった。
あらゆる動物が威嚇の際に歯をむき出しにし、世界各国でキバが攻撃の意匠となっているのは説明するまでもない。宮崎駿は人間のキャラクターを描く上でも、観る者に攻撃性を感じてもらうため、意図的に歯を見せてきたのだ。
サンの半仮面の場合、目元は縄文人を象徴する土面で覆って”自然と人間の共生”の立場を残しながらも、口元と歯をむき出しにすることで、私利私欲で山から生き物を追い出す人間への怒りを、サンの真意として強調したかったのではないだろうか。
最終決戦が始まったあたりで、サンが地雷火を受けながら、火の粉の中でこちらに向かって大きく口を開け咆哮するカットが一瞬描かれる。怒りに満ち満ちており、人面が半分見えていようが、まさに悪鬼というべきだろう。
なお、過去の宮崎駿作品だけでなく、2023年7月14日に公開されたばかりの最新作『君たちはどう生きるか』も、歯によって怖さや凶暴性が高まるシーンがいっぱいなので、注目して観ると楽しい。
半仮面がもたらすトランス効果
最後に、フルマスクにはない半仮面が持つ機能性と、ひとつの不思議な効果について触れたい。
16世紀中頃に北イタリアで生まれた喜劇『コンメディア・デッラルテ』で半仮面を用いるようになったのは、野外劇場で遠くにいる観客にも役者の声が仮面でこもらずしっかり届くようにするためだったという。さらに口のまわりをメイクで強調し、役者の口元の表情、演技が遠くから見てもわかるようにした。ちなみにそのメイクが現代のピエロのルーツになっている。
サンは猪の群れに合流した際、「モロ一族も共に戦う! 乙事主(おっことぬし)様はどこか!?」と呼びかける。半仮面だと機能的に大声が届きやすく戦いで連携が取りやすいだろう。アニメーション的にも、口元がしっかり動いて発言しているのがわかりやすい。
また、狂言師の野村万之丞は自著『心を映す仮面たちの世界』(桧書店/1996年)の中で、半仮面には装着者の表情を引っ張る性質があることを、身をもって披露している。
『コンメディア・デッラルテ』の代表的キャラクターである道化・アルレッキーノの半仮面を着けて、仮面の表情にまったく関係のない動き、顔をしてしまうと、まるで仮面に拒否されたように面が浮いてしまうのだ。
フルマスクは仮面の内側でどんな顔をしても許されるが、半仮面はその表情に合わせて自らの顔を作っていかなければならず、準じて「装着者の感情がマスクに支配される」性質が色濃い。
この性質を利用して、現代のインプロ(即興演劇)の世界では、ハーフマスクを着けてその面が示す人格に演じ手が変身してしまう、「トランスマスク」と呼ばれる手法が実在する。半仮面の表情に自分の口と声を合わせていくうちに催眠効果がかかり、本当に別の人格に成り変わってしまうものだ。
『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』でリンクがいろいろな仮面を着け替えて変身するような話で、仮面のトランス効果は私も最初はそこまで信じていなかったが、2014年に来日した即興演劇家のSTEVE JARANDによるトランスマスクワークショップに参加した際、考えを改めた。彼がハーフマスクを着けると、とても演技とは思えないレベルでふざけた言動を取るようになり、「ムジュラの仮面は本当にあったんだ」と完全に信じるようになった。
サンにあの怒りと憎しみの半仮面を装着してしまっては、笑うことは許されない。アシタカというよい人間がいることを知ってしまっても、人間たちを殲滅する。そんな怒りの人格に強制的になり切るための、覚悟のハーフマスクだったのではないか。半仮面の実例を振り返ると、そんな気がしてくる。
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参考文献
『プロフェッショナル 仕事の流儀 特別編 映画監督 宮崎駿の仕事 「風立ちぬ」 1000日の記録』NHKエンタープライズ/2014年
『心を映す仮面たちの世界』野村万之丞/桧書店/1996年
『仮面―そのパワーとメッセージ』佐原真 監修/勝又洋子 編集/里文出版/2002年
『世界の仮面文化事典』吉田憲司、国立民族学博物館/丸善出版/2022年
『ジ・アート・オブ もののけ姫(ジブリTHE ARTシリーズ)』徳間書店/1997年
『スタジオジブリ絵コンテ全集11 もののけ姫』徳間書店/2002年