毒親との生活、はじめての恋…“わたし”がAVデビューするまでに見た世界(戸田真琴『そっちにいかないで』/第1回)

2023.5.24

いつからだろう。わたしの自我が生まれるずっと前からだろうか。この家にはママがつくった設定があった。

“ママはかわいくてやさしい。パパは臭くてうるさくてわがまま。姉のゆきはやさしくていい子で、友達がいっぱいいる人気者で、ママ似。勉強はできないけれど、心がきれい。妹のモモはいつもわがままでマイペースで、内気で友達が少ない。勉強ができるけれど、音痴。パパ似で、臭い”。

日中のほとんどの時間、子育てにまつわるほとんどすべての責任を負っていたママによって、それらのキャラクター設定は繰り返し説かれ、わたしと姉は幼少期、ほとんどそれを鵜吞みにしていた。

実際の行動や状況がどうであれ、ママというフィルターを通ると同時に、そのキャラクター設定に搦め取られていく。姉が中学でいじめにあって不登校になったときもママは姉がクラスの人気者であることを疑いはしなかったし、自分自身に対しても、いくら怒鳴っても不機嫌になって数時間黙りこくっても、少し時間を置くとまた、ママはやさしくてかわいいでしょう? と曇りない顔でわたしたちこどもに尋ねるのであった。

それゆえわたしの日常は、「わがままでマイペース」らしい自分を一秒ごとに罰することが前提だった。

学校の下校時に毎日ゴミ拾いをしたり、クラスで誰かがいじめられていると噂を聞くたびに加害者を呼び出し話し合いをしようとしたり、その結果、加害者に「もうやめます」と言わせては、翌日また同じことが起こりまた問い詰める、といった行動を繰り返したり、教室中の生徒に無視されている担任教師に休み時間のたびに話しかけに行ったり、とにかく見えている範囲に理不尽な思いをしている人がいたらその人の味方をするために走った。そんなことがなんの足しにもならないということにだって薄々気がついていたけれど、なにもせずにいるよりは、少しは心持ちがましだった。思い出せないくらい昔から、寝ても覚めても、学校にいても家にいても、なにかに追われるような感覚が抜けず、なにをやってもだめだった。せめてなにかのために、せめて「やさしい」ことをしていないと、生きていること自体が許されないかのような強迫観念にかられていた。くたくたに疲れ果てていた。

休日に出かけたショッピングモールで流れていた曲を好きだと思い、そっとCDを売り場で眺めているのをママに見つかると、

「ママと音楽の趣味合わないのね。そんなへんなの聴くようになったの?」

と言われるので、すかさず、

「ぜんぜん好きじゃないよ。ママと趣味いっしょ!」

と目尻を下げ、口角を上げて元気に聞こえる声色で答える。ママとパパが喧嘩して家中が殺伐としているときは、わざとコップをひっくり返してみんなで片付ける流れにしたり、テーブルの上に載った冷凍からあげを大袈裟においしがって食べたりした。それらのことをすべて、悲しいとか、居心地が悪いとか、そういったネガティブな感情を自覚するよりも前に行動に移していた。そして行動に移してしまったあとは、もう「悲しい」になろうとした気持ちは、白砂糖のように溶けてなくなっているのだった。

〝自分がどうしたいか〞を自分に問うことを、自分自身に許していなかった。常に、どうすれば「いい人」「わがままじゃない人」になれるのかだけを考えていた。それが芯を食う意味での「いい人」ではなく、とにかく今この目の前にいる人にとっての意味に過ぎないこともわかっていた。それでも、四六時中夢の中でさえ、いい人になるにはどうするべきなのか、自分に問い続けていた。いい人。やさしい人。わがままじゃなくて、マイペースでもなくて、他人のために生きられる人。目につく限り、思いつく限りを実行しても、今日もママは「わがままだもんね」と笑っている。笑われているのだから、足りないということなのだ。

もっと、自分をすり潰さないといけない。その意識だけがいつも、わたしを突き動かしていた。

中学で配られた進路調査票の第一希望に大真面目に「いい人」と書いた15歳の夏、学校に行けないままの姉が二階の“こども部屋”から激しい音を立てるのを、ママとふたりで聴いていた。

勉強机にハサミを突き立て、何度も、何度も振り下ろす音だった。

ママは恐れと嘲笑の混じったような歪んだ笑みで、

「あの音なんなんだろう? 怖いんだけど」

と言いながらわたしの腕をさすっていた。

ずいぶん前からのことで、これがなんなのかわからないということは、ママはしばらくこども部屋に入っていないということなのだろう。

わたしは、半笑いで「こわーい」と言って腕にまとわりつくママをやさしく剝がして階段をのぼった。コンコン、とこども部屋のドアをノックする。「ゆきちゃん&モモちゃん」と書かれた木製の、薄いピンクのプレートが揺れる。家の形になっていて、右端にハローキティが片手を上げて立っている。しばらく待つが、返事がない。

音を立てないようになるべくなめらかな動きでドアノブをひねり、ドアを引いた。部屋の奥、わたしの勉強机と背中合わせになるように置かれた机の前に姉は座り、ハサミを強く握って机に突き立てていた。伸ばした前髪がかかって見えない顔のかわりに、薄いグレーのショートパンツから伸びたふとももに何重にも赤い線が引かれているのが見える。わたしより白く肉付きの良いももが切り込まれ、引き裂かれた谷から赤黒い血が流れ落ちる。血は、液体と固体のどちらでもあるように質量をぷるんとたたえている。ふくらはぎのほうまで流れていく途中でグミのように固まって止まってしまった赤い血が、こちらを見ている。

小学六年生ではじめて生理が来たとき、赤黒いゼリーのようなものがトイレットペーパーについて、この感じならばママに言わなくてもごまかしきれるかもしれない、と目論んだことを思い出す。

体育館で女子生徒だけを集めて行われた生理についての学習会でもらった、ロリエの薄緑色のナプキンを机の鍵つきの引き出しから出し、股をよく拭いてからショーツにつけてみた。ママに言わずとも、なんども拭きながらこのひとつのナプキンで乗り切ろうと思った。結局その日の夜のうちに、ショーツと布団に赤黒いシミをつくってばれてしまい、怒られたうえ、赤飯を炊くかどうか問われて青ざめたのだった。ああ血が水じゃなくて、すばやく固まるぬるっとしたへんな液体で助かると思ったのに、あんなに赤いからばれてしまう。透明だったらよかったし、アルコールランプの中身みたいに、こぼしたらすぐに揮発していってしまえばよかった。

お姉ちゃん、そればれるよ。ばれて屈辱的な思いをするのは目に見えている。切るなら、机でも、皮膚でもなく、見えないものを切らないといけないんだ。わたしは隣にあるパパの寝室兼洗濯物干し部屋のようなところから、黒地でゆったりとした、ユニクロ製のスウェットパンツを持ってきて、姉に渡した。そして、そっと一階に降りて、ゴン様が約三分の一を占めている和室のタンスの上から救急箱を下ろし、消毒液と、ガーゼと、包帯を取って服の内側に丸めて隠した。リビングのママが、

「なにしてんのー?」

と、呼びかけてくる。

ちょっと、ささくれ切れちゃって、絆創膏! と答えて、そそくさと二階に戻る。階段をのぼるとき、視界がぐにゃりと歪んだ。頭から血の気が引いて、一度、足を止める。階段の途中にあるすりガラスの窓から、曇りの日の白い光がわずかに見える、窓辺に置かれた木製のネコの置物が目を細くして笑っている。姉のふとももに描かれた何本もの赤い線がフラッシュバックする。服の中に隠したマキロンがおなかあたりを冷やしている。ふいに鼻がつんと、頭の奥のほうから緑色の電流が先端に向かってかけめぐったようにしびれる、涙がこぼれ落ちてくる。ああ、泣くなんてなににもならないことにエネルギーを使うのって最悪、こんな暇があるならたったひとつでも、姉がふとももを切らなくてよくなるような魔法の言葉を探してくればいいのに。と、本気で思う、思えば思うほど涙がこぼれて、鼻をすする音がリビングで寝転がるママに聞こえないよう、つま先立ちでそっと、階段をのぼる。

姉はさっきの姿勢のままハサミに体重をかけていた。わたしは両目と鼻の穴から液体を絶え間なく流しながら、おなかから消毒液とガーゼと包帯を取り出し、姉のふとももを消毒していく。涙か鼻水かどちらもなのか、生ぬるい透明の液体がふとももに落ちると同時に姉がわたしの顔に気がつき、きっと真っ黒だったであろう瞳に少しだけ光を入れ、動揺する。

「なんでモモちゃんが泣くの?」

と、言っている途中でだんだんと、姉もようやく、泣き顔になる。

わたしは、うう、ぐうう、と動物のような声で嗚咽しながら、消毒を続ける。流れ落ちたまま固まっている血を、ガーゼで押さえ、ぽろりと取れるまで軽くゆすった。

「お姉ちゃんが痛いとわたしも痛いから」

出てきたのはそんなありふれた言葉で、その意味を姉はわかっていない顔をしていたし、消毒なんかしたってべつに傷の痛みは変わらない、結局は自分で治すしかないのだということもふたりともがわかっていて、治ってほしいと望んでいるのはわたしだけで、姉はこれが治りきる前にきっとまた新しい傷をつくるだろう。脳神経がちぎれそうだと思った。言葉を探しすぎて、見つからなくて苛立って生まれてこのかたずっと見つからない言葉に苛立っているわたしは、この家ではわがままでマイペースな妹で、ここでぼろぼろになっている、たった二年早く生まれただけのこどもは、やさしくて美人で人気者の、クラスの男の子たちからモテモテの姉だった。リビングからは韓国ドラマの大袈裟なサウンドトラックが漏れ聞こえてくる。机に突き刺さったままのハサミが、ぐらりと揺れて、倒れる。

「はるか」

ようやく訪れた真夜中に、わたしは“彼女”に話しかける。

彼女はわたしの世界に漂う、いちばん古い友達だった。張り裂けそうな夜ごとに、見上げる夜空とわたしのちょうど中間地点に現れて、ただ話を聞いた。

※戸田真琴『そっちにいかないで』第一章より一部を抜粋


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『そっちにいかないで』刊行記念サイン本お渡し会

日時:2023年6月10日(土)18:30~
場所:ジュンク堂書店池袋本店4階 MJブックカフェ
詳細:丸善ジュンク堂書店オンラインイベント

What is a Makolin!? 『そっちにいかないで』出版記念SPトーク&サイン会

日時:2023年6月15日(木)18:00開場/19:00開始
場所:LOFT9 Shibuya/オンライン配信あり
詳細:LOFT PROJECT SCHEDULE

大阪でも著者トーク&サイン会決定

日時:2023年6月18日(日)12:00開場/13:00開始
場所:大阪・梅田 Lateral
公式サイト:梅田 Lateral


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戸田真琴

(とだ・まこと)2016年よりアダルト女優として活動開始、2023年1月に引退。女優業と平行して趣味の映画鑑賞をベースにコラム等を執筆しており、エッセイ集『あなたの孤独は美しい』(竹書房)、『人を心から愛したことがないのだと気づいてしまっても』(KADOKAWA)を出版。2022年公開の映画『永遠が..

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