「おじさんを転がせない女性社員」の顛末。“あの日”に戻ってやり直したいこと
文筆家・ひらりさが執筆した、自身の実体験をもとに女を取り巻くラベルを見つめ直すエッセイ『それでも女をやっていく』(ワニブックス)が2023年2月に発売された。
本書の発売を記念して、同書に掲載されているエッセイ「代わりの女」を特別に公開する。
エッセイ「代わりの女」前編はこちら
去ったのは彼女だった
予感は的中した。彼女も別に「おじさんを転がせる」人材ではなかったのだ。
もちろん、それが悪いわけではない。年相応の新卒社員だったというだけだ。しかし彼はそうは考えなかった。自分の見立てと彼女のキャラクターが異なることを彼女のせいにして、わたしの代わりに彼女が責め立てられる日々が始まった。
できるだけのことはした。彼女と上司の間のメールコミュニケーションをなんとなくサポートしたり、自分が切られたことのあるレッドカードを先回りして教えたり、かなり厳しい叱責を受けていた日には同僚として話を聞いて慰めたり。しかしわたしだってまだ新卒2年目のサルである。「おじさんを転がす」という彼の要求にかなうよう、彼女を助けることは難しかった。彼女がわたしのように編集者ではなく、彼の秘書に近いポジションとして採用されていたのも、彼女の立場が難しい一因だった。人生で一番怒鳴り声を聞いた3ヶ月だった。自分を怒る声は心が閉じるにつれてやがて無音になっていくが、他人を怒る声は鼓膜に反響してどんどん大きくなるのだと学んだ。前者は被害者でいられるが、後者を止められないわたしは加害者の一人に思えた。
それでも彼女は頑張っていた。どんなに怒られて心が折れそうになっても毎朝会社に来ていたし、頬の赤みは引いていったが笑顔の基本装備は欠かさなかった。職場の同僚たちとも仲良くしていた。3ヶ月が終わりに近づいていた頃、オフィスはだんだん静かになっていった。今週さえやり過ごせば彼女は正社員になる。その週にはわたしの24歳の誕生日があった。日本酒にハマり日本酒の連載を担当していたわたしのために、彼女はもう一人の同僚女性といっしょに、桜色の酒器セットをプレゼントしてくれた。この酒器でいつか三人で宅飲みしたいねなんて話をした数日後、会社に行ったら、彼女の荷物がすべてなくなっていた。まだ試用期間は終了していない。
同僚の誰もが戸惑う中で一人が彼に事情を聞くと、正社員登用は難しいと判断して、その日の朝にそれを告げたのだと彼は言った。それにしたって、誰にも挨拶の機会も与えずに? あなたが雑な採用で、安定した企業に勤めていた彼女に前職をやめさせたのに? 普段はノイズキャンセリングイヤフォンとポーカーフェイスで職場の罵声を遮断していた若手エンジニアも、このときばかりは苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。同僚みんなで近所の居酒屋に行って、お通夜みたいに押し黙ってビールを飲んだ。
「面談」のカレンダーについて、その後わたしと彼は一言も話さなかった。先輩が、あれ俺がこっそり消しておいたから、と教えてくれた。
わたしは労働を続けた。本当はあのときバチバチにがなり倒して、相手の頭でもはたいてあんなオフィスに二度と出社しなければよかったのだと思う。自分の立場が守られて安堵するような余裕はなかった。ただただ虚脱していた。いっしょに仕事をしたい著者と、続けたい連載のことを考えるので、頭がいっぱいだった。
その後「人間の転がし力はあるがそれ以外のビジネススキルが皆無の人」が採用され、その人に「わたしが過去の経験を生かした長編小説を書いたら芥川賞とれること間違いなしなのであなたに担当編集をしてほしい」と言われたり、その人が編集者ではないのに勝手に連載のオファーを出してしまった著者への謝罪や尻拭いに追われたりするうち、時が過ぎた。わたしは狭い職場にとらわれている自分、人を見る目が信頼できない人の人事権と評価に生活を制限されている自分が、やっとばかばかしく思えてきた。
編集業そのもので悩むのはいい。しかし今ここで仕事をしていると、それができない。何もうまくいかなくてあとから「ほら見ろ」と言われるかもしれないけど、転職してみよう。自分が立ち上げた連載に書籍化のオファーが来て、外部の編集者と仕事をするうちに「もしかして仕事ができるからって、世の中あんなふうに怒る人ばかりではないのでは」「というかわたしもそこまで仕事ができないわけではないのでは」「女性編集=おじさん転がしスキルというのもおかしいのでは?」と当たり前すぎることに気づけるようになったのもある。それでも同じ職種への転職は何か禍根を残す気がして怖くて、編集者ではないことがやりたくなったので、と言って退職した。彼女が去ってから、3年半経った冬のことだった。
その後も会社とはたまにやりとりがあった。メディアと元同僚のことは応援していたから、愛想よく従順な皮を被ったまま、年をとってしまった。
あの日やめればよかった
彼女とはその後一度だけ会った。
わたしがコミックマーケットで同人誌を頒布するときに、ちょうど近所で用事があったらしく、立ち寄ってくれたのだ。品川シーサイドのイオンで買ったという爆弾おにぎりなる商品をニコニコしながら渡してくれた。「もうお昼食べちゃった時間だし夜は打ち上げだからこんな巨大なおにぎりは食べられないよ」とツッコミそうになったが、「ありがとう」とだけ言った。出会ったとき口元にチョコクロをつけていた彼女の彼女らしさが、損なわれていない気がして嬉しかった。4歳年をとった彼女の顔はサイゼリヤの天使というには大人びていたが、頬はふたたび林檎色に輝いていた。
わたしたちはお互いを交換可能な存在のように仕組む人間によって、出会わされてしまった。あのときの傷痕は、まだわたしの中にある。彼女の中にもあるだろう。
ケースは違えどこういう出会いをしている女たちは世の中にたくさんいると思う。仕事に必要という建前のもと、「女」としての機能や見た目を比較される存在。「女らしさ」を難なく武器にできているような女を見ると、近づくのをためらってしまう自分がいる。それは彼女が好きで身につけたものではないかもしれないし、彼女なりの屈託や意思を持って引き受けているものかもしれないと、今ではわかる。彼女には彼女の歴史がある。あるいは「引き受ける」という意識すらなく、内面化させられたものの可能性すらある。
仕事そのものに集中できる立場を得るために、女は自身が職場で期待される「女らしさ」にこたえなければならないことが多い。ほんと馬鹿らしい。でも馬鹿らしいと言えるようになったのは、「おじさんを転がす」ことを女子に求める男性の下での苦役に耐えて身につけた蓄積で仕事をしているわたしだ。本来ならば金銭に還元できるものがこの身に何一つなかったときのわたしで、言ってやりたかった。
あの子やあの人がセクハラやパワハラで心を壊し休職したり退職したりせざるを得なかった会社の話を、わたしはいくつか知っている。しかしあの子やあの人が立ち去った会社にあとから転職し、のびのびと能力を発揮している女性たちのことも知っている。そうした人から仕事を依頼されたときに、あの子やあの人の顔が浮かんだりもする。どうしたらいいんだろう。
そうわたしが考えなければならない状況を作った人々に腹が立つが、わたしも過去にそういう状況の一人であったことに思い至ってしまう。やっぱり、あの日彼女といっしょにオフィスを去っておけばよかっただろうか。あの頃に戻りたい気持ちは1ミリもないが、あの日だけはやり直したい、と今でも思う。
※『それでも女をやっていく』「代わりの女」より
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【幻冬舎大学 5月13日オンライン開催】鈴木綾×ひらりさ「それでも日本で生きていく? 日本脱出とフェミニズムの可能性」
日本で女性に強いられる生きづらさの原因を見つめ直し、自分が納得できる人生をいかに模索するかを、ふたりが自身の経験と共に語るトークイベント。
<日時>
2023年5月13日(土)19時~21時<参加料>
◆幻冬舎plusでチケットご購入の場合 オンライン参加/アーカイブ視聴:1,650円(税込)
◆Peatixでチケットご購入の場合 オンライン参加/アーカイブ視聴:1,850円(税込)関連リンク
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『それでも女をやっていく』(ワニブックス)
著者:ひらりさ
定価:1,540円(税込)
発売日:2023年2月6日女らしさへの抵抗、外見コンプレックス、恋愛のこじらせ、BLに逃避した日々、セクハラ・パワハラに耐えた経験、フェミニズムとの出会い──。実体験をもとに女を取り巻くラベルを見つめ直す渾身のエッセイ!
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