『るろうに剣心』で描かれた「正義」
「勝てば官軍、負ければ賊軍」という言葉がある。道理がどうであれ、結果的に勝ったほうが正義であり、負けたほうが不義とされることを意味する。西郷隆盛のものといわれるこの言葉は、西郷率いる明治新政府軍と旧徳川幕府軍との間で行われた戊辰戦争の際に生まれた。この戦いに勝利した明治新政府軍は官軍となり、それまで官軍だった幕府は賊軍に下ることになる。正義が歴史を作るのではなく、勝者が歴史を刻んでいくことを顕著に表した出来事だ。
戊辰戦争は遠い過去の話のようだが、我々の生きる現代もまた、そうして紡がれた勝者の歴史の延長線上にある。そして、「官軍」が必ずしも正しい道を選ぶとは限らない。実際、京都編エピローグの中で、「剣心の想いとは裏腹に この数年後 『弱肉強食』の時代は 『富国強兵』政策の下 明治政府自らの手で 実践されていくことになり 日本の『迷走』は やがて『暴走』に すり変わっていく──…」という不吉なモノローグが刻まれている。
「正義」は唯一無二のものではなく、その時々によってかたちを変えていくものだ。新しい時代のためにと佐幕派の要人を殺し尽くしてきた緋村抜刀斎は、のちに「不殺(ころさず)」を掲げ、逆刃刀を振るう流浪人となる。その目で時代の変わり目を見てきた上、自身の中にも人斬りと不殺の矛盾があることを、剣心はよく知っている。だからこそ、剣心が戦う理由は正義のためでも勝利のためでもなく、あくまでも「弱い人を守るため」に尽きる。
本編最終話である「新たなる世代へ」の中に、剣心の考えを表す象徴的なエピソードがある。
15歳を迎えた弥彦を呼び出した剣心は、一本勝負を申し出る。打ち勝ったのは剣心だったが、元服祝いとして逆刃刀を弥彦に譲る。「俺負けたじゃねェか」と驚く弥彦に、剣心は「最初から勝ち負けを見るつもりはござらん」と答える。逆刃刀は勝者に与えられる誉れではなく、あくまでも弱いものを守るために振るわれる剣なのだ。
さらにその信念が新世代に受け継がれたエピソードとして、『るろうに剣心 完全版 22』に収録されている特別編(4)「弥彦の逆刃刀」がある。弥彦が越後の道場に出稽古に赴くと、脱獄した大逆犯が人質を取って立てこもっていた。犯人に対しては刀を抜かず、言葉で説得してのけた弥彦だが、戦意を喪失した犯人をさらに撃ち殺そうとする警官に対して逆刃刀を振るう。弥彦に受け継がれた逆刃刀は変わらず、表面的な正義のためではなく、強者がその力で弱者をねじ伏せようとするときにその刃を見せる。
世界は勧善懲悪ではなく、現実はもっとずっと複雑だ
現代、今まさに自分たちが、そしてこの国が辿っている道のりもまた、その正否の判断が下せるようになるのはきっと何十年も先のことだ。そしてさらに数十年後には、その判断もまた覆されることがあるかもしれない。それくらい、正義というのは万華鏡のように常に移り変わっていく、実体のないものだ。
世界が勧善懲悪の物語のようにシンプルであれば、生きることはもっと簡単だったかもしれない。けれど現実はもっとずっと複雑だ。悪役の志々雄の中にも正義があったように、一人ひとりの中にそれぞれの正義があり、正義同士が相反することも珍しくはない。
闇雲に勝ったほうに正しさを求め、思考停止しようとする宗次郎に剣心は、真実の答えは勝負ではなく自分の人生の中から見出せ、と突き放す。それを聞いた宗次郎がこぼす「簡単に答えを出させてくれないなんて 志々雄さんよりずっと厳しいや…」というセリフにこそ、この作品の真髄が宿っている。
『るろうに剣心』は答えを与えてくれる物語ではない。自分の真実を見つけるために旅立った宗次郎が、その果てにどんな答えを得たかは描かれないように、答えは自分で見出すしかないことを、そっと示している。
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