ドラマ『絶メシロード』は、僕たちにまだ見ぬ後悔をさせてくれる
あなたは目の前の食べ物を、「もう二度と食べられないかもしれない」と覚悟して食べたことはあるだろうか。思い出の店の味を、大切な人が作ってくれた料理の味を、本当に大切にしたことがあるだろうか。あなたの好きなその味は、もしかしたら明日にはもう食べられないかもしれない。
ライター早川大輝の連載「忘れたくない僕のテレビドラマ記録ノート」、今回は現在放送中のドラマ『絶メシロード』(テレビ東京)で描かれる数々の「絶メシ」と自身の体験から、我々に訪れるかもしれない後悔について考える。「絶メシ」と知るから絶品なのか、それとも――。
いつか絶えてしまうかもしれない“絶メシ”をめぐる旅
食べ物に、儚さを感じたことがあるだろうかと、ふと考える。記憶をたどる限り覚えはなく、この連載の元となった僕のメモにも、未だかつてそんな記述は残されていない。
僕は食べることが大好きだ。とりわけ、餃子に関しては都内のさまざまな店を食べ歩くうえ、仕事にかこつけて地方の餃子を食べに行くこともある。そんなときに何を考えているかと言うと、ただただ「うわあ、おいしそう……」だ。食べるときに考えているのは「おいしい」くらいで、その他に考えることなんて「次にどのタイミングで何を食べようか」くらいだと思う。それくらい、日々、何も考えずに食事をしている。
それが、ドラマ『絶メシロード』を観てから、「食べ物の儚さ」について考えてしまった。
『絶メシロード』は、都内でサラリーマンをしている須田民生(濱津隆之)が、ひとりの時間を満喫するために週末1泊2日の小さな旅をする様子を描くドラマ。主人公は、旅の中でさまざまな絶品グルメと出会い、夢中になっていく。だが、その絶品グルメの数々は、いつか絶滅してしまうかもしれない“絶メシ”だ。店それぞれに事情はあるだろうが、個人飲食店が抱える「後継者不足」を描く作品でもあるのだ。
このドラマの象徴的なシーンは、第1話の山梨の老舗個人飲食店・たかちゃんうどんでの一場面。店の名物である吉田うどんの味に感動した主人公は、店主に声をかける。
「あの……おかみさん。この味、ずっと守りつづけてくださいね」
それに対する店主の反応はえらくさっぱりしたものだ。
「いや……それはムリムリ。そんなつもりもないし」
「えっ?」
「誰も継いじゃくれないでしょ。こんな大変な思いしてるわりには稼ぎは少ないし。私の代で終わりじゃないの?」
あまりにもあっけらかんと言い放たれた言葉に、呆気にとられる主人公。このあと「このうどん、ずっと食べられるわけじゃないんだ」と、手元に残っていたうどんを勢いよく完食するのだけど、この食べっぷりが良い。本当においしそうに食べる。