Netflix配信中の『アンという名の少女』は、原作『赤毛のアン』に現代的解釈を大胆に加えた作品、NHKで先週放送された第5話「宝物は私の中に」(Netflix版4話)では、アンの友人ルビーに災厄が降りかかる。放送中にはツイッタートレンドに上がってくるほどの魅力を、ゲーム作家・米光一成が読み解く。
アンは学校に行ってない
NHK総合で10月18日(日)夜11時から第6話。「スペリング対決」「いちご水事件」「マシューはじめてのお買い物」と盛りだくさんの回だ。
さて、その前に第5話をおさらいしよう。
学校に行かなくなったアン。屋根の上でひとり、コーデリアの歌を歌う。ジョージー・パイに命じられて屋根の棟を歩いて落ちてしまうシーン(原作『赤毛のアン』23章)を連想してしまった。
その後、「パイの焼き加減を見るの忘れないで」とマリラから言いつけられたアンが呟いている歌は『マザーグース』。
北原白秋の訳では、こういう詩だ。
てんとうむし、てんとうむし、
『まざあ・ぐうす』北原白秋訳
はよう家(うち)へかえれ、
おまえの家(うち)ゃ火事だ。
みんな子供がやけしんだ。
むすめのアンヌがたったひとり、
プッジングのなべの下に
つんぐりむんぐりもぐった。
家が火事になり、アンヌが鍋の下にもぐり込んで助かったという内容。
アンヌというのは、原文では、”And that’s little Anne”。アンだ。
マザーグースのこの歌が象徴するように展開していくのだ。
空想にふけったアンがパイを焦がして火事になりそうになっているのを見つけて、マリラはアンに学校へ行くように厳しく言い渡す。
アンは、居場所がないから行きたくないと泣きながら主張する。だが、マリラは聞く耳を持たない。
追い詰められたアンは、イマジナリーフレンドのケティ・モーリスと話し始める。
ケティ・モーリスは、原作では第8章に登場する。
〈ガラスにうつる自分を本棚の中に住んでいる女の子だという事にしていたの。ケイティ・モーリスといって、とても仲良しだったわ。何時間もおしゃべりしたのよ、特に日曜日に。〉(『赤毛のアン』第14章・松本侑子訳/文春文庫)と、つらい時期の慰めとして語られる。
そのケティ・モーリスを再び呼び起こさないと耐えられないほどアンは追い詰められてしまった。
第5話は、アンが「学ぶことによって自分の道を開く」ことの大切さに気づき、自ら学校に行こうと決意するまで(つまりケティとさよならするまで)を描いた。
モンゴメリとサスカチュワン
「思ったほど悪くなくて楽しかったわ」
翌日、帰ってきたアンの言葉に、マリラは安堵する(安堵した表情を見られないように背を向けるマリラ!)。
だが、視聴者は、アンがまたケティに話しかけるのを見て、察するのだ。
アンは学校に行ってない。
翌朝、「今日はサスカチュワン地区を勉強するの」と家にある本を開いて、アンは嘘をつく。
カナダ中西部のサスカチュワンは、『赤毛のアン』の著者モンゴメリが、少しの間だけ暮らした場所だ。
モンゴメリは、キャベンディッシュで祖父母に育てられた。
このキャベンディッシュが、『赤毛のアン』の舞台であるアヴォンリーのモデルである。
15歳になったモンゴメリは、再婚した父親の住むサスカチュワン州へ行くのだが、再婚した継母と折り合わず、1年ほどしか一緒に暮らせなかった。
その「サスカチュワン」だ。
ドラマ版、こういう小ネタもがんがん入れ込んでくる。
アンは、サスカチュワンに「行ってみたい」とマリラに語り学校へ向かう。と見せかけて、森の中の秘密基地(原作の「アイドルワイルド」か)に行っているのだった。
ちなみに、森の秘密基地で「先住民みたいに名前に意味を持たせるのも悪くないわね。わたしが先住民ならどんな名前かしら」とアンがひとりで空想しているのは、シーズン3につながる伏線だ。
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