14歳の少女の羽ばたきに、胸が締めつけられる。韓国映画『はちどり』に響く叫び「彼女はけっして歪んでなどいない」(石野理子)

文=石野理子 編集=菅原史稀


2023年よりソロ活動を開始し、同年8月にバンド・Aooo(アウー)を結成した石野理子。連載「石野理子のシネマ基地」では、かねてより大の映画好きを明かしている彼女が、新旧問わずあらゆる作品について綴る。

第23回は『はちどり』。1994年の韓国・ソウルを舞台に、14歳の少女ウニの日常を描いた本作は、ベルリン国際映画祭をはじめ、世界各国の映画祭で高い評価を受けた。主演を務めたのは、のちに『今、私たちの学校は…』『シスターズ』などで注目を集めるパク・ジフ。少女のささやかな喜びや痛みを繊細に映し出しながら、急速な経済成長を遂げた韓国社会のひずみや、当時の人々を取り巻く価値観を浮かび上がらせていく。

昨日まで当たり前だった日常が、明日も続くとは限らない。社会のあり方や価値観が大きく揺らぐ今、私たちの心はどこへつなぎ留めればいいのだろうか。不確かさの中で、人は何に支えられどう生きていくのか、30年以上前の韓国を舞台にした少女の物語を通して考える。

『はちどり』あらすじ
1994年、韓国・ソウル。14歳のウニは、厳格な父親や暴力的な兄との家庭生活、学校での息苦しい人間関係に居場所を見い出せずにいた。友人や恋人との関係にも揺れながら、孤独な日々を過ごすウニ。そんな彼女の前に、漢文塾の教師ヨンジが現れる。自分をひとりの人間として尊重してくれるヨンジとの出会いを通じて、ウニの世界は少しずつ変わり始める。しかし、ある日ソウルを襲った大きな出来事が、彼女の日常にも影を落とすことになる。

※本稿には、作品の内容および結末・物語の核心が含まれています。未鑑賞の方はご注意ください。

「私が可哀想だから親切にしてくれるのかな」

好きな俳優さんを挙げたらきっとキリがないのだが、私が烏滸(おこ)がましくも活躍を楽しみにしている韓国の俳優さんがいる。パク・ジフさんだ。彼女が出ている作品はつい気になって観てしまう(ちなみに、彼女が所属しているBHエンターテインメントは魅力的な俳優さんばかりだ)。今回は、そんな彼女に惹きつけられたきっかけの作品をぜひ紹介したい。

キム・ボラ監督の初長編作品『はちどり』だ。パク・ジフさんが自身と近い年齢の役を演じられたこともあり、等身大の魅力が画面からあふれ出ている。

舞台は、1994年のソウル。パク・ジフさん演じる14歳のウニが生きている世界は、息が詰まりそうなほど閉塞感に満ちている。経済成長の只中にあり、発展しようとする勢いがある一方で、民主化を経てもなお、かつての権威主義が色濃く残っている時代。それはどこか、一瞬で社会や景色が変わってしまいそうな、脆さと儚さが張りついているようだった。

ウニは学校で勉強が苦手で変わった子と見下され、「あんな子は大学にも行けず、将来は家政婦になる」と陰口を叩かれている。厳しい校風のもと、担任が生徒同士で告発をさせ合い、「ソウル大、ソウル大」とひとつの価値観を強要してくる毎日。家に帰っても、そこには家父長制の権化のような父親が鎮座し、女性を見下す乱暴な言葉が飛び交う。母は父のプライドを傷つけないよう顔色をうかがい、ウニ自身も兄から暴力を受けることが当たり前の毎日だった。ウニは社会の構造の影の部分に置かれ、居場所を見失っているようだった。

劇中で印象的なのは、何度も出てくる家族での食事の場面だ。空間は父親に支配され、食卓に独特な緊張感が漂う。

思えば、幼少期や思春期に囲んだ食卓の雰囲気というのは、その後の人生や人間関係の土台に、恐ろしいほど大きな影響を及ぼすのではないだろうか。本来なら安らぐはずの場所で味わった、誰かの顔色をうかがわなくてはならない緊張感や冷たい沈黙は、身体に染みついて、大人になってからも他人の眼差しに対する怯えやあきらめとして残り続けてしまうように思える。

私の経験を振り返ってみても、うれしいことやつらいことは、いつだって食卓の上で共有されていた気がするのだ。食事という営みは、単に生命を維持するためだけの手段ではなく、その場に流れる空気や交わされた感情がそのまま身体に刻み込まれていく行為なのだと、劇中の食卓を眺めながら改めて思い知らされた。

この映画の何より凄まじいところは、そうした環境で生きる14歳の多感な時期特有の心理状態の体現があまりにも巧みな点だ。

不条理なことが多い日常の中で、ウニは誰かとのつながりを求めようとする。たとえば、恋人であるジワンとの関係だ。ジワンとふたりのペースで関係を育んでいると、彼の母親から「この子が餅屋の子? 帰るわよ」と蔑まれ、あっけなく見捨てられる。また、後輩のユリには「ただ好きなんです」と真っ直ぐな好意を寄せられ、つながりを持ち始める。

ふたりで行ったカラオケでのウニの選曲、ウォン・ジュンヒの「愛はガラスのようなもの」は最高だった。歌い出しの「本当に知りませんでした。愛とはガラスのようなもの。美しく光り輝いているけど壊れやすいということを」という歌詞。訥々(とつとつ)と、けれど心からの言葉をそこに置いていくように歌うウニの姿に、胸がキュンとした。けれど、季節が変われば「それは前の学期の話です」と、ユリもまた冷たく通り過ぎていってしまう。同じ塾に通い親友だったジスクからも「ウニは時々、自分勝手」と言われ、手術跡のガーゼに対し「生理用ナプキンみたい」と揶揄(からか)われてしまう。

見放される恐怖と、消えない寂しさ。誰かが純粋な優しさを向けてくれても、「私がかわいそうだから親切にしてくれるのかな」と裏を勘ぐってしまうウニの姿に共感した。

私も不安定で多感だった時期は「誰も自分の本心なんて知らないし、知ろうともしていない」と心は荒み、すべてを諦めていた。だからこそ、人の優しさを素直に信じきれないウニの気持ちが、リアルに響いてきたのだ。

タイトルに込められた希望

そんなウニにとって、唯一の光であり、救いとなったのが、塾のヨンジ先生だった。先生は、ひとりの人間として同じ目線で、対等に向き合ってくれた。

「知っている人の中で、本心までわかる相手は何人いるだろうか」
「誰かに殴られたら立ち向かうのよ。黙ってないで」

寡黙で包容力のある先生の言葉と存在感は、家庭や学校から抑圧されていたウニの心を確かにつなぎ止めていたのだ。

先生の言葉に背中を押され、言われっ放しに我慢の限界を迎えたウニは「私は性格悪くない!」と悲痛な胸の内を叫ぶ。まわりから理不尽に傷つけられながらも自分を必死に守ろうとした姿を見て、私は、彼女はけっして歪んでなどいないと思った。

物語の終盤、ソンス大橋の崩落という大事故が起きる。そして、そんな衝撃のさなか、ヨンジ先生から「世界は不思議で美しい」という手紙が届く。

この事故をきっかけに、ウニは自分への愛情すら感じられなかった両親や兄の、見たこともない表情や知らなかった一面に気づかされていく。このままずっと続いていくのだろうと思っていた日常が、予期せぬ出来事に動かされ、ウニの中で家族の印象が静かに変わっていく。

悲劇的な事故によって家の中の価値観や雰囲気が揺らぎ、さらに先生からの手紙によって、ウニの心には少しだけ前向きな兆しが射したようだった。

タイトルの「はちどり」は、かなり小さな鳥でありながら、1秒間に約80回も激しく羽ばたき、蜜を求めて飛び続ける。

格差や家父長制の重圧、家族からの暴力に押しつぶされそうになりながらも、愛や幸せという名の蜜を求め、ひたむきに次の花へと飛んでいく姿は、まさにウニそのものだった。振り回され、傷つき、それでも自分自身を好きになるために、輝くために生きる14歳の少女の羽ばたきに、私はかつての自分を見つけ、胸がぎゅっと締めつけられた。

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石野理子

(いしの・りこ)2000年10月29日生まれ。広島県出身。2014年、アイドルグループ・アイドルネッサンスのメンバーとして活動スタート。2018年、同グループ解散後、バンド・赤い公園のボーカリストに就任。2021年に解散。2023年よりソロ活動を開始し、8月に、バンド・Aooo(アウー)を結成。また..