ウォーターサーバー はざまにて<金井球「マインド・オーバー・マッサージ」>

文=金井 球 撮影=飯田エリカ 編集=山本大樹


雑居ビルにひっそり店を構えるマッサージ屋さん、顔も名も知らぬ誰かに体を委ね、徐々に意識が遠くなっていくその一瞬、金井球の脳内に広がる美しきワンダーランド。

第4回は真夏のある日、マッサージ中のまどろみの末にウォーターサーバーに思いを馳せる。

金井球

ウォーターサーバー はざまにて

今夜のわたしはめずらしく準備万端である。マッサージは5時間前から予約していた。遠くで用事を済ませたあと、時間に余裕があったので銭湯に行った。体を温めた状態でのマッサージがいちばん。これは、スーパー銭湯にマッサージ屋が併設されていることからもよくわかる。

今日こそ完ぺきな状態で施術を受けるのだ……と意気込んでいたのは2時間ほど前のことか。このきらめきの計画がどこで狂ったのかはわからないが、おそらくお湯に浸かりすぎたのだろう。走っている。銭湯で買ったポカリスエットを、急いでいたせいでひと口も飲まず忘れてきてしまったことは気がかりだが、そんなことは言っていられないので、走ってマッサージ屋へ向かっている。

息を荒くしながら4階にたどり着くと、そこにはウォーターサーバーがあった。ウォーターサーバーを見るたびにウォーターサーバーが家にある生活を妄想するが、ウォーターサーバーを契約する人間が揶揄(やゆ)されているのをよく見る気がするので、契約には踏み込めずにいる。冷たい水を飲むと安心する。

いつでもマッサージに行きたい。

ぎりぎり捩(ね)じ込んだ、もみほぐし30分、ヘッドマッサージ30分の60分コース。夜のマッサージ店は静か。昼よりも、さらに一段階静かなのである。店内BGMのオルゴールが際立つなか、施術着に着替え、うつ伏せになった。湯に浸かり、走ってきたこともあってか、静かな夜だからか、眠気に襲われる。せっかくのマッサージなのに。強烈な眠気に抗ってはみるものの、拮抗している。勝てる気はしないが負けたくはないという一心。泥沼の決戦である。

結果、わたしは揉まれている感覚を捉えたまま、奇妙な夢を見た。夢とうつつのちょうどはざまに到達したのだ。

坂の途中にある、大きな公民館の前にわたしと親友は立っている。自分が夢を見ていることに気がついている。そして、現実世界では体を揉まれているということにも気がついている。坂があり、下れば海があることを知っている。

なんだか、わたしはこの夢に覚えがあった。この夢というか、光景に。体が熱い。じっとり汗をかいているから、夏なのだろう。曇っている。どこかで見た景色だなあと思うのは、本当にどこかで見たのか、いまこの夢の中だけの設定なのか、ということを夢の中のわたしは考えている。海はあまりにも夢らしいが、この公民館は、やけに現実的なフォルムをしている。ここに昔来たことがあるのは、夢を外から見ているわたしにもわかる。どこだ。千葉だ。たぶん千葉だ。

そういえば、近ごろ夏になると、寝ているときに見る夢が現実的なラインを越えないことが増えた。日中見ている景色となんら変わらないのだ。それはツイッター(X)のタイムラインの夢、もずくをすする夢、誰かと居酒屋にいる夢、そこで聞いた話や得た情報が、わたしの頭が作り出したものなのか、現実で聞いた本当の話なのか、だんだんよくわからなくなっている。たいていは日中に、考えごとをしているときそれに気がつく。

わたしが知っているこれは、夢の話なのではないか、と考えると恐ろしくなり、できるかぎり調べようとするが出てこない。それを、いまはじめて、はざまで夢を見ながら知覚している。とても貴重な瞬間なのではないだろうか。逃すまい逃すまいと強く思ってしまうほど、現実世界に意識が引き戻されていきそうで、わたしはなにも考えず、ただ身を委ねている。せめて、この夢の真相をつかむまでは、はざまを彷徨(さまよ)っていたい。

マッサージ屋でのふしぎなまどろみは今日も唐突に終わる。

まだわたしはなににもたどり着けていないのに起き上がる。さらさらの施術着から、すこし汗ばんだ服へと着替える。やはりとても喉が渇いている。個室を出ると目の前にウォーターサーバーがある。水を飲んでもいいか訊ねようとしたけど、なんか聞けないままエレベーターに乗ってしまった。

視界の先、閉まりゆくドアの隙間にぴたりと挟まったマッサージ師が深いお辞儀をしている。ウォーターサーバーはやっぱり高いのだろうか。本体は無料でもらえるらしいと聞いたことがある。水本体がとても高いのか。水ってそんなに高くできるのか。いつでも冷たかったりあったかい水を飲めるなんてなににも変えがたい幸せなのではないだろうか。夢の機械に人類はまだ怯えているというだけなのではないだろうか。

いやでも待てよ、ウォーターサーバーの営業マンが100%の善意でわたしにウォーターサーバーを勧める絵面は想像できない。というか、そんな素晴らしいものなのなら、だれにも教えたくないかもしれない。ウォーターサーバーの営業がすべてのイオンで行われている、ということは、きっとなにか絶対に裏があるはずだから、よし、わたしはウォーターサーバー契約しないことにしよう。

なんて考えているとエレベーターが開く。いつも結局こういう結論になる。今夜の風は夢みたい。わたしはふらふらとコンビニエンスストアを目指す。ポカリを買ってひと口飲む。ぷはあと言いたくなる。ポカリの染み渡ったわたしのからだがふわふわとすこし遠回りで家へ帰る。

金井球

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金井 球

金井 球(かない・きゅう)2001年9月の新宿に生まれる。寿司屋のバイトを「賄いに寿司が出ない」という理由で辞めたこともあったが、最近は執筆やラジオ、演技、デザインなどをがんばっている。