「⽯ころ」だった私が、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』に窮地を救われた理由。“悪夢のような映画”が気づかせたこと(石野理子)

文=石野理子 編集=菅原史稀


2023年よりソロ活動を開始し、同年8月にバンド・Aooo(アウー)を結成した石野理子。かねてより大の映画好きを明かしている彼女が、新旧問わずあらゆる作品について綴る連載「石野理子のシネマ基地」がこのたびスタート!

第1回のテーマに石野が選んだのは『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000年)。映画史に残る名画であると同時に、思わず目をそむけたくなるほどの悲惨な物語展開で「人には薦めにくい」「もう二度と観たくない」との声も挙がる本作に、彼女は“心を救われた”というが──その理由とは。

『ダンサー・イン・ザ・ダーク』あらすじ
チェコからアメリカにやってきたセルマ(演:ビョーク)は女手ひとつで息子を育てながら、工場で働いている。彼女には誰にも負えない悲しい秘密があった。病のために視力を失いつつあり、手術を受けない限り息子も同じ運命をたどるのだ。愛する息子に手術を受けさせたいと懸命に働くセルマ。しかしある日、大事な手術代が盗まれ、運命は思いもかけないフィナーレへ彼女を導いていく……。

※本稿には、作品の内容および結末・物語の核心が含まれています。未鑑賞の方はご注意ください

“心に光が射した”映画体験

「あのころはこの⼈、⽯ころにでもなりたいのかと思いました」

3年前出会った⼈に、最近になって⾔われた⾔葉です。振り返ってみると、そのころの私は、人生の中でも(今のところ)一番の空白期間を過ごしているときで、相⼿に⼼を開いてないというよりは、そもそも私⾃⾝が⼼⾝ともに⼲からびていて、⽯ころのように感情も動かせず⾔葉どおり無の状態でした。

「思いもよらぬアクシデントに遭ったり、紆余曲折あったりするのが⼈⽣だ」今となれば、開き直ったようにそう考えられますが、当時の私は、⾃分の中にある(今思えば⼿放してよかったと思える)尊厳を守るためがんじがらめになって疲弊していました。

そんな当時の私が、画面にのめり込むように鑑賞して「あぁ……救われた……」と思った映画が、ラース・フォン・トリアー監督の『ダンサー・イン・ザ・ダーク』です。初めて観終わったあとの、⼼に光が射したような感動と衝撃は、その後の映画ライフにおいてもめったにないものでした。

ミュージカルの海で泳ぐ主人公・セルマ

この映画は、ミュージカル映画としても知られていますが、一般的な作品とは異なり、ミュージカル場⾯が主⼈公の空想で展開される造りになっています。そうしたミュージカル部分とそうでない⽇常のコントラストにより、私には現実の棘(とげ)がより尖って刺さってきました。

なにより、ビョーク演じるセルマの擦れていないたくましい⽣き様、⼤切なものを命と引き換えにでも守り抜く信念の強さからは潔さが感じられ、映画を観終わるころにはそんな彼女に完全に魅了されていました。

セルマはミュージカルを愛していて、ミュージカルは彼⼥の⼈⽣を染めていましたが、それは彼⼥の空想世界でのみ⾏われているため、⼀⾒すると現実を美化して、逃避しているだけに⾒えるかもしれません。けれど、彼⼥はそこに⽣きがいを⾒つけたんだと思います。それを観た、乾燥⾷品くらい⼼⾝が乾燥しきっていた当時の私は、ミュージカルの海で泳ぐように⾃由に歌い踊るセルマがうらやましく見えていました。好きなことにこれほどまで没⼊している彼⼥が。

また、劇中のセルマと空想好きだった過去の私が共鳴していると感じる場面がありました。セルマには、職場に仲のいい同僚がいて、家には愛する息⼦がいますが、彼女なりに抱えている不安や孤独があったはずです。そのさまざまな感情が空想となり、彼⼥の愛するミュージカルとなり、⼼を少しでも潤していたのでしょう。

私も⼩学⽣のころ、ひとりの帰り道や留守番で怖さや寂しさを紛らわすために⿐歌を歌ったり、空想に耽ったりしながら苦手な時間が過ぎていくのを耐えていたので、そんな過去の私と照らし合わせながらセルマの世界観を咀嚼していく過程もおもしろかったです。

映画の中の現実が気づかせてくれたこと

物語の終盤、彼⼥の不器⽤さと理不尽な環境につけ込んだバカげた裁判で彼⼥の死刑が決まってしまい、死刑執行⽇、恐怖に耐えるためにいつものように空想でミュージカルに浸り「時間をください」「涙を流すだけの」と彼⼥が涙を流す場⾯があります。この場⾯で私は、いつもどんなときも他人を気遣い努⼒していたセルマが彼⼥⾃⾝のために流した涙だと信じたいと切に思っていました。

そして、セルマは信念を貫いて息⼦を守り抜き、しがらみのない世界へと⾶び⽴ちます。

全編通してセルマは「息⼦の遺伝は産んだ私の責任である」と⾃⾝を強く責め、ミュージカルでは「私はバカだから」と⾃らを蔑んでいましたが、彼⼥はけっして「私は不幸な⼈である」と卑屈になったり、思い込んだりすることはありませんでした。

そこがまた私がセルマに惹かれる部分で、どんな残酷な状況でも⾃分を信じて、自分が納得できる最善の選択をしたセルマの愚直さが、初めて観たときの私にはまぶしすぎました。

この映画からは、なによりも現実の残酷さや冷たさを感じましたが、鑑賞当時の私が、現実逃避ではなくて現実を直視したい気分で、そんな私の気分にタイミングよく合っていました。とても不思議なもので、あまりにもつらい現実を突きつけられたせいか、私はこの映画を観たことで、⾃分の感情を育てたり、労ったり、解放したりする場所が必要で、それを少しずつまた⾒つけていかないといけないと考えさせられました。

映画は、観る場所やタイミングによって⾒⽅や感じ⽅が変わるものだと思っています。そして、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』が私の中で印象深く残っているのも、鑑賞時の私の状態が影響しているのは間違いありません。私を窮地から救ってくれた作品として覚えています。

今回改めてこの作品を観て、ミュージカルに染まったセルマの⼈⽣のように、私も⼤切にしたいと感じた物事で私を満たしていきながら、自分の中にある愚直さとももう少し向き合ってみてもいいのかもしれないと思った次第です。映画後半からの悪夢のような展開や結末がセンシティブなだけに、なかなか気軽に観られる作品ではないかもしれませんが、個人的にはぜひ一度は観ていただきたい作品です。

救いようのない作品に救われる

石野理子

最後に、第1回⽬から映画含めてかなりダークな話をしてしまいましたが、私の好きなジャンルがスリラー、サスペンス、伝記でして、新作も観ながら今後も魅⼒的な映画の内容と絡めて⾝の上話や近況を綴っていく予定です。

今回連載をするにあたり、私を担当してくださる編集者さんが「どういう映画が好きですか?」と聞いてくださり、私が好きなジャンルや監督、作品を挙げたあとに「救いようのない作品に救われるんです。でも、それを話すとよく⼼配されるんですよね。だから、最近はそこまではあまり⾔わないんです。笑」と⾔ったら、編集者さんが「よけいなお世話ですよね!」と⾔ってくださり、⼤きくうなずいてしまいました。好きなのだから仕⽅ないです。これからも他⼈に迷惑をかけない範囲で映画を偏愛していきたいと思います。

それでは、また次回のシネマ基地でお会いしましょう!

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石野理子

(いしの・りこ)2000年10月29日生まれ。広島県出身。2014年、アイドルグループ・アイドルネッサンスのメンバーとして活動スタート。2018年、同グループ解散後、バンド・赤い公園のボーカリストに就任。2021年に解散。2023年よりソロ活動を開始し、8月に、バンド・Aooo(アウー)を結成。また..

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