『Quick Japan』のコンセプト「DIVE to PASSION」にちなんで、「私だけが知っているアツいもの」について綴るコラム企画「DtP」。
ビルボードライブ東京&大阪でのツアーを10月に開催することを発表し、三浦大知やMAZZELとのコラボレーションも話題となった北海道出身のシンガーソングライター・Furui Rihoが、紆余曲折を経て「音楽という沼」にハマった理由とは。
かつての仕事で培われた「孤独と向き合う姿勢」
読者の皆様、はじめまして。Furui Rihoです。地元は北海道。東京と北海道を往き来する2拠点で音楽活動をしています。
音楽好きな家庭で育ち、小学生のころに教会でゴスペルに出会って以来、音楽の沼にハマりました。私の体の半分は音楽でできている気がします。子供のころに描いた将来の夢はもちろん「歌手」……と言いたいところですが、覚えているのはセーラームーン、レジ打ちの人、天文学者、声優、CA……いろいろな職業に興味を持ち、歌手という言葉は一度も出てきませんでした。
というのも、同じく歌手を目指していた母の現実的な助言もあり、漠然と叶わぬ儚い夢だと思い込んでいたのです。高校生にもなると、母の言葉の意味もわかるようになり、空港で働くことを夢見るようになります。大学で英文科に進学したのもそのためでした。
大学時代、もうひとつ興味を持ったのはファッションの仕事でした。初めてのバイトはUNIQLO。そのあとはGUで働きました。当時UNIQLOやGUでの仕事は厳しく、高いレベルでの対応を求められました。職場で学んだのは、スピーディな応対。頭をフル回転させ、まわりの状況を見て効率よく仕事をこなすこと。その厳しさの中で、一生懸命働くことへのやりがいを知りました。
その後カナダへ留学することになり、初めて海外での仕事にも挑戦しました。メキシカン料理のお店や、お寿司屋さんでも働きました。すべてが初めてだらけ。英語がわからなくても毎日挑戦をするという根性を身につけられた気がします。そうやってそのほかにもいろいろな場所・環境で働くなかで、心の中にフタをしてきた思いが湧き上がってきました。
「音楽を仕事にしてみたい」
なかなかうまくいきませんでしたが、今、私は本当に運よくチャンスに恵まれ、こうして歌手としての活動ができるようになっています。音楽の仕事はキラキラして見えますが、それはほんの一部。歌詞で埋まった紙を床一面に広げても終わりが見えず途方に暮れる日もあります。とにかく孤独に命を削って曲を作り、毎日挑戦し、プレッシャーと戦い、自分と向き合う仕事です。


結局たどり着いたのは空港でもなくアパレルでもなく、音楽でした。ですが自分に厳しく、孤独と向き合う姿勢はきっとかつての仕事を通じて培われたものばかりです。偶然なのか運命なのか、時につらく厳しいこの場所で咲くことができるよう、これまでが必要な道のりだったのかもしれません。
子供のころの私に教えてあげたい。歌手になれたよRiho。

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