『THE SECOND 2024』新王者ガクテンソク、転機となった敗北と勝因「大阪ではあんな漫才師と会ったことがないから」【優勝会見レポート】

2024.5.20
ガクテンソク

文・撮影=ナカニシキュウ 編集=梅山織愛


『THE SECOND~漫才トーナメント~2024』グランプリファイナルが5月18日に行われ、結成19年のガクテンソクが2代目王者に輝いたのは既報のとおり。大会終了後には記者会見が開かれ、熱戦を制したばかりのふたりが興奮冷めやらぬなかで喜びを語った。

1本目は“やらんとこうと思ってたネタ”だった

小室瑛莉子アナウンサーの呼び込みで会見場に姿を現したガクテンソク。トロフィーを大事そうに抱えて充実感のみなぎる笑顔を浮かべながら小走りで歩を進めるよじょうのうしろを、やや神妙な面持ちで奥田修二が追従する。トロフィーは用意された長机の上に慎重に設置され、ふたりがかしこまった様子で着席すると、さっそく小室アナの進行で質疑応答が開始された。

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慎重にトロフィーを置くよじょう(左)とそれを見守る奥田(右)

「まだ全然実感がなくて、あとネタ2本せなあかんテンションです(笑)」と率直な思いを口にした奥田は、約4時間に及んだ熱戦を振り返り「体感は短かったです」とキッパリ。披露するネタを事前に明確には決めておらず、ほかのコンビの様子を見ながらどのネタで勝負するかをふたりで終始話し合っていたそうで、「ずっと気を張ってたら一瞬でした」という。

実際に1回戦で披露した「国分寺に豪邸を建てるネタ」は「やらんとこうと思ってたネタ」だと、よじょうの口から明かされる。というのも、金属バットが1回戦で291点という高得点を叩き出したため、奥田は「1本目にやろうとしてたネタじゃないと、準決勝へ進めたとしても金属バットとは戦えないなと思った」とその意図を語る。そのため急遽ネタを変更し、「一回もネタ合わせをしていなかったネタにしました。めっちゃ怖かったんですけど、そこを勝てたのが大きかった」と采配の的中を喜んだ。ネタ合わせをしなかったことが逆に奏功したといい、「いつもよりウケました(笑)」とのこと。

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ネタの選択について振り返る奥田

戦友たちのエール

「最初に喜びを伝えたい相手は?」と問われると、よじょうはダイアン津田篤宏の名前を挙げる。奥田の「絶対違うって! 最初は芸人になる前に出会った人やって、家族とか」というツッコミを浴びながらも「津田軍団ということで、いつもめっちゃお世話になっているんですよ。津田さんからは『おめでとう、祝勝会しような』と連絡も来まして、末尾に『100万円くれ』って書かれてました」と、最新エピソードを披露。その優勝賞金1000万円についてはまったく意識していなかったといい、奥田は「優勝後の収入はフジテレビさんに負ってもらえると信じております!」と冗談半分に真剣な目で訴えかけた。

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ダイアン津田を慕うよじょう

チャンピオンとして出演したい番組を尋ねられると、奥田は「出たいというより、『さんまのお笑い向上委員会』と『逃走中』(いずれもフジテレビ)が不安です」と複雑な胸中を吐露。高度なお笑い対応力と瞬発力を要求される『お笑い向上委員会』は自宅で視聴しているだけでも「自分がこの立場だったら……」と思うと脇汗があふれ出てくるといい、『逃走中』に関してはシンプルに体力的な懸念を示したが、「そのふたつだけ警戒はしていますけども、機会があったらチャレンジしたい」と前向きに語った。

『THE SECOND』という大会の特徴については、よじょうが「『M-1グランプリ』みたいにギスギスしていないというか……まあ語弊ありますけど(笑)、みんなが一体となってがんばっている雰囲気がある。(優勝した)自分らだけがうれしいわけじゃない感じがします」と話し、奥田からも「決勝戦の前に(大阪時代からともに活動してきた)ラフ次元と金属バットが袖に集まってくれた。金属バット友保(隼平)が『大阪兄さんをひとりにさせるわけないっしょ』って……。あんな感じですけど熱いやつなんです(笑)」と目を細めた。

さらに奥田は「『THE SECOND』はコアなお笑いファンとスタッフさんが大注目してくれる、通な人に観ていただいているなと感じるのがうれしいポイントです」と分析。6分というネタ時間についても「絶妙におもろいっすよ!」と言葉に熱を加える。「『M-1』は4分で、短距離走なんですよ。スポーツが違う。『M-1』みたいなネタを6分間やっちゃうとしんどいんで、絶対に息継ぎがいるんです。それを6分の中にどう配分するかとか、いろいろ考えることができるのですっげえ楽しいです!」と顔をほころばせた。

解散も考えたふたりがつかんだセカンドチャンス

そもそも「『M-1グランプリ』を獲ること」、「baseよしもとに所属すること」を2大目標に掲げて結成したというガクテンソク。しかし2010年に『M-1』はいったん開催を終了し、baseよしもとも閉館。最大の目標をふたつ同時に失った彼らは、漫才を続ける意味さえも見失いかけていたという。

そんなある日、解散を打診するつもりでネタ合わせに臨んだ奥田に対し、よじょうが先に解散話を持ちかけてきたのだそうだ。奥田は「言われると思ってなくて、言われてめっちゃムカついた。『続けたらぁ!』ってなって(笑)。『解散なんてのは、何者かになってみんなに知ってもらえたやつしか言ったらアカンことやろ!』とかって、解散しようと思ってた僕が言ってるんですよ(笑)。『漫才を続けていって、何者かになれたときにやめようぜ』って感じになって、そこでなんとか耐えた」と当時を回想した。それが大会の最後に奥田が発した「何者かになれたんですけど、漫才辞めません!」の言葉につながっていたわけだ。

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また、奥田は昨年の『THE SECOND』でマシンガンズと対戦した際に「大阪ではああいう漫才師の人と会ったことがなかった」と感じ、そのマシンガンズに敗れたことで「凝り固まった漫才観を取っ払うことができた」ことを転機として挙げる。それを契機に東京の舞台に立つ機会が増え、それが今回の優勝につながったとの見解を示した。

一方のよじょうは「去年は早めに負けたんで、正直ネタのストックがあったんですよ。選べる状態にあったというのはけっこう大きいかなと思いますね」と勝因を分析。「だから直前にやる予定のなかったネタをやることもできたし。去年、もし上まで行って負けてたら今年使えるネタが減っていたから、ネタ数に余裕があったというのはだいぶデカいと思いますね」と実感のこもった口ぶりで話した。

『M-1』王者とともにNGKのトリを

最後に次の目標を聞かれ、よじょうは「劇場でトリとかやってみたいですけどね」と回答。これを受けて奥田も「そうですね、漫才師としては」と同調する。奥田はさらに言葉を続け、「僕たち世代でなんばグランド花月(NGK)のトリを取るとなったとき、名前が出てくるのは和牛さんとかプラス・マイナスさん、銀シャリさんだったんですけど……(解散せず残っているのが)銀シャリさんだけになってしまったというか。銀シャリ橋本(直)さんとかは大阪時代に一緒に暮らしていたくらい仲がよくて、おこがましくて言えなかったですけど『チャンピオンになって、銀シャリさんをひとりにしたくないな』とはこっそり思ってました」と穏やかな口調で熱い思いを述べた。

記者からの質問がひと段落したところで、よじょうがおもむろに「じゃあ一本締めで……」と提案。すかさず「いや、別に盛り下がってもいないから! こういうもんやから、記者会見って」と奥田のツッコミが差し込まれ、記者会見は和やかにその幕を閉じた。

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ナカニシキュウ

ライター/カメラマン/ギタリスト/作曲家。2007年よりポップカルチャーのニュースサイト『ナタリー』でデザイナー兼カメラマンとして約10年間勤務したのち、フリーランスに。座右の銘は「そのうちなんとかなるだろう」。

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