新型コロナの余波でイベント中止リスクを負うのは誰なのか(九龍ジョー)
話題の本を編集者として手がけつつ、ライターとしても音楽、演劇、映画、プロレスなど幅広いジャンルのポップカルチャーをフォローし、さらに近年は伝統芸能に関する連載を数多く抱えているカルチャー界の目利き、九龍ジョー。
今回彼がテーマに選んだのは、現在進行形で日本中を揺るがしている新型コロナウイルスについて。件の安倍総理のアナウンスから読み取れることとは――。
総理発表のアナウンス効果
ウイルスとは何か。生物とも無生物とも言い切れない曖昧な存在。遺伝子情報はあるが、自己増殖はできない。代わりに宿主の細胞を使って増殖する。宿主を死に至らしめることがあれば、それはウイルス自身にとって失敗ケースである。つまり、ウイルスに悪意はない。ウイルスと自然宿主の動物との間に、勝手に人間が割り込んだだけ――。
以上は、『ウイルスは悪者か』(高田礼人、亜紀書房)という本を読んで得た私なりの理解である。
こちとら割り込んだつもりはないが、時すでに遅し。新型コロナウイルスが猛威をふるっている。さすがなもので、いっさいの忖度抜きだ。日本社会の弱点を的確に炙り出しながら、いまだ収束の気配はない。
2月26日、後手後手に回っていた政府から出された、安倍総理のアナウンスは以下のようなものだった。
政府といたしましては、この1、2週間が感染拡大防止に極めて重要であることを踏まえ、多数の方が集まるような全国的なスポーツ、文化イベント等については、大規模な感染リスクがあることを勘案し、今後2週間は、中止、延期又は規模縮小等の対応を要請することといたします。
「イベントの開催に関する国民の皆様へのメッセージ」令和2年2月26日(安倍総理)
危機管理において「科学的な正しさ」と「アナウンス効果」が完全一致している必要はない。それを踏まえた上で、この「要請」が狙わんとするところを汲んでみるならば、「できるだけ人の集まるところには出かけないように」と世間に広く周知しつつ、感染リスクを前に開催の是非を問われる主催者たちに対して、「悩むことなく、イベントを中止してください」と背中を押すことだろう。
しかし、この「要請」には暴力的な側面がある。イベント中止がもたらす波及的リスクをまったく無視しているからだ。主催者が負担する経費や会場費、払い戻しといった損害に対するケアは何もない。また、巨大イベントともなれば、周辺産業にも影響は及ぶ。伝染病でのキャンセルは、興行中止保険の適用外となる可能性も高い。
アナウンスが出た以上、もしイベントを開催すれば批判の声も飛んでくるだろう。感染のリスクだってある。かといって、中止にした際には補償も何もなく、基本的に損害は主催者側で負うしかない。
そのような状態で、「イベントを中止せよ」というアナウンスを出されても、主催者サイドは追い込まれるだけだ。