話題沸騰中のテレビアニメ『【推しの子】』。推しのアイドルの子どもに転生してしまうという衝撃的なエピソードから始まる本作は、アイドルはもちろん、若手俳優、そして監督、演出家などの裏方にまで焦点を当て、芸能界の裏側をリアルに描いていると人気を博している。
振付師として10年以上アイドル業界に携わってきた竹中夏海氏は、本作をどう読み解くのか?
目次
『【推しの子】』で抱いた違和感と、危機感が募るリアルさ
今期、なにかと話題に上がるテレビアニメといえば『【推しの子】』だろう。普段アニメ作品を熱心には観ない層からの反応も多いことが、ネット上でも、ごく身近な友人関係の中でも感じる。
そこで私がたびたび聞かれるのは「あのアイドル業界の描写ってどこまでリアルなの?」ということだ。
私の知る限りの範囲でいえば、「すごく違和感のあるところもあれば、びっくりするほどリアルな部分もある」というのが正直なところ。
一番の違和感は、「右マイク」である。主人公たちの母であり、“伝説のアイドル”・星野アイがマイクを持つ手。キービジュアルはもちろん、本編に登場する歌唱シーンでも彼女は右手にマイクを持っている。
これは日本のアイドル業界では大変に珍しいことなのだ。というか現状、右手を中心にマイクを持つグループアイドルはほぼ皆無といっていい。
もしかしたら今後の展開で、「なぜ」「わざわざ」星野アイが右マイクなのか、伏線が回収される可能性はまだ残っているが、なければ単純に取材不足なのだと思う。
「たかがマイクの持ち手ひとつで」と思われるかもしれないが、アイドル界に身を置き少しでも働いたことのある者であれば、この描写に違和感を抱く人は多い気がする。
それだけアイドルを右マイクでわざわざ描くことは、意味を持ってしまうからだ。
グループアイドルとマイクの深い歴史
拙著『アイドル保健体育』内のコラム「アイドルダンスの発展はマイクの進化とともにある」でも触れていることだが、そもそも歌いながら踊ることが前提のアイドルにとって、マイクとの関係は想像以上に密接だ。現在のグループアイドルにおける“左マイク文化”に至るまでには、深い歴史が存在する。
遡ること今から50年ほど前、日本で“アイドル歌手“が誕生した1970年代初頭。
日本人の右利き率が圧倒的に高いことから、桜田淳子や森昌子を筆頭とする当時のほとんどのソロアイドルはマイクを左手に持ち、振り付けは右手が主流とされていた。
しかし、この中で、右手にマイクを持つアイドル歌手がほんのわずかだが存在したのだ。山口百恵や松田聖子、中森明菜である。
これはあくまで私の仮説だが、マイクの持ち手は、各々がどんな表現に重きを置いているかが顕著になる気がする。
全員が右利きという前提での推測になるが、右マイクは「利き手でしっかりとマイクを握り締めて歌うことに集中したい」、一方で左マイクは「振り付けも込みで表現力を高めたい」という気持ちが背景にあるのではないだろうかと考える。
実際に私が現役のアイドルたちを指導していても、この傾向は見受けられる。
グループ活動前からボイトレを受けていた子など、歌唱に自信のあるメンバーほど、落ちサビのようなここぞというパートでは右手(利き手)にマイクを持ちたがる場合が多い。皆一様に「そのほうが音程が安定しやすい」と言う。
一方、アイドル活動開始時にダンスと歌唱のレッスンを同時並行で始めたメンバーは、のちに卒業しソロ歌手として活動した場合でも(たとえ振り付けがなかったとしても)左マイクのまま、というパターンが多い。もう長年そのスタイルに慣れ親しんでいるので、このほうが歌いやすいのだそうだ。
2010年代に到来したグループアイドルブームによって、アイドルたちは左マイクに統一されていった。ユニゾンの振り付けを踊ることが前提とされているからだ。
よほどのことがない限り(ソロパートでの落ちサビなどの例外を除き)、グループアイドルは左手でマイクを持ち、右手で振り付けを踊ることが基本形態となっている。
時代背景や、アイが所属する「B小町」の規模感を鑑みると、まさにこれに当たるわけだが、そんな彼女たちが左手ではなく右手にマイクを持ってパフォーマンスを行っていることには違和感を覚え、「何か意味でもあるのか?」とノイズにすらなってしまったのだ。
現実なら「B小町」はもっと多く給料をもらっている説
さらに、アニメ第1話でアイドルの給料事情に触れたシーンにも思わず首をかしげてしまった。
ある日、アイはその月の給料が20万円台だったことに対し、どうしてこんなにも薄給なのかとマネージャーである斉藤ミヤコに疑問を呈するが、こう返されてしまう。
「製造から流通までやってる大手と違ってウチはただの弱小芸プロ。利益が薄いのは承知の上でしょ」
果たして本当にそうなのだろうか? 振付師としてアイドル業界を見てきた私からすると、大手事務所に所属するアイドルよりも、むしろ「B小町」くらいの規模のグループのほうが満足に給料をもらえているイメージがあるからだ。
そもそもアイドルにとって最大の収入源は、ファンとの握手やチェキ会などの「特典会」やライブをはじめとする興業によるものだ。音源による歌唱印税はCD時代からそんなに取り分はなかったはずだが、配信が中心になってからはさらに頼りにできるものではない。
大手事務所やレコード会社所属となると、番組出演やタイアップなど一見華やかな仕事が多くなるが、それらは基本すべて「新曲を知ってもらうため」のプロモーションなので、ギャランティは出てもわずか、むしろ会社側がお金を払って出演している場合も少なくない。
よって大手所属とひと口にいっても、広告にバンバン起用されるような超メジャークラス以外は薄給、というのは残念ながらよくある話なのだ。
対してアイの所属する「苺プロダクション」自体は当時、積極的な新人育成をしているようにも見えず、なおかつライブで安定した集客力を誇る「あのころのB小町」なら、もう少し各々の給与が潤っていてもおかしくないと考えられる。
「今推されてる子は運営と付き合ってる」に感じるリアルと危機感
しかしアニメ第2話では一転、今度はあまりにもリアルな描写が登場する。
亡き母・アイに憧れてアイドルを志すルビー。彼女はとあるアイドルのオーディションを受ける。兄のアクアはそのアイドルグループの実態を探るべく、メンバーのひとりを騙してその内情について聞き出そうとする……というのが第2話のあらすじだが、そのメンバーのセリフはこうだ。
「今運営に推されてる子いるんですけど、むちゃくちゃ贔屓で! なんでかっていったらその子運営と付き合ってる、みたいな?」
本当に残念なことに、これは現実とかけ離れた架空の話でもなんでもない。認めたくはないが、こうした理不尽な話は現実でもしょっちゅう耳にする。
第1話でのマイクの持ち手や給料事情を見てきて、この作品のアイドル界への取材力に対し懐疑的になっていたので、突然のリアルさに驚いた。
そして、そもそもこんなことがリアルな業界に改めて強い危機感を覚えた。「よく取材したなぁ」などと感心している場合ではない。
バックステージでは、いい大人(運営)が自分の膝の上に未成年のメンバーを乗せている……という光景を目にしたこともある。
どうしてこのようなことが許され、無法地帯と化しているのか。
それまで、アイドルといえば大手芸能事務所がまだ仕事の少ない新人たちに「芸能界の研修」も兼ねて挑戦させることが多かった。マネージャー側にアイドル運営のノウハウはなくとも、最低限マネジメントのスキルはあったのだ。
ところが2010年代のアイドルブーム以降、特に大きなうしろ盾がなくてもプロデューサーに挑戦し、運営サイドに回る人間が激増する。
もちろん、その中には小規模ながらきちんとしたところもあるが、「運営ガチャ」でいえばあまりにも当たりが少ない、というのが個人的な体感だ。
たとえば所属タレントだけでなく、振付師やカメラマン、ボイストレーナー、スタイリスト、ヘアメイクなどから、アイドル運営からのギャラの未払いの話はしょっちゅう耳にする。しかし私の場合、ほかの仕事──広告業界や映像業界でそんな目に遭ったことは一度もない。
そもそもまともな社会人のレベルに達していないような人間と遭遇することなんて、アイドル業界くらいでしか起こらないのだ。そんな人たちがアイドルを守ったり、育成できるとは考えにくい。
第2話のセリフに出てくるようなことが起きても、なんらおかしくはないのがこの業界の現状なのである。
アイドルプロデュースとは一見華やかな響きでも、実際は彼女たちの人生の一部を預かることと同義なのだと、もっと広く認知されてほしい。
推す側は心に留めるべき!?「嘘はとびきりの愛なんだよ」というセリフの妙
さて、『【推しの子】』には何度も登場するセリフがある。星野アイが言う、「嘘はとびきりの愛なんだよ」だ。
最初に聞いたときは「なんかそれっぽいこと言ってるな」とスルーしてしまったのだが、何度も聞くうちに考えが変わった。
これはもしかして、私たち視聴者のメディア・リテラシー向上の一助となっているのではないか。
たとえば、アニメ第5話〜第8話にかけて描かれた「恋愛リアリティショー編」。
恋愛リアリティショーは、幅広い年齢層の視聴者から熱烈に支持される番組である一方で、劇中で黒川あかねがSNSでの炎上と誹謗中傷により自殺未遂まで追い込まれてしまったように、とにかく炎上しやすい。
本作では、恋愛リアリティショーにおいて台本はないけれど、番組側の都合のいいように編集されていることは多々あるということが、アクアの説明と共に繰り返し描かれていた。
このような、“発信されている情報だけがすべてではない”という警鐘は、本作のテーマでもある「嘘はとびきりの愛なんだよ?」と共通している。
現代のアイドルはSNSや特典会を通じて、ごく身近な存在に感じられるようになった。もう誰もアイドルを本来の意味である「偶像」とは思っていないかもしれない。
私服から今ハマっている食べ物まで、手軽に“すべて”を知った気になれてしまう。だけど、本当にそうだろうか。
生身の人間のすべてなんて、たとえ実の親子でもなかなか知り得ないということに、主人公たちは直面している。
「嘘」というとまるでついている側が悪者のように感じるところを、「愛」だと言い切る。
今、自分が見ているアイドルの姿がすべてではないと、そしてそれはけっして裏切りではないのだと、“推す側”が心に留めておくために、「嘘はとびきりの愛なんだよ?」は重要なキーワードなのだと私は思う。
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