“なりたい自分”と“なるべき自分”の狭間に立ち、今とは違う世界線の人生を歩む自己像に思いを馳せる──こうした経験について、誰しも一度は身に覚えがあることと思う。お笑いコンビ・さすらいラビーの中田和伸も、そんなアイデンティティにまつわる葛藤を抱えるひとり。
一橋大卒という経歴を持つ彼が「高学歴芸人」になれない悩みについて綴る本連載も、今回でラスト。“なぜ、高学歴芸人になれないのか/ならないのか”について掘り下げていったこの自省録は、果たしてどのような結末を迎えるのか。
突如届いた、ショッキングな内容のメッセージ
大学卒業後、芸人活動をスタートして間もないころ、唐突にフェイスブックで小学校の同級生からメッセージが届いたことがある。
「今は芸人の数も増えているし、売れるのは厳しいと思うよ。みっともないよ。高学歴アピールも鼻につくし。やめたら?」というようなメッセージだった。いきなりぶん殴られたみたいに思考が硬直した。
すごく仲がいいわけではなかったけど、普通にしゃべったこともある男子(当時はもう大人であろうが、小学生以来会っていない男性はもう、男子である)からのメッセージだった。戸惑いながら、グッと冷静に深呼吸し、このメッセージはなんだ、僕が知らずのうちに犯した彼への仕打ちが清算されようとしているのか?と、フル回転で子供時代の悪行に思いを巡らせた。巡らせども巡らせども思い当たる節はちっともなく、次第に「いやいやなんで急にそんなこと言われねばならんのだ」と怒りも込み上げてきた。
もろもろすべての感情を押し殺して、「メッセージありがとう! 応援してもらえるようがんばるよ!」みたいなことを返して終わった。
本当はさらにその後、「なんちゃって(笑)本当は応援しているよ(笑)」と素っ頓狂な返事が来たが、怖過ぎて見なかったことにした。いくらなんでも怖過ぎた。幻みたいなやりとりだった。
冷静に考えて昔の同級生に不意打ちみたいに送るようなメッセージではないし、どうにも虫の居所が悪いさなかに、SNSでおちょろけた僕の顔が目に入りでもしたんだろう、あるいは本当に過去に僕が何か怒らせてしまったことへの仕返しのひとつなのかもしれない。
実際のところはもうわかりっこない、考えても仕方ないと、半ば強引にしまい込んだ。
なかば強引にしまい込みはしたけれども、「高学歴アピールも鼻につく」というフレーズだけは、カサブタの跡地のようにうっすらと残りつづけた。なにもアピールしたつもりはない、芸人として何かプロフィールに書ければというくらいなのだ、そういうみっともない言い訳をつべこべ並べるわけにもいかなかった。まだ何も成し遂げてないペーペーである以上、乱暴な物言いに反論することができない、それがともかく悔しかった。
刺さってほしい大人には刺さらない、「いい子ちゃん」なネタ
どうせならなんかの取っかかりになるかも、クイズ番組に出られるかも、それくらいの思いで表に出している「一橋大学卒業」という肩書だけれども、ほのかな嫌味ったらしさが匂い立つ。デメリットと呼ぶには些末な問題かもしれないが、掲げられた学歴は、売れていないみっともなさをよりいっそう加速させる。
だからこそ、よりいっそうしっかりおもしろい人として認められねばならない。青臭いことをのたまうのも本当にヒリヒリするけれども、おもしろいと思われたい、それ以上のことはない。いい大学を出たやつがなんかネタもやってる、で終わるわけにはいかない。
売れていないこの9年間、この高学歴、まじめにコツコツ感、そして「大学のお笑いサークルで青春謳歌してきました感」にコンプレックスを覚える日々だった。
太田プロ(ダクション)同期のスターには宮下草薙がいて、先輩には納言がいる。宮下も草薙も、納言の(薄)幸さんも、皆それぞれがそれぞれのおもしろ、サークル活動からはほど遠いストリートファイトでのし上がった、そんなたくましさがある(納言の安部(紀克)さんだけは、また別の種類の天才である。安部さんに対してコンプレックスを覚えたことこそないけれども、本当に天才で変人である)。
大学からお笑いに飛び込む人の特徴として、どうしても「いい子ちゃんなネタ」になりがちである(一緒くたに言うのは本当に心苦しいけれども、これを読んで「私はそんなことない」と思った同志はきっと本当にそんなことないんだと思う、どうか見逃してほしい)。
机の上でうんうん唸って作ったネタ、世の中に広く存在する教材から賢く学んだリズム、そういう「出来のよさ」ばかりが上がっていってどうにも突き抜けない、そういう悩み方をする人を数多く見てきた。自分たちが特にそうだった。ライブではウケる、笑ってもらえる、でもどこか、刺さってほしい大人には刺さらない。きちんとしてきたままお笑いに飛び込んだ人間が必ず通る、宿命なのかもしれない。
コンプレックス、恥ずかしさ、みっともなさが個性
でもまあ、ちっとも悲観していない。ここにきてどっしり構えることができている。
キラキラした顔でデビューしてから数年、「いい子ちゃんコンプレックス」を感じ始めてまた数年、思い悩むことばかりであったけれどもだんだんと熟してきた感がある。
本来誇ってもいいはずの学歴が、だんだんと「これ……みっともなくないか……?」という異臭を漂わせ始め、そのうち「まあ、みっともないものはみっともない、仕方ないか」と開き直れるようになってきた。腐りも、あるところを超えれば発酵した香ばしさとなってくる。今の自分が一番おもしろいと断言できる。大学を卒業してもうすぐ10年も経とうかというのに、あんなに対策したセンター試験がもうなくなってしまったというのに、いまだに学歴がどうのこうの言っている。痛々しさを通り越しておもしろい、と思う。
高学歴を持っていることで得られそうな特権、たとえばクイズ番組とかワイドショーとか、そういうところに辿り着くのはまだまだ先になりそうである。まずは売れないといけない。そういう意味では、学歴はみっともなさを漂わせる飾りにしかなっておらず、高学歴芸人にはなれていないといえる。
しかしながら、学歴を持っていたからこそ感じるコンプレックス、恥ずかしさ、みっともなさ、そういうもんが香ばしいおもしろさとして結実しつつある。「お前大学卒業してまで何やってるんだよ!」となじってくれる先輩がいる。笑ってくれる人がいる。
目に見えるかたちになって収穫できるのが1年後か、5年後10年後か、そういう約束は簡単にはできないけれども確実におもしろくなっている。学歴を持っていてよかった。こうしたかたちでの喜びは、10年前の自分からすると誠に不本意だけれども、自分しか持ち得ない個性だと思って大切に抱き締めている。
「高学歴芸人になれない」という文章の結びとして正しいかはわからないけれども、熟していく自分に、ひとえにワクワクしている。しっかりと世に出てから、あくまで新鮮な顔つきで「僕は高学歴なんですよー!」と回答席を盛り上げていきたい。
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