『ゴールデンカムイ』実写化への反応から考える「推しを人質に取られる」問題
好きな俳優があまり出てほしくない類の作品にキャスティングされた。好きなマンガが評判のよくない監督に実写映画化された。好きなアイドルの運営が信用ならない。エンタテインメントを享受するなか、さまざまなかたちで発生する、いわゆる「推しを人質に取られる」問題。
先日『ゴールデンカムイ』の実写映画化が発表された際にも大きな反響が寄せられ、関連ワードがSNSでトレンド入りした。こういった状況に、我々は消費者としてどう向き合うべきなのか──。
「推しを人質に取られる」問題
就寝直前に『ゴールデンカムイ』実写化の第一報を聞いて、反射的に思ったことがあった。「あの監督だったらやだな」。翌朝目を覚ましたらみんなが同じことを言っていた。みんなが同じ「ない未来」に苛まれて、ネットが阿鼻叫喚の様相を呈していた。
ああ、やっぱみんなそう思うんだ、というのが最初に感じたこと。次に感じたのが、これってある意味ものすごく興味深いことが起こってるんじゃないか?ということ。これは、ある現代的な恐怖のかたちがすっかりポピュラーなものになったことのひとつの証左といえる現象なんじゃないか。いわゆる「推しを人質に取られる問題」だ。
さまざまな“人質”のあり方
“こういうこと”は、もうすっかり我々の日常風景だ。広くおなじみのあるあるの苦しみになった。“推し”という概念にも“人質に取る”という表現にも思うことはあるものの、日々さまざまなかたちで、さまざまな作品や作り手が“人質”化させられているといえる。
『きのう何食べた?』出演俳優による「男に戻る」発言をはじめとして、性的マイノリティに関連する作品の実写化に際し、会見や取材でキャストやスタッフがいらんことを言いまくるのは周知のとおりだ。
そうして原作ファンは実写版を観るべきか否か、自身の作品に対するスタンスを試される。
Netflixはすばらしいグローバル作品を数多く配信している一方、Netflix Japanが手がけるコンテンツは律儀なまでに次々と消費者を落胆させている。『全裸監督』はいわずもがな、『FOLLOWERS』『彼女』、初速では称賛の声が多く上がった『新聞記者』すら製作の手続き上の不適切さが問題視された。
ジェンダーや権威勾配など、もろもろの人権意識の面でテレビに愛想を尽かしてサブスクに逃れてきた消費者たちは大いに失望させられ、しこりが残ったまま契約をつづけるか、観たい作品を犠牲にしてでも契約を打ち切るかの選択を迫られる。
「『ストレンジャー・シングス』の続編は観たいけど、『全裸監督』を作る会社には金を落としたくない」そういう葛藤を抱えた人を何人も見た。
応援している作り手があまり関わりを持ってほしくない作り手と組んでしまう、というケースもあるだろう。筆者にとっては『竜とそばかすの姫』で中村佳穂が主演声優を務めたのがそうだ。細田守はかねて伝統的家族観や「田舎」の無反省な理想化、そして社会福祉に対する素朴な無理解からくる不信感の滲み出た作風が批判的に指摘されている。
まだまだいくらでもある。
作者J・K・ローリングの典型的なトランスフォビア言動によって世界中のファンが胸を痛めているハリー・ポッターシリーズ。
アジアンヘイトで実質的に中国から締め出しを食らったドルチェ&ガッバーナと『呪術廻戦』のコラボ商品。
ドラマ版での恋愛要素を追加した改変が物議を醸した『ミステリと言う勿れ』。
会長のレイシズムによって信用が失墜したDHCとムーミンのコラボ商品。
ほかの映画館で観られない作品を多数上映しているものの、パワハラ問題で告発を受けてからは利用を控えている映画ファンも多いアップリンク。
過去の疑惑が取り沙汰されたアンセル・エルゴートが主演を務める『ウエスト・サイド・ストーリー』。
それらに消費者としてどう向き合うべきか。
ジョニー・デップに関しては少し複雑だ。
デップは元妻へのDV疑惑の報道以降に『パイレーツ・オブ・カリビアン』の降板が決まった。報道を受けてファンたちは「キャプテン・ジャック・スパロウのいない『パイレーツ・オブ・カリビアン』なんて」という気持ちと、デップにこれ以上キャリアを重ねる機会を与えるべきではないだろうという道義心の間で揺れ動いた。
ところが裁判が進むと、実際はデップのほうが被害者であるという見方が強くなった。そうして今では元妻のアンバー・ハードが出演予定の『アクアマン』続編を観るべきか否かという“選択”が浮上し、彼女の出演キャンセルを求める署名が行われるまでに至った。どちらの主張を支持するか、その上でそれぞれの出演作品にどういったスタンスで向き合うか。
また、アイドルファンからすれば“推し”と“運営”の関係──つまり事務所の方針やメンバーの扱いに疑念を抱かされる状況は日常茶飯事といえるだろう。
筆者にとっては相撲だ。大相撲というもの自体を愛していて、応援している力士が何人もいるのに、日本相撲協会に関するさまざまな報道を受けて、大相撲を観るのがつらくなって追うのをやめてしまった。あの運営に金を落としたくない。
ギルティを植えつけるものを作らないこと
『ゴールデンカムイ』の件が興味深かったのは、ただの予想であれだけの大きな反響が生まれたことだ。実際に福田雄一が監督するという報道があったわけではなく、大喜利でいう「嫌だお題」のような、ありそうなよくない未来を想像して、本気で恐怖し憤っていた。
そんな状況が生まれるほど“こういうこと”はよくあって、みんなほとほとうんざりしているということ。我々は先回りできてしまうほどにパターン化された絶望の中にいるということ。もう来るところまで来ている。ひとつの限界なんだろう。
消費者たちは日々、何かを楽しむ上でこういう危険性に晒されている。
ましてや福田雄一だ。『シャザム!』と『新解釈・三國志』によって、原作や演者のパブリックイメージを大事にしない作家だという評価は決定づけられている。『シャザム!』では吹き替え監修を担当し、演者に“いつメン”を引き連れてきて、80年以上の歴史を持つIPを“オレらのノリ”で蹂躙した。『新解釈・三國志』では、渡辺直美と城田優のファンが彼女らに求める人物像とかけ離れたセリフを書いた。
つくづく原作ものをやるには“オレ”が強過ぎるのだろうと思う。そしてまた、実写版『銀魂』では本当に奇跡が起きていたんだろうとも同時に思う。もともとの原作のノリと福田雄一の色がかなり近かったのでコンフリクトが起こらず異様にぴったりしっくりハマった。もちろんあの作品にしたって福田の色が出過ぎだと感じる人はいるのだろうが。
「推しを人質に取られる」問題のたちが悪いところは、消費者にしなくてよかったはずの選択を強いる点だ。
観るか観ないか。買うか買わないか。気持ちよく決断できない、どちらを選んでも後悔が残る選択を迫られる。そうしてギルティな心象を植えつけられ、気を抜いて心から何かを楽しむコンディションを奪われる。
一方、『ソニック』実写版の対応は本当に誠実だった。
ティザー映像へのリアクションを正当に評価して、ソニックの3Dモデルを丸ごと作り直して公開した。「皆の観たいソニック」でないものを作っても意味がないという本質から目を背けなかったのだと思う。そういうふうに、世間の評判をフィードバックとして制作に還元する慣例を根づかせていきたい。
【関連】『BEASTARS』が浮き彫りにした人間社会のグロテスクさ
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