宝島社『このマンガがすごい!2026』オンナ編 第3位にランクインした『起承転転』(太田出版)。
売れない役者を辞めて故郷に戻る50代の女性を主人公に描いた本作は、同世代のみならず幅広い年齢層の女性読者の胸に突き刺さる。
その創作背景から、登場人物に込めた思い、20〜30代の女性に伝えたいことまで、作者・雁須磨子に話を聞いた。
枠を与えられるとしんどいのに、ないと不安になる
──『かよちゃんの荷物』では30代、『あした死ぬには、』では40代と、これまでさまざまな年代の女性を描かれてきました。今回『起承転転』で50代の独身女性を主人公にした背景には、どんな思いがあったのでしょうか?

雁 まずは、私自身が50代になった、というのが大きかったです。あとは、これまで30代・40代と、年代ごとの作品を1本ずつ描いてきた流れがあって。
特に40代を描いた『あした死ぬには、』は、『起承転転』と同じ担当編集の上村さんと一緒に作った作品でもあったので、この作品がひと区切りついたときに「じゃあ次は50代だ!」と、すごく自然に思えたんですよね。
『あした死ぬには、』で40代に向き合ったその延長線上に、気づいたら50代が来ていた。特別に構えたというより、本当にそのまま自然に描き始めたという感覚でした。
──ご自身が年齢を重ねていくなかでの、自然な流れだったんですね。
雁 そうですね。現在は『ややこしい蜜柑たち』や『毎分毎秒』といった、20代くらいの女性が主人公の作品も同時進行で描いているのですが、『起承転転』に関しては、とにかく等身大のものを描こうと。その上で、そこにドラマを持たせられたらいいなと、そんな気持ちで始めた作品です。
──今回、主人公・葉子を描く上で、新たに感じた手応えなどありましたか?
雁 葉子は“物語のその先にいる人”として描いている感覚があります。たとえば『あした死ぬには、』の中で「私の時代は終わった」と痛感する登場人物が出てくるんですけど、葉子にもきっとそういう瞬間があったと思うんですよ。

──『あした死ぬには、』の(小宮)塔子さんですよね。娘が大学生になったことをきっかけにパートを始め、そこで「ちゃんとおばさんにならなきゃ」と初めて決意をする。それと同時にどこかモヤモヤする印象的なシーンです。
雁 『起承転転』の葉子にも、大恋愛をしていた時期や、人生が大きく動いた瞬間……いわば彼女の全盛期のようなものが、今よりもう少し前にあったはずなんです。
でも、私が今描いているのはそのピークのあと。ただ、けっして「ピークが終わった人の話」という意味ではなくて。むしろ葉子はすでにひとつ大きな物語を終えて、そこからさらに続くもうひとつの物語の入口に立っているというイメージ。
バイオリズムの山でたとえるなら、今もちゃんと波はある。でも、ふと振り返るともっと大きな山が過去にあった気がする。そんな感覚の上に、葉子はいる気がします。
──葉子は地元・福岡へUターンし、「ワーログ」というスポットワークで働き始めます。作中でその働き方を「個が個じゃない状態で働いてる感じ」と表現していて、その言葉がとても印象に残りました。今は個として生きやすい時代になったように感じていましたが、結局どこまで行っても、人は完全な「個」にはなれない。所属や役割の中で生きる存在なんだと気づかされました。

雁 人って、結局カテゴライズするのが好きじゃないですか。星座占いや性格診断とか「自分はこういうタイプなんだ」っていう言葉が欲しいし、所属しているクラスタみたいなものを人に伝えたくなる。
──わかります。最近だとMBTI診断とか、新しいラベルが次々生まれていますよね。
雁 枠を与えられるとしんどいと言いながら、枠がないと不安になる。自分がどんな人間で、どこに位置しているのかを誰かに知ってもらうためには、結局その枠が必要なんですよね。
そして、そういった枠からは逃れられないなかで、「自分はアウトサイドにいる」と思っている人は意外と多い気がします。アウトサイダーにも2種類いて、輪の中に入りたいのに入れない人と、輪から離れたいと思って遠くに行く人がいて……。
──フタを開けたら中身はまったく違うと。
雁 そうなんです。でも結局、自分がどう思っていようと、他人から見たら何かひとつの大きな枠にカテゴライズされるんだろうなって。だから、所属や役割みたいなものからは、たぶん逃れられないし、逃れなくてもいいのかもしれないな、と。
──その「逃れなくてもいい」という感覚は、昔からお持ちだったんですか?
雁 そんなことないです。先ほどのアウトサイドの話じゃないですけど、私は子供のころ、本当は輪の中に入りたいタイプだったんです。でも性格的にちゃんと団体行動ができなくて。ずっと「いいなぁ」と外から眺めている側でした(笑)。
だけど、歳を重ねるにつれて「自分がどこにいてもいいし、たとえ集団の中で端っこにいたとしても、それで別に困ることはない」と考え方が変わってきました。自分がそこにいると思えばそこにいる、そんな感覚なんです。
──なるほど。
雁 もうひとりでも寂しくないし、集団にいても苦しくない。たとえば、自分以外のメンバーだけで旅行に行ってきたと聞いても、そこまで寂しくもつらくもない(笑)。集団のときは集団を楽しむし、ひとりの時間はひとりで楽しむ。いつの間にか、そんなふうに変わっていました。
──旅行のたとえ、すごく刺さりました。私はひとりでいるほうが気楽で好きなタイプなんですけど、もし自分以外のメンバーが旅行に行っていたら、勝手に傷ついてしまう気がします(笑)。こういう“変な自意識のねじれ”って、歳を重ねると薄れて身軽になっていくのでしょうか?
雁 自意識って、持とうと思わなくても勝手に出てくるもの。でも歳を重ねるうちに、少しずつ剥がれていくものでもあると思うんです。あるうちは苦しいんだけど、私はむしろ、あの“ねじれ”で感情がガーッと動く感じ、けっこう楽しかったなって思うこともあるんですよね。
──ないものねだりですね(笑)。
雁 そうですね。ただ、自意識が全部剥がれて、本当に何も気にならなくなってしまったら、人のことまで気にかけられなくなってしまいそうで、それはそれで怖いなと。
でも今、昔みたいな剥き出しの感受性のままに戻ったら、それはそれでもういっぱいいっぱいになって、「わーー!」って叫び出しちゃうかもしれない(笑)。だから今くらいがちょうどいいのかもしれないです。
主人公・葉子を取り巻く登場人物たち
──葉子以外の登場人物についても伺いたいです。彼女が「ワーログ」で出会う淡輪さんは、短期で人が入れ替わる環境の中で、誰でも使えるマニュアルを作っています。昇給につながるわけでもないのに、社会がよりよく回るための行動を自然にできる、その姿勢に社会に関わる人の理想像みたいなものを感じました。
雁 淡輪さんは、今まさに詳しく描いているところです。たしかに彼はなんというか、すごく尊いことをしてるように見えると思うんです。
一方で、はたから見たら「もっとほかにできる仕事があるんじゃないの?」って感じる方もいると思います。だって、体も丈夫で、あんなに周囲にも気が遣える人なら、会社員として働いたり、役職に就くことだって可能かもしれない。
でも、彼はそれを選ばなかった。その部分を描きたいと思って、今、淡輪さんに向き合っています。
──葉子が暮らす家の大家の息子・快晴も気になる存在です。母親との関係にどこか複雑な空気が漂っていて、でも葉子にはためらいなく話しかけてくれる。その距離感がすごく高校生らしいというか、今後、彼が葉子の人生にどう関わっていくのか気になっています。
雁 そうですね。快晴くんは、まず「若い男の子を出したい」というところから考えていったキャラクターなんです。でも描きながら、つかみきれてない感じがずっとあって……。というのも、やっぱり少し複雑な背景を持っている子なので、描いている私自身が探りながら進んでいる部分があります。
ただ、一番若いキャラクターなので、変化が一番大きく出せるだろうな、という期待もあって。だからこそ難しいんですけど、その変化を描いていけたらいいなと思っています。
──葉子と母親の関係性も印象的でした。快晴くんの場合は、母親との確執が明らかに描かれていましたが、葉子の場合はそれが全然ない。地元に戻っても実家には帰らないし、葉子から出てきた言葉は「嫌い」ではなく「お母さんはがっかりしているのかも知れない」。これまでの母娘像とはまた少し違う視点だと感じました。

雁 母と娘の関係を描くのは昔から好きなんですけど、実は私自身には母との確執が特にないんです。
そして、葉子が抱えている「お母さんはがっかりしているのかも知れない」という気持ちは、いわゆる“がっかりされた”という意味ではなくて、「もっとできたはず」という、どちらかというとプラスの方向の感覚なんですよね。
お母さんをもっと喜ばせられるはずの自分がどこかにいて、それができなかった自分に対してがっかりしている、というか。
──なるほど。そう思ってしまうのは、弟の存在も大きそうですよね。
雁 そうですね。弟は家庭を持っていて、葉子からすれば、いわゆる“ちゃんとしてる”大人。対して自分はできなかった……そう思う気持ちがどこかにあるんじゃないかと思うんです。
でも、お母さんがそういうことで人を評価するタイプじゃないってことも、ちゃんとわかっている。だからよけいにしんどいんですよね。
なんか、先ほどの旅行の話に近い気がします。ひとりでいたほうが気楽だから、誘われるとめんどくさいのに、いざ誘われないと寂しい、みたいな(笑)。おそらく自分らしさといいますか、自分軸みたいなものがまだ揺れてるんでしょうね。
経験を重ねたからこそ「描くこと」への迷いも
──冒頭で、本作はご自身の年齢の変化と地続きのように、自然な流れで始まった連載だとおっしゃっていました。その自然さとは対照的に、創作にはどうしても取捨選択が伴うものだと思うのですが、描く際に「ここまでは描く」「これは描かない」といった線引きは、あらかじめ決めているのでしょうか?
雁 描くことと描かかないことの線引きは、正直、今もずっと迷っています。描きながら「あれは描いたほうがよかったかな」と思うこともあれば、「いや、描かなくてよかった」と思う瞬間もあって……。
それこそ、昔はもっとシンプルで、「描けると思ったことだけ描く」というスタイルだったので、迷いもなくスムーズだった気がするんです。
──年齢や経験を重ねたからこそ、生まれる迷いということでしょうか。
雁 そうなんですよね。いろいろな作品を描いてきた今、「これはもう描いた気がする」「これはまだ触れていない」という感覚が生まれてきて、そこからまた新たな迷いが始まるんです。本当は、どっちが正解かなんて自分で決めていいはずなんですけど、決めようとすると、また迷ってしまう(笑)。
──迷いがループしていく、と。
雁 描き終えたあともずっと「これでよかったのかな」と思う。でも、その迷いこそが、自分の創作のかたちなんじゃないかとも思っているんです。
描いたものには、いつも後悔の影がついてくる。でもそれは、否定の意味の後悔じゃなくて、「もうひとつの道もあり得たかもしれない」というものがチラッと頭をよぎる感覚みたいなもので……。
──創作の苦しみですね。
雁 常に、選ばなかったほうの道が遠くに見えている。でも、実際に歩いているのは自分が選んだこの道で。気づくと、その足跡が積み重なってひとつの歴史になっている。その感覚が、自分の生き方とすごく似ている気がします。
「この道で合っているのかな」と思いながら歩いているけれど、積み重なってしまえば、それはもう歴史なんですよね。
──積み重ってしまえば歴史。創作論としてはもちろん、生き方としても響くものがあります。
雁 『天守物語』(泉鏡花)っていう戯曲に「迷(まよい)の多い人間を、あわれとばかり思召せ」って言葉があって。その言葉がとても好きで、「どんな時代の人も迷いながら生きてるんだな」と感じたんです。
こんな軽いノリで言う言葉じゃないかもしれませんけど(笑)、でも本当に、迷いながらでも積み上げていかないと、道にすらならないんですよね。
──迷っている最中ってどうしても足が止まっているように感じてしまうので、その言葉に救われる人が多い気がします。
雁 40歳ぐらいのころかな……。人から「常識がない」と言われることもままあって、急に、自分がずっと不完全で不安定なまま生きてきてしまったような気がしたんです。でも、気づいたら、自分の作品を読んでくれる人がいて、社会ともちゃんと関わっていて。
そうなると「あれ? じゃあ私の意見も、ひとつの大人の意見なのでは?」って納得できた瞬間が来たんですよね。だから、今迷っている人もきっといつか自然とそう思えるんじゃないのかな、と思います。
“転転”という言葉に込められた意味
──なるほど。作中でも会話の中に登場しますが、改めて『起承転転』というタイトル、本当に素敵ですよね。今のお話を伺って、また違う響きを持った気がしました。そして“転転”という言葉。「職を転々とする」など少しネガティブな意味で使われがちですが、作品を読むほどすごく美しい言葉に思えてきます。
雁 ありがとうございます。作中では、葉子がお世話になった監督に俳優を辞めることを伝える場面で、その監督が「起承転転ってね」という話をするんですけど。実はあのセリフ、最初はボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」を引用しようと思っていたんですよ。

──えっ、そうだったんですか。
雁 まず、「まるで『ライク・ア・ローリング・ストーン』だね」っていうセリフにして、そのあと「起承転転だね」と続ける。ちょっと気取った感じで言う監督みたいな、そんな流れを想定していたんです。
でも、この曲って実は、転転と転がりながら、最後はそのまま死んじゃう……みたいなすごく惨めな女の歌なんですよね。で、葉子がその歌詞を調べてみるとそういった描写が続いていて。だから葉子としては「え、どういうつもり!?」ってなる(笑)。
──貴重な裏話をありがとうございました(笑)。最後に、『起承転転』が今後どうなってほしいか、あるいはご自身にとってどんな存在になったらいいと思いますか?
雁 先ほどもお話ししたとおり、日々「これでよかったのかな」と思いながら描いているんですが、私のその迷いの片鱗を読者の方が受け取って「あ、これでよかったんだ」と思ってくれたらうれしいなと思います。
それから「葉子は甘えすぎだ!」とか「好きじゃない!」みたいな、ちょっと手厳しい感想でもいいんです。むしろ、そういった意見が出てくることが、本当にうれしいんですよね。そこに“生きている人”として扱われている感じがして、すごく興奮します(笑)。
そうやって、この物語がフィクションではなく、どこかに実在している人の話として読まれていったら……それが一番うれしいです。
──ありがとうございます。20〜30代が多いQJWeb読者にとっては、葉子の物語はまだ未来の出来事かもしれませんが、それでもきっとどこか心に引っかかるものや、将来の自分につながる何かがある気がします。
雁 だといいですね。先ほど「結局どこまで行っても、人は完全な“個”にはなれない。所属や役割の中で生きる存在だ」とお話しされてましたけど、別に「属したくない」という気持ちはあっていい。
ただ、ひとりでもでもいいので、「この人にはあきらめられたくない」と思える相手がいると、いいんじゃないかなと思うんです。その人の前だけでは、ちゃんとしていたいと思えるような人。そういう存在がひとりでもいると、人は案外ちゃんと生きられるんじゃないかなと思います。
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『起承転転』1巻(太田出版)
50代、中年から初老へ。身体の不調、気力・体力・記憶力の減退、若者とのジェネレーションギャップ、親の介護問題、同世代の訃報……など“老い”のあれこれを突き付けられ、“加齢”に向き合う日々。
そんな50代に足を踏み入れた主人公・葉子の身に起こる「人生の新展開」。
仕事を辞めること。東京を離れること。何かをあきらめること。
──何者にもなれなかった私が、新しい自分と出会う物語。
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