不可思議/wonderboyが僕に遺したもの「あの日の代々木公園で待ち続けている」(文=狐火)

2025.5.18

文=狐火 編集=田島太陽


2011年6月、不慮の事故で亡くなったポエトリーラッパー、不可思議/wonderboy。

自分のふがいなさ、漠然とした不安、社会への違和感。胸に居座る曖昧な感情を切実な言葉に変え、語りかけるように歌う彼の楽曲は、亡くなってからもYouTubeや配信サイトから多くの人に届き、新たなリスナーを生み、日々の営みに火を灯し続けている。

彼はどのようなアーティストだったのか? 同じポエトリーラッパーとして活躍する狐火が、当時を回想し、今も続く感情を記す。

※この記事は『Quick Japan』vol.176に収録のコラムを転載したものです

結局、彼に会えたのはその一度きりだった

僕にとっての不可思議/wonderboyは、亡くなったあとに大きな存在となった。

ある日、彼は僕のライブのリハーサルに突然やってきて「絶対にやばいので聴いてください!」と言いデモCDを手渡し、ライブを観ることなく帰っていった。

当時、ポエトリーリーディングを主体としたラッパーは少なかったのでなんとなく名前は聞いたことがあった。時間はないが勇気がある青年という印象だった。結局、彼に会えたのはその一度きりだった。

その後、『SUMMER SONIC』への出演権をかけて争う『出れんの!?サマソニ!?』というオーディションに彼も僕も応募した。

きっかけは、前年にMOROHAがこのオーディションで賞を取り躍進を遂げたことだ。ポエトリーリーディングというジャンルが世間に浸透していなかった時代に頭ひとつ抜きん出ていた。徐々に有名になっていく姿に嫉妬した。僕はMOROHAにだけは絶対に負けたくなかった。いや、誰にも負けたくはなかった。きっと彼も少なからずそんな気持ちがあり、応募に踏みきったのだろう。

一次審査は、一般投票で票数の多い上位何組かが二次審査へ進める仕組みだった。中間発表は僕のほうが上位にいて、彼は二次への進出ギリギリのところにいた。

審査期間中の6月、僕は彼の所属するレーベル「LOW HIGH WHO?」の主宰者・Paranelさんと代々木公園でMVの撮影をしていた。撮影の終盤に「不可思議/wonderboyが狐火君に話したいことあるっていうから、呼んでいい?」と言われ、ふたりで彼を待った。梅雨の晴れ間の空が秋のように高く、空気が澄んでいて気持ちのよい日だった。

日が暮れても彼は現れず、「忘れてるんじゃないですか?」「いや、約束は必ず守るやつだよ」という会話を交わしながら待っていたが、連絡もつかなかったためその日は解散することとした。

翌日、不可思議/wonderboyが亡くなったことを知った。

故人が遺した作品が評価されるのは素晴らしいが

「北村匠海と不可思議/wonderboy」(『Quick Japan』vol.176より)
特集「北村匠海と不可思議/wonderboy」(『Quick Japan』vol.176より)

訃報のあと彼の一次審査の票数があっという間に僕を上回った。それは追悼の票だった。結果的に彼の最後の挑戦となった場所は、まるで献花台のようだった。それぞれの手の中にあった一票を、追悼ではなく、なぜ生きていた彼に見せてあげることができなかったのか。

一晩で順位を一気に抜かれてしまった生きている僕の気持ちなんて、きっと誰にもわからないだろう。

生きている人間にしか応援はできないのに。さまざまな感情が込み上げてきた。

今もなお残るこのときの感情が、不可思議/wonderboyが僕に遺したものだ。

彼が亡くなった翌月の7月7日に『POETORY FES 2011 〜不可思議/wonderboyに愛を込めて〜』というイベントが開催され、僕やMOROHAも出演し、最後にプロジェクターで不可思議/wonderboyのライブ映像が上映された。たくさんの方々に囲まれてとても温かいイベントだった。このイベントはその後、毎年7月7日に開催されポエトリーリーディングを代表するイベントのひとつとなった。

故人が遺した作品が評価されたり、その作品が誰かに寄り添ってくれることは素晴らしいことだと思うー方、もし僕なら死後に評価されたら悔しくて、死んでも死にきれず、きっと妖怪にでもなってしまうだろう。

不可思議/wonderboyに関するインタビュー等があるたびに彼の曲を聴き返しているが、聴くたびに捉え方が変わり、まだ僕の中で向き合いきれていない部分があることに気づかされる。

もしかしたら、彼も僕もまだあの日のオーディション会場にいるのかもしれない。もしくは、あの日の代々木公園で僕はまだ何かを待ち続けているのかもしれない。

狐火
(きつねび)1982年生まれ、福島県出身のラッパー。2012年、出勤前にスーツ姿で参加したオーディションを勝ち抜き、史上初めてポエトリーリーディングで『SUMMER SONIC』に出演。これまでに27枚のアルバムをリリースしている

特集:北村匠海と不可思議/wonderboy

2025年2月、北村匠海が初の監督作として、不可思議/wonderboyの楽曲「世界征服やめた」をモチーフにした短編映画を制作。それを記念し、『Quick Japan』vol.176では「北村匠海と不可思議/wonderboy」と題した特集を掲載している。

「北村匠海と不可思議/wonderboy」北村匠海・萩原利久・藤堂日向(『Quick Japan』vol.176)
『Quick Japan』vol.176

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(きつねび)1982年生まれ、福島県出身のラッパー。2012年、出勤前にスーツ姿で参加したオーディションを勝ち抜き、史上初めてポエトリーリーディングで『SUMMER SONIC』に出演。これまでに27枚のアルバムをリリースしている

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