「あのときの私と、あなたを救ってあげたい」──そう語るのは、歌手の和田彩花。15歳から24歳まで、女性アイドルグループ・アンジュルム(旧スマイレージ)のメンバーとして活動していた。
本連載では、和田彩花が毎月異なるテーマでエッセイを執筆。自身がアイドルとして活動するなかで、日常生活で気になった些細なことから、大きな違和感を覚えたことまで、“アイドル”ならではの問題意識をあぶり出す。今回のテーマは「アイドルと家族」。
目次
「アイドル卒業したら、結婚はどうする?」
“家族”ってなんだろう。私には理想の家族像もないし、家族を持つなんて夢を持つこともない人生だった。
もちろん、同性婚も夫婦別姓も叶わない婚姻制度を使う気なんてまったく持てないけど、そういう自分の立場としてというよりも以前に、“家族”というものに興味がなかった、のか、興味を持てなかったのか。
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昔、所属事務所でアイドルグループを卒業する相談をしているときに、「結婚はどうする?」と聞かれた。恋愛が発覚したら実質辞めさせられるような習慣を持っているアイドル界なのに、「結婚はどうする?」なんて。もちろん、興味ないと言った。
次に耳にした言葉は、「まわりにいい男がいないんだな」だった。はい、私のまわりにいる唯一の男性はスタッフだけなので、そりゃいい人間なんていないですよ。人としてどうかと思いますよ。
恋愛に興味がないことが許されない風潮
私は、10代後半から恋愛をして当然という風潮がいつも寂しかった。
なぜ、恋愛に興味を持たないといけないのか。なぜ、好きなタイプを聞かれて男性が前提になるのか。なぜ、それらを適当にあしらうと好きな男性俳優を聞き出そうとしてくるのか、訳がわからなかった。
ただただ興味がなかった。だけなのに、それが許されないような心地を感じた。
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ただ、もう少し丁寧に考えないといけないのは、アイドルという職業柄、男性は近くにいてはいけない存在、一緒に写真を撮られる状況を作り出してはいけない存在と認識され、私の人生の中で触れてはいけない存在として、長らくどこかに追いやられていたということ。
だけど、ステージに立てば、遥かに年上の、主に男性からさまざまな目を向けられてきたことも事実だ。興味のあるかもしれない(?)異性として認識する以前に、歪んだ環境が私のまわりにはあった。それが丁寧な説明だと思う。
とはいっても、私は好きな対象がどんな性であるかもわからないまま大人になったし、そのまま今を生きている。自分のそういう曖昧な感情をクリアにしたい気持ちもない。
恋愛に関しての冒険をするつもりもないし、自分の嗜好を知りたいとも思わない。ただ私と一緒にいてくれる人といるのが心地いいだけだった。
みんなの「あやちょ」のままでいるのが嫌だった
恋愛に興味がなく、結婚も、子供を持つことにも興味がない自分は、アイドルの適性があるとみなされるのにひどく心地悪さを感じた。
結婚せず、子供を持たなければ、私はみんなの「あやちょ」のままであるのだろうか。いつまでも、誰かにとっての私でしかいられないのだろうかと悩んだ。
なので、私はパートナーの存在を隠すことをやめた。言っても言わなくてもいい選択肢は残したくて、必要のあるときにしか話さない。
パートナーのステイタスを自分の価値かのように話す会話が嫌いだったので、パートナーの話をしなくても生きていける人間になりたかった。とはいっても、いつまでもみんなの「あやちょ」でいることが嫌だった。
もちろんアイドルという肩書を名乗る以上、ファンが私をどう楽しむかまで制限はできない。ただ、私はファンに対して疑似恋愛的な見せ方はしない努力をかなりしていることは伝えたい。
そして、ファンが私に疑似恋愛的な感情を持っていたとしても、ファンにとっての理想像であったとしても、私の外見も、身振りも、誰かのためにやる必要はなくて、私は私のために生きればいいのだと言いたい。
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時々、卑猥なコメントがDMで送られてくる。ファンの楽しみ方を私が制限できるものでないにしても、卑猥なコメントを相手に投げるのはやめてほしい。
または、水着の写真をSNSに投稿したアイドルのコメント欄にも同じことがいえる。
どう楽しむかはあなたの自由であるけれど、卑猥な言葉をわざわざ書き込む必要も、伝える必要もない。それは立派な嫌がらせにしかならないからだ。
そういうコメントをもらって喜ぶと思っているのであればあまりに思考が歪んでいるし、嫌がらせで送っているのだとしたら人として文字どおりクソだと思う。
家族よりも私を知ってくれている“ファン”という存在
若いときは、ファンとの関係を親戚みたいだと思った。
お客さんが入らなくなったライブツアーに来てくれた人たちの顔は、今でも思い出せる。グループの困難を一緒に乗り超えていくことで、心の距離はいつも近い場所にあった。
そんなファンを含めた仲間たちと大きなステージに立ったときは、とてもうれしかった。
私たちのグループを応援してくれたファンのみなさんは優しく、「メンバーの将来像をファンのみんなと話したんだ」と教えてくれたり、私があくびをしてしまったときには「気にしないで」と言ってくれたりするような人たちだった。
ファンとのコミュニケーションは、時には精神的な負担もあった。けれど、ライブを通して築いていける信頼関係を感じたりもした。
ファンとのよい出来事があまりに多かった。この関係をどう説明したらいいかわからない。今でも歩きながら時々みんなのことを考える。
今は「一緒に生きている」って感覚だとよく思う。グループにいたときのような、競争に挑む必要もないし、過酷なライブスケジュールを一緒に乗り超える必要もない。
現実社会にステージを移した私のいろんな経験を一緒に楽しんでくれている。時には、バッシングされる私を支えてくれて。
夢のようなステージで会うことはなくなって、現実ばかり突きつけてくる私の言動をおもしろがってくれて、いろんなかたちや場所でライブする喜びを分かち合ってくれる。
仕事での出来事について、今、一番素直に話をできるような相手でもある。それは友達とも違うし、一緒に暮らす家族とも違う。
だけど、時には友達よりも、家族よりも私のことを知っているのがファンだ。
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でも、友達と違うことがあるとしたら、やっぱりパートナーの話は自然には出てこない。むしろ避けている。
今年の私のテーマは、ファンにパートナーとの出来事も共有することだ。何を言っているんだと思うかもしれない。
けれど、これだけ自分のことをベラベラ話すのに、パートナーの話題を避けるのはなんか不自然だった。
あるとき思った。人生のステージが変わるプライベートな発表とかって、報道が出てから知るじゃない、世間的には。でも、いつも近くで支えてくれるファンの方にも、世間と同じタイミングでお知らせするのって悲しくない?と。
私はどちらかというと、世間に公表する前に、みんなには自分の口で話したいと思った。
パートナーとか、恋愛とか、結婚とか、そういう話だけファンに伝えないなんてそんな寂しいことある? これが私のみんなへの愛だ。
アイドル活動で犠牲になった“家族のかたち”
そんな私が、親と子で構成される“実の家族”という存在に向き合うようになったのは、アイドルグループを卒業した24歳くらいから。
仕事が落ち着いて、家族のもとに帰ると、家族のかたちは変わっていた。それが素直な感想だった。なぜ、こんなに家族関係をぎこちなく感じて、どうやって家にいればいいかもわからなかった。
時間をかけて、親と妹の話を聞いていくと、どうやら私の仕事が、家族の時間を、家族というかたちそのものも変えてしまったようだった。
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デビューした高校生のときは、親の送り迎えが必須だったので、母が私につきっきりで群馬と東京間を往復してくれた。年越しのライブが終わった深夜でも、母も父も車で群馬から迎えに来てくれた。そして1月2日からのライブのため、また朝早くに送迎してくれた。
小学校低学年のころまでよく行っていた夏の海や、冬のスキーにも行かなくなった。私を中心に家族が回るようになってしまったからだ。私だけでなく、妹が一番楽しみを奪われたと思う。きっと、親との時間も。
ステージでは、ああやってみんなにありがとうと言ってもらえて、グループを去ったけど、その犠牲のひとつに家族の存在があることは忘れられない。
もちろんそれぞれの家庭によって異なると思うけど、兄弟姉妹が犠牲になる経験はアイドル仲間からもよく耳にする。
私の家は、群馬と東京間の往復とはいえ、母も父も送迎に協力的だったからありがたかった。もし、親のどちらかしか協力してくれなかったら? シングルで子育てしている家庭だったら? 送り迎えによって、親の仕事も制限され、それは当然収入の減少につながる。
アイドルを続けられたのは、親の協力があってこそだった。若いころ、ひとりで帰るときにはよく新幹線で寝過ごして、越後湯沢駅まで着いてしまったことがある。終電だったので、親が越後湯沢駅まで車で迎えに来てくれた。
では、私がこんなことをしている間、妹は夕食の時間をどうやって過ごしたのだろう? そもそも妹の制服姿も見たことがなかった。
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だから、家族ってなんなのかわからない。家族と過ごした時間があまりに少なく、家族のかたちを変えてしまった私には、今でもわからない存在なのだ。
家族のことをこれ以上話すのは難しい。いろいろ事情がある。人に言えない悩みがある。悩みなんてないでしょうと言われるたびに家族を思い出す。それくらい、私の仕事は家族に影響を与えた。
ここでも書けないけど、そうやって生きていることだけ知ってほしいし、それぞれに苦しみとか問題を抱えているってことだけ忘れないでほしい。
だからか、よけい、家族を持つことへの理想も夢もなかった。
私に生きるヒントをくれたパートナー
そんな私を大きく変えたのは、パートナーの存在だ。
生きた民主主義のある場所で育ったパートナーは、私をどの属性にも当てはめずに、役割を押しつけることなく、私が私でいることを楽しんでくれた。
私がぐいぐい引っ張って、ニコニコしながら横にいてくれるのがパートナーだった。
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時々、親子の立場が逆転する我が家では、いつも私が怒っていた。親にも妹にも。私は、精神的な自律が足りないと感じる人へきつく当たった。
もっとこうしたらいいのに、もっとこうならなければいけないんじゃないって怒るたびに、パートナーは「親が元気なだけでいいんじゃない」と言った。私の興奮を、厳しさをうまく突き放した。
優しさを学んで生きてきた私には、生まれ持った優しさを持つ人を前に何も言えない。いつも、ハッとさせられる。私に足りないもの。
「私」として生きることが難しく、個人主義を徹底的に排除したように感じてきたアイドルの世界で感じた苦痛は、苦労から脱却するのにずいぶんと時間がかかる。家族というひとつのテーマにしたって、これだけ心は複雑になってしまっていてどうしようもない。
「私」を守るためには、世間が私を女に当てはめる結婚・出産から遠ざからなければいけなかった。そうやってでしか私の心の自由を守れなかった。
しかし、パートナーはそんな私に人としての時間を、生きるヒントをたくさんくれた。
人と一緒に時間を過ごすこと、休むこと、だらけること、おいしいものを食べること、ひとりきりで生きる必要はなく、誰かに頼っていいこと、やりたくないことはやらなくていいことのすべてを教えてくれた。
パートナーと一緒にいるとき、初めて心に平穏を感じた。社会的に当てはめる何かと争う必要もなかった。
初めて、この社会でどうあらなければいけないかではなく、自分がどうありたいかを考えられるようになった。同性婚も、夫婦別姓も、早く実現させてほしいといつまでも言い続けるけど。
“家族”という言葉がなくても、いい関係を築ける人たち
親と子で構成されるものだけが家族とは思わないし、正直今でも家族を持ちたいという願望は積極的には持てない。
けれど、親と子で構成される私の家族、パートナー、私を癒やしてくれる友達、物理的精神的に私を支えてくれる仕事で出会ったみんな、親戚のようだと思ったファンなどなど、近くで私を支えてくれて、私を好きでいてくれるいろんな人に囲まれて、これが私にとっての大切な関係なのだと思う。
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“家族”って言葉がなくても、私にとっていい関係を築けるいろんな人との人生がうれしい。
いろんな文脈で、いろんな人との関係があって、いろんなことを話して、そうやって心を豊かにしていくんだなって、この記事に登場するみんなに思わされている。