「あのときの私と、あなたを救ってあげたい」──そう語るのは、歌手の和田彩花。15歳から24歳まで、女性アイドルグループ・アンジュルム(旧スマイレージ)のメンバーとして活動していた。
本連載では、和田彩花が毎月異なるテーマでエッセイを執筆。自身がアイドルとして活動するなかで、日常生活で気になった些細なことから、大きな違和感を覚えたことまで、“アイドル”ならではの問題意識をあぶり出す。今回のテーマは「アイドルと自己表現」。
目次
朝起きてから、気分に合わせて服を選ぶ
小学生のころからおしゃれが大好きだった。
朝は床に服を並べて、色味、全体のバランスを見て、自分が納得できてから小学校に行った。スカートよりもジーンズを好んで、かわいい服よりもクールな服を着ていた。親は、大好きなファッションを最大限楽しませてくれた。
今も変わらず、朝起きてからその日の気分に合うコーディネートを決める。前日の夜に服を決めることはできない。その日の気分は朝決まるから。
そういうこだわりの強すぎる子供だった。今では、こだわりの強すぎる大人だ。
子供服のサイズが着られなくなるころには、次に着たいブランドを探すようになった。群馬のイオンにある「LIZ LISA(リズリサ)」というブランドにハマった。ここから、花柄やピンク、キュートな印象の服も好んで着るようになった。
さらに、アイドル仲間がリズリサを着ていたりすると、なんとなく人と被りたくないという気持ちでいっぱいになった。
「かわいい衣装は、私たちのためにある」と思えた
アイドルグループでデビューした15歳からは、ステージ衣装を着る機会も増えた。
デビューしたときの衣装はどれもかわいくて、お気に入りだった。こだわりの強い子供だった私から見ても、おしゃれで胸が高鳴った。
アイドルのかわいい衣装として想像する、ふわふわしたボリュームのあるスカートに、パステルカラーやフリルを使うことも「かわいい」である。
けれど、私がデビューしたときのアイドルグループ・スマイレージは、トレンドや細部のこだわりをふんだんに盛り込んだ「かわいい」だったと私は思う。
たとえば、デビュー時はサテンのようなツルッとした質感のジャケットに、ブルーの爽やかなシャツ、胸元には大ぶりなネックレスと、ヴィヴィアン・ウエストウッドのような惑星モチーフのネックレスをつけているのがなんともかわいらしい。足元には当時流行っていたブーティを。
アルバム『悪ガキッ①』の衣装では、赤チェックの大判なリボンがついたブラウスとタイトなショートパンツ、腰元にキラキラのチェーンをつけて、真っ赤なブーツを履いている。別パターンで着た、ニット生地のビスチェとスカートのセットアップにベレー帽の衣装も気に入っていた。
スカートも、かわいい衣装も、私たちのためにあると思えた。
私がデビューしたときに所属していたスマイレージのキャッチフレーズ「日本一スカートの短いアイドルグループ」について、当時どうかと思っていた、と話してくれる人もいる。
そんなとき、私の心の中にはなんのざわめきもない。「日本一スカートの短いアイドルグループ」というキャッチフレーズで着ていた衣装は、実はとてもいい思い出なのだ。
それを私たちがかわいいと思うのと、大人の(主に)男性が15歳の女子を見てかわいいと思う感覚は違う、ということをわざわざ書いておく。
きっと、その「かわいい」が私たちのものでなくなったと感じるとき、フェミニズムが私を助けてくれるのだろう。
なぜ「かわいい」と「セクシー」しか手段がないのか
その後、グループのメンバー、マネージャーさんが変わった。最初期のメンバーとスタッフさんが作り上げた「かわいい」のイメージを引き継ごうとしてくれたのだと思う。
けれど、メンバー、グループの雰囲気、年齢が変わっても、見るべきものがグループ結成当初のイメージであった「かわいい」を大ざっぱに解釈したもののように感じられた。
トレンドや細部にこだわったかわいさでも、私たちが着ていてかわいいと思えることでもなくなって、新曲が出るたび、スタッフさんが変わるたびに、各々が持つ「かわいい」のイメージに踊らされた、ような気がする。
もうすぐ20歳という年頃。15歳でデビューしたときの大勢が共有した印象である「かわいい」をイメージにされるのは無理があった。
こうやって話していると、緊急避妊薬を薬局で買えるようにするのは乱用が増えるとか言いながら、「No Means No」の認識も曖昧なまま、性加害者がじゅうぶんに罰せられないニュースを思い出す。今も2010年代も大して変わっていない。
かわいさもスカートも、私自身を無敵にしてくれるものではなくなった。
そして、年齢を重ねれば、次なる表現はなぜか「セクシー」だったのである。なぜ、変わらない「かわいさ」と、セクシーのふたつしか手段がなかったのだろうか。
自分の居場所はあっという間になくなった。成長させてくれないスカートの衣装は、いつしか憎いものとなった。
つらい私を支えてくれた、スタイリストさんの言葉
大人になろうとした私は、少女時代のメンバーのユナ、ユリのようになりたかった。ステージに立つ姿としてのロールモデルだった。
キャピキャピした子供っぽさではなく、クールでかっこいい表現をしたかった。そうなるためには、前髪はいらないと思ったので、伸ばすことにした。
前髪を伸ばしたとたん、ファンからもスタッフさんからも「前髪切らないの?」と言われ続けた。そう言われるたびに私の意志は否定された。この気持ちがわかるだろうか。ましてや、大人になりたい20歳前後の出来事だ。常にフラストレーションが溜まった。
この時期もつらかった。
今も時々、求められるアイドル像と本来の自分の姿の違いに悩んだことがあるか、とインタビューなどで聞かれる。
もちろん悩んだ。けれど、どう考えてもおかしいのは、そもそも「求められるアイドル像」が偏りすぎているのだ。なぜ、無垢で純粋で変わらない私か、セクシーな私のどちらかしか表現方法がないのだろうか。そんな場所に「私」があるものか。
メイクもネイルも、たとえ話を挙げたらきりがない。話し尽くせないので、大まかに書いてみると、派手な色のメイク、ネイルはすべて不自然だと言われる。濃い色を使えない理由は「アイドルだから」。
四六時中こんなストレスを感じて、時には直接言われて仕事しないといけないのだから、どうしようもなくなって、髪の毛を真っ赤にすると言って、抵抗し始めた。
そんなとき、私に声をかけてくれたのはスタイリストさんだった。
「あなたは派手な色に染まらなくても、もともと持った髪色でカッコよくなれるよ。『VOGUE』とか海外の雑誌が参考になると思う。あなたならそうなれるから」と言ってくれた。
この言葉は、今でも私を支えてくれている。「アイドルだから」ダメなのだと、否定するだけでは言葉足らずであることがよくわかるだろう。
そんな言葉をかけてくれた衣装さんは、フィッティングのたびに、私をより輝かせてくれる衣装やアクセサリーを用意してくれて、影で支えてくれた。変わった形のもの、大胆なものも、私の挑戦をあと押しするかのように着させてくれた。
誰かによって“よい”とされた無垢で純粋な姿、またはセクシーな姿ではなく、私による健康的でナチュラルな美しさを手に入れる計画の幕開けとなった。
メンバーやファンのおかげで「私」を取り戻せた
私による私の美しさを手に入れるためには、何を言われようが自分を貫くしか方法はなかった。どこがステージであるかは関係ない。私にとっては、「アイドル」の私を形作ろうとする人のいる場所すべてが見せ場だった。
ピンク色の服やスカートを脱ぎ捨て、変形したもの、メンズの大きめのシャツなどで自己表現し、決められた衣装では、センスでは物足りないのだと主張するかのように服を着て、仕事へ行った。そうやって、見せつけるのだ。
運がよかったのは、メイクもファッションも大好きなメンバーが集まっていた。そして各々にスタイルを持っていたので、お互いにかわいいと言い合いながら、「私」を作っていけた。みんなありがとう。
私はここまで来るのに、少し時間がかかった。同期のカンナギマロは、私よりも頭が冴えるし、きっと大人になるのも早かったのだろう。ずっと早くに自己表現を始めていた。
あのときの私には、マロの気持ちに寄り添える力がなかったから、とても後悔している。金髪にしてきたマロに「かわいい」ってすぐに言えたなら、また未来は変わっていたかもしれない。
それから、こう考える私を好きでいてくれたファンの存在も欠かせない。みんながいてくれたからこそ「私」を取り戻せた。だからこそ卒業ライブでは、パンツスタイルのドレスを選べた。それが私の美しさだと思えた。ありがとう。
とはいっても、24歳で卒業するその日まで、15歳のデビューしたころをイメージしたかわいらしい衣装も着た。
自分自身を取り戻せるようにはなったけど、卒業するときまで、まわりからはあのときのイメージを持たれ続けていたことがわかる。私には理解できなかったけど。
現実世界で考える、「私」個人としてどう生きたいか?
その後、現実世界が私のステージになった。
アイドルグループに所属していたときは、衣装を着てステージに立つ、または写真に写るときにどんな自分でいたいかばかり考えていた。やっぱり、コスチュームを着たときにそれらしく見せる振る舞いが必要だったみたいだ。
たとえば、お祝い事で着物やドレス、スーツを着たときのことを思い出してほしい。背筋が伸びたり、きれいに見える振る舞いが求められるように感じる経験があったりしないだろうか?
まさにその感覚が、アイドルの世界では常に求められたように感じる。
もちろんグループ卒業後も仕事を続けていたので、メディアに出るときの服装で何を示したいかはいつも考えている。けれど、何か違う。
アイドルとしてキラキラした衣装を着ていたときのように振る舞うと、自ずと「女性」という性に閉じ込められていく感覚が強かった。
コスチュームと、それに付随する振る舞いって、おそらく性役割のとても強い場所なんだろうな。着物では大股で急ぎ足では歩けないように。
私を見せればいい場所では、表現する性を決めたくなかった。
なので、なるべく自然でラフな自分の座り方、立ち方、振る舞い方から見直した。
「私」個人としてどう生きたいか、そんなテーマに向き合ってみる時間がやっと訪れた。
「これが私の美しさだからいいでしょう」
とはいっても、相変わらず日傘を差して、日焼け止めを塗って日焼け対策し、髪にストレートアイロンをかけ続け、筋肉が落ちて肌質が変わっていくことにも敏感だった。
現実社会でも、美の価値観は偏ったものばかりだ。
私はデビューした15歳から、まわりの子に比べて、肌が暗いことを気にしていた。撮影のたび、リハーサルで鏡に映るたび、衣装を着るたび、メイクをするたびに思った。誰かが美白が素敵だと教えてくれたわけじゃないのに、そう思っていた。
アイドルグループ卒業後に滞在していたフランスでは、さまざまな肌の色、目の色、髪の色の人たちと時間を過ごして、夏の日焼けを楽しむ文化にも影響を受けて、小学生以来こんがりと日焼けしてみたりした。
想像以上に、夏の太陽は自分に合っていた。楽しくて、たくさん薄着するようになった。日焼け止めの塗り直しすら気にせず。
日本に帰ってきてからも、私は太陽を楽しんだ。すごく焼けてるねって、ちょっと変なニュアンスが含まれた口調で言われても、なんとも思わなかった。むしろ、これが私の美しさだからいいでしょうって思えた。自分が誇らしかった。
ステージに立つときの美には、生活は、私個人は一切入り込む隙間がない。
今は、生活を楽しみ、私個人を充実させることでできる表現をやってみたい。それが私の生き方だと、胸を張って言える。