『セクシー田中さん』で描かれた「性被害とアフターピル」。作者が残したメッセージとは?(小川たまか)

2024.3.6

文=小川たまか 編集=高橋千里


2017年から『姉系プチコミック』(『姉プチ』)で連載されていた『セクシー田中さん』。2023年1月29日に、原作者・芦原妃名子さんの死去が報じられた。

性暴力・被害者支援の取材に注力しているライターの小川たまか氏が、本作で作者が伝えたかったメッセージを考える。

『セクシー田中さん』作者が大切に描いていたこと

『セクシー田中さん』を読んでみようと思った理由は、作者の芦原妃名子さんが、「性被害未遂・アフターピル・男性の生きづらさ」などの描写を「作品の核として大切に描いた」とブログに綴っていたことを知ったからです。

日頃、性暴力を取材しているライターとして、エンタメの中でそれがどう描かれているのかは気になります。数年前に突然ネット上で話題になったマンガ『連ちゃんパパ』の性暴力シーンについて記事を書いたことがありますが、今回もまた、「性被害未遂」や「アフターピル」がどんなふうに作品の中に登場するのかを見ていきたいと思います。

以下のレビューには、ネタバレが含まれます。

40代の田中さんと20代の朱里のシスターフッド

昼は地味で無口なOL、けれど実はベリーダンサーの「セクシー田中さん」(田中京子)。

そんな設定だけ知ったとき、私はついつい「地味な女性が本気出したら超絶美人だった」ってストーリーなのかと無意識のうちに思ってしまっていました。メガネを外したらスゴかった、みたいな。

しかし令和のマンガはそんなよくある展開ではなかった。私の発想が貧困でルッキズム的でした。

『セクシー田中さん』1巻/芦原妃名子/小学館

田中さんはベリーダンスの衣装に着替えて派手なメイクをしてもやっぱり40代相応のシワがある女性だし、特別美人なわけでもありません。

そしてAIのように正確に経理をこなす「しごでき」の一面を持ちながらも、自分に自信がなく、気を抜くとすぐに友達や恋人ができたことのない過去を思い出して背筋が曲がりがちです。

けれど主人公の(倉橋)朱里は、そんな田中さんに惹かれ、憧れます。

『セクシー田中さん』2巻/芦原妃名子/小学館

田中さんとは真逆のタイプである朱里もまた、自分に自信のない面を持つひとりの女性です。

朱里は23歳で、子供のころから「ぶっちゃけ引くほどモテた」くらいかわいく、明るい性格。婚活目的で合コンに参加すれば、すぐに男性から連絡先を聞かれます。

けれど、自分は男性からなめられがちだから「モテる」と知っていて、「今」の若さをフル活用しなければすぐ相手にされなくなるのではないかという焦りがあります。

モテるけれど交際してきた相手と心から通じ合えたことがないように感じている朱里と、これまで男性との交際経験のない田中さん。

朱里が田中さんに憧れて追いかけることで、いつの間にかふたりの間には、年齢を超えた不思議なシスターフッドが生まれます。

田中さんの恋愛における“メンター”になる朱里

自分が40代になってみて20代を振り返ったとき、あのころの自分に言ってあげたいことはたくさんあります。

恋愛するよりも前に自分の成長を大事にしろとか、恋愛に振り回されないように自立しろとか、もっと賢くあれとか……。

けれどあのころの自分がもし40代女性からそんなことを言われても、耳に入らなかったと思うのです。

当時20代だった自分から見て、40代女性はまったくといっていいほど目に入らない存在でした。そもそも身近にいなかったし。

そして今自分が40代になってみて、実際に20代に何かを言えるかといったら何も言えない。よけいなお節介だと思われることが、もう言う前からわかるから。やはり年代の壁はあることを感じてしまいます。

女性二人組
※画像はイメージです

『セクシー田中さん』のシスターフッドがおもしろいのは、年齢を超えて朱里と田中さんが友情で結ばれること。

さらにいえば、田中さんは朱里に対して何か「いいこと」を言うわけではなく、文字どおり背中で語ってその姿勢(スタイル、生き様)を見せるだけです。

一方、田中さんに影響されてベリーダンスを始めた朱里は、恋愛や性、あるいはメイクやファッションに関する話では、田中さんのメンター的存在になります。

年上から年下に教え諭すエピソードはなく、逆に年下の女性が年上の女性を包み込むように必要なことを伝える、それがお説教くさくなくていい。

特に恋愛と性に関して、朱里は田中さんのSOSにその都度応えます。朱里から先回って「教えてあげる」のではなく、戸惑う田中さんの求めに応じて、であるところがナイス。

「アフターピル」が登場するシーン

アフターピル(緊急避妊薬)のくだりも、朱里から田中さんへのセリフに登場します。

※画像はイメージです

田中さんがある男性と自宅でお酒を飲み、そのまま同衾(どうきん)してしまう事態が発生します。

相手の男性にも田中さんにも記憶がなく、驚いた男性がそのまま部屋を飛び出してしまって、残された田中さん。スマホで「初体験 お腹痛い」と検索して出てきた「性病」「処女膜」などの言葉に恐れおののきます。

心配して家に来た朱里は、田中さんの話を聞いて、

「酔った勢いで避妊もしてなかったらサイアクだし 場合によってはアフターピル飲んだ方がいいかもしれません」

と伝えます。現実的で大事なアドバイス。

このあと、結局何もなかったことがわかるのですが、ここで

「いくら酔ってても…私なんかとどうこうなろうなんてあり得ないですもんね…!!」
「自意識過剰すぎて恥ずかしい…!!」

と自己卑下する田中さんに向かって、朱里は言います。

「”こんなこと”じゃないですよ 初めてなら特に不安になって当たり前ですよ 女性なんだから」
「「私なんか」なんて 言わないでください」

うう、泣いちゃう。人に話しづらい性の悩みについて不安や恥ずかしさでたまらなくなったとき、こんなふうに寄り添ってくれる人がひとりでもいるか。そこ、すごく大事なところ。

ちなみに日本ではアフターピルが昨年末から限定的に薬局で試験販売されていますが(これまでは婦人科受診が必要でした)、海外に比べると高価で入手しづらい問題があります。

昨年私が訪れたフランスでは、薬局に行くと誰でも(観光客でも)、問診を受けることなく数百円で購入することができました。

女性が性の悩みや不安を我慢せず、カジュアルにオープンに話せる場所&空気がもっとあれば、アフターピルの議論ももう少し早く進んでいたのかもしれないと思ったりします。

※フランスでのアフターピル薬局販売についてはこちらの放送が詳しいです。
TBSラジオ『荻上チキ・Session』特集「荻上チキの取材報告~フランスに学ぶ子ども福祉と性教育

朱里が語る「危ない目に遭いかけたこと」とは

このとき朱里は、自分の過去についても少し話します。

話が少し脱線しますが、『セクシー田中さん』は登場人物それぞれが他者に向かって自己開示し、それをきっかけに変化&成長していきます。

田中さんを中心とする心理的安全性の保たれたコミュニティの中で、メインキャラたちが自分の過去と向き合い捉え直すさまが、本作の醍醐味だと思います。

さて、朱里からのアドバイスは続きます。

「ちなみに私は男性と二人きりで食事に行く時は よっぽど信頼するまで お酒は飲まないです」
「どうしても断りにくくなったら知り合いのバーを指定します」

若いのにしっかりしていると驚く田中さんに向かって、朱里は言います。

「合コン仲間が一度危ない目に遭いかけたことがあるんですよ… それから女友達とセーフティネット協定結んでます」
「本気でひどい男は稀だけど 自分が遭遇する可能性も0(ゼロ)ではないし 私は なめられがちなのでめっちゃ自意識過剰に用心してますよ!」

このとき朱里がさらっと話す「危ない目に遭いかけたこと」は伏線であり、しばらくあとの回で詳しく語られることになります。

レイプドラッグを想像させるエピソード

朱里が友人たちとある合コンに参加したときのこと。相手はスマートでコミュ力が高く、それなのにそろって「彼女がいない」と言います。

なんとなく違和感を覚えた朱里は一次会で帰ろうとしますが、先に男性と消えた友人が気になり連絡してみることに。

その友人から、連れ出された店のトイレに隠れていると告げられた朱里は、男友達とふたりで助けに向かいます。

詳細は書かれていませんが、友人の「急に酔いが回った」というセリフなどから、男たちが故意にアルコール度数の高いお酒を飲ませたか、もしくはレイプドラッグを使ったと想像されるシーンです。

朱里たちに助け出された友人は「警察行く?」という問いかけに「いい…しんどい…」とだけ答えます。

※画像はイメージです

そういえば、昨年の夏に美容外科医の男性ふたりが花火大会帰りの女子高校生をカラオケ店に連れ込み、酒を飲ませてわいせつ行為を行い、逮捕される事件がありました。

同様の被害相談があると報じられていましたが、その後、不起訴となったようです。関連記事も今はほとんど読むことができません。

朱里の言うように「本気でひどい男は稀」とはいえ、「自意識過剰」に用心しておかないと何かあったときに責められるのは悲しいことに被害者側です。

「ランドセル背負ってる頃からわかってる」の意味

『セクシー田中さん』3巻/芦原妃名子/小学館

男友達から「男なめてっからだよ!! 自分らがああいう奴らにどーゆー目で見られてっか自覚あんの!?」となじられた朱里は言います。「わかってるよ」と。

「ランドセル背負ってる頃からわかってる」

セリフの背景には、ランドセルを背負った小学生のころの朱里に声をかける中年男性の姿が描かれています。これが本作での私の一番の「ウッ」ポイントでした。

朱里はおそらく、小学生のころに「声かけ」か何かの被害に遭っているのではないかと推測されます。

「声かけ」は卑猥な声かけの場合もありますし、「猫を探すのを一緒に手伝って」などと子供に声をかけて人気のない場所に連れ込む、などの手口もあります。

たとえ直接的な接触を含む性被害に遭わずとも、違和感を覚え、その「声かけ」の意味を大人になってから知ってショックを受けることもあります。

まだ子供の自分が大人から性的な目線で見られていたと知ることは、自分の目に映っている社会がまるで別のものになるような残酷な経験です。

朱里が言う「ランドセル背負ってる頃からわかってる」というセリフを「わかる」と感じる女性は少なくないと思います。「一番痴漢被害に遭ったのは小学生のころだった」「小学生のころに強制わいせつの被害に遭った」など、幼少期の性被害を語る人は少なくありません。

「自覚あんの!?」と朱里は言われるけれど、気をつけないといけないなんてことは、とっくにわかってるんだよな。

このあとの朱里のセリフもまた泣けるのですが、さすがに書きすぎだと思いますので割愛。代わりに実態調査を引用します。

内閣府男女共同参画局の「こども・若者の性被害に関する状況等について」(2023年6月発表※1)では、若年層(16〜24歳)のうち4人に1人以上(26.4%)が何らかの性暴力被害に遭っていることがわかっています。

「最初に被害に遭った年齢」は「16〜18歳(高校生)」が最も多く35.9%ですが、「7〜12歳(小学生)」は13.7%、「13〜15歳(中学生)」は20.3%と、小・中学生での被害はけっして珍しくありません。

また、一般社団法人Springが2020年8月〜9月にかけてオンライン上で行った「性被害の実態調査アンケート」(回答数5911件※2)では、被害時の年齢を7〜12歳と答えた人が最も多く合計1699件で、全体の3割近くとなっています。

学校の教室

長々と書きましたが、『セクシー田中さん』の中で性被害未遂やアフターピルのシーンの分量が特別多いわけではありません。ただ、芦原さんが「作品の核として大切に描いた」と言うとおり、登場人物の中でも特に朱里の人物像の設定において重要な点だと思います。

一見ゆるふわでありながら、人に対する共感力が高く、それだけに普段は不安や自分の我慢を語ろうとしない朱里。田中さんと出会い影響を受ける一方で、朱里自身が田中さんをさまざまなかたちで助けることで、ふたりの間に正のスパイラルが生まれていくように見えます。

ふたりの関係や、それ以外の登場人物たちの人間関係がどうなっていくのか。最後まで見ることが叶わないのは大変残念ですが、芦原さんが作品に残したメッセージを丁寧に読み解いていくことが必要なように思います。

「…不安になると 世間の「常識」で つい相手を裁こうとしてしまう そのほうが楽なので」

連載中だった『姉プチ』所収の最新エピソードの中には、このような田中さんのセリフがありました。

不安や常識から解き放たれた田中さんの姿を芦原さんがどう描くのか、作品の中で見たかったなと思います。

(※1)「こども・若者の性被害に関する状況等について」(内閣府男女共同参画局)
国による若者に対する性被害実態調査や幼少期の性被害についての調査はこれまであまり例がなく、これから調査が続けられることが求められます。

(※2)「性被害の実態調査アンケート結果報告書①」(一般社団法人Spring)

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小川たまか

(おがわ・たまか)1980年、東京都品川区生まれ。文系大学院卒業後→フリーライター(2年)→編集プロダクション取締役(10年)→再びフリーライター(←イマココ)。2015年ごろから性暴力、被害者支援の取材に注力。著書に『「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を。』(タバブックス)、『告発..

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