子を持つ男親に、親になったことによる生活・自意識・人生観の変化を、匿名で赤裸々に独白してもらうルポルタージュ連載「ぼくたち、親になる」。聞き手は、離婚男性の匿名インタビュー集『ぼくたちの離婚』(角川新書)の著者であり、自身にも2歳の子供がいる稲田豊史氏。
第7回は、再婚相手との間に子供を作った個人事業主の男性。待望だった子供を授かったものの、予想外に大切なものを失ってしまったという。
現在、1歳のお子さんがいる砂井修吾さん(仮名)は過去、別の女性と「子供を望まないカップル」として平穏な同棲生活を送っていた。
しかし同棲から2年が過ぎ、砂井さんが中年期に差しかかったある夜のこと。突然、これからの人生が怖くなった。「このまま同一局面が永遠に続く地獄」と「自分が死んだら“途切れる”こと」を激しく恐れるようになったのだ。
砂井さんの出した結論は、子供を作ること。いわく、「自分の気を狂わせないためには、変化しつづける対象として子供が必要。子供さえいれば、同一局面が永遠に続く人生の地獄から脱することができる」「子や孫がいれば安らかに逝くことができる」
同棲していた彼女とは、ほどなくして離別。その後、子作り願望のある別の女性と結婚するが、子供を授かれないまま離婚する。しかし砂井さんはあきらめなかった。
※以下、砂井さんの語り
目次
「早く子供を作って、子育てしたい」
前の妻と離婚してすぐ、再婚のために動きました。目的は明確で、前の結婚では叶わなかった子供が欲しかったから。結婚相談所やマッチングアプリには頼りたくなかったので、友人が開催する会食やホームパーティー、BBQなどに、積極的に参加しました。
ただ、結婚相談所やマッチングアプリは結婚に際しての希望や条件──僕の場合は「子供が欲しい」──を前もって明示・確認できますが、友人の紹介や会食でそうはいきません。
今の御時世、初対面で独身かどうかを聞くのすらマナー違反ですし、恋人の有無や結婚願望、ましてや「子供が欲しいかどうか」なんてとても切り出せない。もどかしい日々が続きました。
今の妻、愛子と出会ったのは、ある会食の席です。彼女は今まで僕が交際してきた「僕と同じ匂いのするサブカル系」とはまったく違うタイプの女性でした。
体育会系で快活、体型はややふくよか。彼女いわく「昔は渋谷でガングロのコギャルだった」。サブカル知識はまったくないけど、なんというか、ものすごく地頭のいい、「賢い」人でした。
まったく未知の分野の話題も、言葉を尽くして説明すればすぐに勘どころをつかんでくれる。それでいて、愛子自身も話がうまい。論点はいつも整理されているし、平易な言葉だけで抽象的な概念も表現できる。語彙が多いわけではないのに、表現力が豊か。でもけっして「うるさいおしゃべり屋」じゃない。
社交的だけど出しゃばらない。奥ゆかしくて気配りもできる。酒の飲みっぷりも気持ちいい。すごく話したくなるし、話を聞きたくなる。同性の友達も異性の友達もたくさんいる。
ああ、いいなあ。こんな人と一緒に人生を歩めたらなあ、なんて思ってたら、なんの話の流れだったか、彼女が唐突に言ったんです。
「私、早く子供を作って、子育てしたいんですよ」
愛する妻との至福の日々
彼女との交際は、それはもう至福でした。趣味や生きてきた道のりがまったく違っていても、心を込めて言葉を駆使すれば、人と人とはここまで深く理解し合える。ここまで喜びに満ちた会話ができる。
前の妻やその前の同棲相手とは、「映画や本や芸術鑑賞の趣味が合う」ことで意気投合したのが交際のきっかけでした。でも、愛子との会話に感じる喜びは、ふたりを遥かに凌駕していたんです。
前妻や同棲相手がもたらしてくれたのは「似た者同士が一緒にいることで得られる快感」ですが、愛子は違いました。
会話によって異なる価値観をすり合わせ、相手を否定することなく理解度を高めていく。この過程が、とてつもなくエキサイティングで、多幸感にあふれていました。
この感覚、わかりますか? 自分という存在は一切侵されることなく、むしろ最高に尊重された状態のまま、世界の捉え方が劇的に変容していく。世界の奥深さを発見する。生涯の伴侶と生涯の親友と生涯のメンターを、同時に手に入れた気分でした。
絶え間ない言葉のセッションによって僕と愛子は結ばれていました。僕は愛子と話をするのが大好きで、寝ているとき以外は1分でも時間があれば彼女と会話がしたいと常に思っていました。いま僕が感じたことを、いま伝えたい。可能な限りの高い解像度で。言葉を尽くしたい。費やしたい。
目が覚めて、まず愛子と会話するのが楽しい。仕事を終えて、今日あったことを愛子に話すのが楽しい。時間なんて気にせず、互いの考えを理解し、議論し、通じ合う。これが僕たちの喜びであり、愛でした。
飽きることも倦(う)むこともない日が続きましたが、結婚して子供ができたことで、その喜びは失われてしまいました。
子供に奪われた「夫婦の会話」
乳幼児のいる家庭はどこも同じだと思いますが、夫婦のすべての時間を育児に取られました。誇張はありません。「すべて」です。
愛子自身の希望で彼女は妊娠を機に仕事を辞め、専業主婦として子育てに専念しました。当然ながら、彼女の全神経は100%子供に向きます。ぐずればあやし、おむつを替え、ご飯を作り、授乳し、寝かしつける。
朝から晩まで言葉の通じない乳幼児の世話をするのは、並大抵以上の忍耐力と精神力がなければできません。頭が下がります。それでいて彼女は僕に、私の分まで稼いでくれてありがとうと言ってくれていました。涙が出ます。
だけど、かつて僕と愛子の間にあった濃度の高いコミュニケーションが入り込む時間的・精神的余地は一切なくなりました。会話といえば、育児まわりの事務的な伝達事項のみ。あの素晴らしい、芸術的で至福の、言葉のセッションは失われてしまった。
子供は1歳から保育園に通い出し、送り迎えは僕が担当。愛子は時短勤務の仕事に復帰しましたが、状況は戻るどころか悪化しました。とにかく会話する時間がない。
夜、子供を寝かしつけてから夫婦の時間を作れるという人もいます。ただ、仕事復帰後の愛子は朝がとても早くなったので、子供を寝かしつけたらそのまま寝てしまいます。週末は溜まった家事を手分けして片づけるので、やっぱり落ち着いて話せる時間がない。
「会話の解像度が下がる」という不快
日々、愛子と話をしたくてたまらない。さっき見聞きしたこと。そこで感じたこと。ふと湧き起こった感情。愛と感謝。でも、それを話す時間が、伝える時間が、信じられないほど確保できないんです。5分としてゆっくり話せない。
時々、本当にごくまれに、週末、子供がリビングでひとり遊びに没頭しているとき、愛子と話すチャンスが訪れます。
だけど、かつてのように長考して「これしかない」という言葉をひねり出し、それらを丁寧に編み、綴り、彼女に投げかけ、僕の言葉を心いっぱいに染み込ませた彼女が、さらにじっくり練り上げた至高の言葉を返す、といったやりとりはできません。
ほかの子のことはわかりませんが、うちの1歳の子が、親のいる空間で注意を親以外に向けていられるのはほんの数十秒、長くて1〜2分です。愛子とは、その合間を縫って手早く情報のやりとりをするのが関の山。勢い、言葉のチョイスも組み合わせも雑になりました。
会話の解像度が著しく下がりました。これが耐えがたく不快なんです。なんなら醜悪ですらある。
1〜2分を過ぎれば、子供は親にかまってもらいたがって大声を上げるか、抱っこをねだります。そこで夫婦の会話はぶった切られる。もう戻りません。
たとえるなら、絶え間なく動き回る元気な子犬がいる部屋で、数千個のドミノを並べようとするようなもの。どだい無理な話なんです。
気持ちは「流れて」しまい、もう戻らない
ある平日の夜、けっこう大事な、ふたりの人生設計の話をしたいと思ったことがあります。日中に仕事でとある大きな出来事があり、その話がしたかったし、愛子の意見も聞きたかった。どうしても、その夜に。その夜でなければいけなかった。
子供はそろそろ寝る時間。愛子が寝かしつける前に話しておかなければ、妻も寝てしまう。それで、歯磨きを終わらせた子供がまったりしているのを見計らって、妻に話しかけました。
今回はうまく伝わりそう。そう思った瞬間、子供がぐずり出しました。愛子はぐずっている子供を1秒たりとも放っておけないたちなので、すぐに歩み寄ってあやし始めました。
愛子はそれでも、僕に「話、続けてくれていいよ」という目配せをしてくれましたが、続けるのは無理でした。子供が大声で騒ぎ、愛子がよしよしと言っている状況で、コミュニケーションの精密さなんて望めない。
とても大事な話です。狙った精度で伝えられないし、伝わらないのなら、話す意味がない。僕は一気に気持ちが失せ、「あ、もう大丈夫」と言ってしまいました。その夜にしか、その夜なればこそ100%伝えられそうだった僕の気持ちは、「流れて」しまったんです。
話す時間がないならLINEすれば、と友人に言われたことがあります。実際、その夜に話したかったことは、LINEの長文で伝え、愛子からもちゃんとした返事が来ました。
でも、そういうことじゃない。
僕は、愛子と話したかったんです。テキストではなく、言葉を交わしたかった。時間制限なしに、心ゆくまで。愛子とのそういう時間がとても愛おしかった。そういうことができる愛子がとても愛おしかった。
父が母に買ったケーキのこと
もちろん子供はかわいいですよ。目に入れても痛くない。もし僕の目の前で通り魔が我が子を襲おうとしたら、迷うことなく盾になって代わりに刺されます。
ただ、最近思い出したことがありました。僕が7歳だか8歳くらいのころの話です。
ある日、父が母の誕生日にホールケーキを買ってきました。あとで知ったことですが、そのケーキは母が前々から食べたいと父に言っていた有名なケーキ屋のものだったそうです。帰宅した父は、祖父、母、姉、僕の前でうやうやしくケーキの箱を開けました。
父は「お母さんの誕生日ケーキだから、お母さんに一番いい場所を食べてもらおう」と言って、自ら果物やデコレーションが集中している場所を切り分けて母に差し出しました。
だけど、僕はどうしても母のピースが食べたくなってしまい、母にねだったんです。すると優しい母は、嫌な顔ひとつせず僕にそれを譲ってくれました。
僕は喜々としてがっつきましたが、食べている途中に父を見ると、明らかに機嫌を損ねた表情をしていたのを、強烈に覚えています。父がポツリと言ったひと言は忘れられません。
「母さんに買ったんだ」
僕はそれから長らく、父のその態度が理解できませんでした。理解できないというより、「なんて大人げない、器の小さい人だ」とすら思っていました。
でも、今はよくわかります。子供がかわいいとか、かわいくないとかとは、まったく別の話です。父の心が小さいだなんてとんでもない。すごく人間的で、母に対する愛がとても大きい人だった。だからこそ、つい大人気なく、年端も行かない息子に苛立ってしまった。
父は典型的な昭和の厳父で言葉の少ない人でしたが、僕に手を上げたことは一度もありません。家族に不機嫌をぶつけたこともない。人格者です。
そんな父でさえ、妻への愛の形を息子に“食べられて”しまったことの残念さが、つい顔と言葉に出てしまった。
「母さんに買ったんだ」。この言葉が発されたことの意味は、今の僕にとってはとてつもなく重いんです。
妻以外の「外の人」と結びつきたくなる気持ち
僕は愛子という生涯最高の友と交流する至福を、子供を作ることによって失ったんです。この喪失感は、今までの人生で体験したことのないものでした。
今でも愛子への愛や信頼は揺らいでいません。だけど、最愛の妻との“あの芸術的な結びつき”はもう戻らない。「恋人と結婚相手は違う」の意味を、今までよりずっと我が事として思い知りました。
実は生まれて始めて、ある恐ろしい可能性について想像することができました。「ああ、こういう残念さの延長上に、“妻以外の人”と濃密な関係を結びたくなる気持ちが生まれるんだな」と。
無論、僕はそんなことはしません。しないけど、する人の気持ちを、初めてリアルに想像できたんです。
濃密な関係というのは、恋人的な初々しさとか、肉体関係を結びたいとか、そういう低級なものではありません。もっと「話」がしたいってことです。深度のある、時間をかけた、丁寧で、解像度の高いコミュニケーションがしたいってことです。
そういうことを子持ち夫婦の間で求め合うのは、贅沢なのでしょうか? そんなことを望むのだったら、最初から子供など作らないほうがよかったのでしょうか?
「子供を作ったら夫婦が安定した」の意味
会社勤めだった独身時代、僕にまだ子供願望がなかったころ、ふたりの同僚からこんな話をされました。
ひとりは後輩の既婚男性。当時、子供が生まれたばかりでした。
「うちは夫婦仲が最悪だったけど、子供を作ったことで安定したんですよ。僕も妻も相手への期待感や失望感みたいなのが一掃されて、子供に全リソースを注ぐようになったからです。相手を嫌いになってる暇がなくなりました。砂井さん、もし結婚して夫婦仲がギクシャクし出したら、子作りおすすめです」
もうひとりは同世代で離婚経験者の女性。子供はなし。学生時代の元彼に会ったらこんなことを言っていた、という話でした。
「彼、五大商社のひとつに入社して、20代のうちに一般職の女性と社内結婚したんだけど、高級取りだから奥さんは働く必要がなくて、専業主婦になったんですって。だけど奥さん、毎日やることがなくて暇だし、彼は毎日深夜まで帰ってこないからってどんどん鬱屈して、彼への風当たりが強くなった。それで彼の出した答えが、子供を作ること。子供を作ったら一気に安定したって言ってた。彼いわく『嫁にいいおもちゃを与えられた』だって」
ふたりとも「子供を作ったら夫婦が安定した」って話です。嫌な言い方をするなら、不仲な夫婦ほど、小さい子がいると「紛れる」って話です。
この安定って、いわゆる「子はかすがい」の鎹(かすがい)のことですよね。木材と木材をつなぎ止めておく金具。
でも鎹が必要なのは、自然状態でふたつの木材がくっついていないときですよね。木材同士に綺麗な切り込みが入っていて、その噛み合わせによって完璧にくっついているんだったら、鎹ってむしろ余計じゃないですか。ノイズでしかない。
だからね、もともと“完璧に仲のいい夫婦”が、その状態のまま、“完璧に仲のいい夫婦”であり続けたいなら、子供なんか作っちゃだめなんですよ、たぶん(笑)。
人生最大の取引
※以下、稲田氏の取材後所感
砂井さんは妻と子のどちらも大事だし、どちらも悪く言いたくない。その複雑な胸の内を、言葉を尽くして語り倒してもらった。取材時間は4時間以上にも及んだ。
前後編にわたる砂井さんの独白は、その一部だけを切り取った瞬間、大きく誤解される性質のものだ。ある段落、ある一文だけを恣意的に切り取れば、脊髄反射的な「子供を持つことについての覚悟が足りない」「贅沢すぎる」「わがまま言うな」「だったら子供なんて持つな」といった感想も出てくるだろう。どうか、前後編の一言一句まで読み込んでほしい。
砂井さんはけっして、子供を作ったことを後悔してるわけではない。こうも言っていた。
「子供がいない人生になるかもしれなかったときに襲ってきた圧倒的な恐怖、今思い出しても心臓がバクバクする地獄の日々を思えば、今は天国みたいなもの」
一得一失。あっちを手に入れたいなら、こっちを手放す必要がある。その人生最大級ともいえる究極の取引に、砂井さんは勇気をもって身を投じた。
その取引の収支は確実に「プラス」だったと思われる。その証拠が、「仲のいい夫婦でいたいなら、子供なんか作っちゃだめ」と言っていたときの、砂井さんの表情だ。
砂井さんは、明らかに微笑んでいた。
【連載「ぼくたち、親になる」】
子を持つ男親に、親になったことによる生活・自意識・人生観の変化を匿名で赤裸々に語ってもらう、独白形式のルポルタージュ。どんな語りも遮らず、価値判断を排し、傾聴に徹し、男親たちの言葉にとことん向き合うことでそのメンタリティを掘り下げ、分断の本質を探る。ここで明かされる「ものすごい本音」の数々は、けっして特別で極端な声ではない(かもしれない)。
本連載を通して描きたいこと:この匿名取材の果てには、何が待っているのか?
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