“テレビタレント”中山秀征を支えた志村けんの言葉「いつまでもバカでいろ」(マツコ会議)

てれびのスキマ

テレビっ子のライター“てれびのスキマ“が、昨日観た番組を記録する連載「きのうのテレビ」。バラエティやドキュメントの中で起こった名場面、名言、貴重な会話の数々を書き留めます。2020年から毎日欠かさず更新中。

『マツコ会議』(6月3日放送)

ゲストは中山秀征。肩書は「テレビタレント」だと胸を張る。そんな中山は「第2の吉川晃司オーディション」に合格してデビュー。マツコ「ナベプロどうかしてたと思う(笑)」。

入って3カ月ほどで歌も向いていないと言われ、芝居も向いてない。そんな1984年、渡辺プロにお笑いセクションが誕生。「BIG THURSDAY」が結成される。そこにのちの相方となる松野大介、石塚英彦、そして作家として三谷幸喜もいたという。お笑いタレントとしても挫折を味わった中山は、聞き手のような仕事を多くこなし、やがて司会者へとなっていった。1993年からの『TVおじゃマンボウ』以降、『ラジかるッ』『おもいッきりDON!』『DON!』『シューイチ』と、30年間途切れることなく生放送のMCをつづけているというのが、改めてものすごい。

「MCとして影響を受けたのは?」という質問には、精神的な部分では志村けんだと答える。司会をやっていくと、自然と利口になっていく。けれど志村は「いつまでもバカでいろ」と助言したそう。志村とは26年前に共演したことをきっかけに親密になり、約20年間、志村の誕生日会の幹事を務めたという。その誕生日会にはマツコも参加していたという意外な接点。マツコが乳首当てゲームが得意だったと無駄知識を得た。

本番が始まる前からしゃべっていて、終わったあともしゃべってるだとか、ロケバスでもしゃべってるのが、マツコと中山の大きな共通点だというのが興味深い。

そんな中山は「テレビをやっている人たちが、もうテレビは何もできないとか、テレビはつまんないとか言っちゃいけないと思うんだよね。テレビはできるよって言わないと」と言ってくれたのがとても心強くてうれしかった。それを耳が痛そうに聞くマツコ「グサッとくる。毎日500回くらい言ってる!(笑)」。

『あちこちオードリー』(5月31日放送)

ゲストは3回目となる「西の同期」ダイアンがひと組だけで登場。以前はMCとして天下を獲りたいと言っていた津田だが「ちょっと気持ち変わってきてんちゃうかな」と言う。「画が浮かばん」「生涯プレイヤーでいけるんかな」と。これに対しユースケ「だいぶ前から思ってたよ(笑)」。

オードリーもダイアンも4人とも人見知り。仲よくなった芸能人はほとんどいないという。MCとして緊張している女性タレントなどに本番前に話しかけられるかという話題になり、誰もできない。そんななか、井桁弘恵、髙橋ひかる、佐藤栞里には話しかけたことがあると胸を張る若林。ほとんど身内。

仲のいい芸能人を言って、低い次元でマウントを取り合うのが可笑しい。ユースケが川合俊一の名前を挙げると「FUJIFILMやん!」と津田が言って、すかさずユースケが「すっごい緑の!(笑)」と補足して笑い合うのがいかにもダイアンでおもしろかった。

「強い人に隠れてコソコソしていることに疲れた」という若林。「居心地いいところばっかにいてもダメ」じゃないかと言うが、津田が「もうええかなって思う」と笑うと共感する若林「ラジオと『あちこちオードリー』だけにしようかなって(笑)」。

1回目にゲストで来たときは、なんだかやりにくそうにしていたふた組だが、ノリが近く、回を追うごとに打ち解けて噛み合ったトークを繰り広げる4人。話題に上がったように「4人の韓国エステ旅」番組、めちゃくちゃ観たい。

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  • 【連載】きのうのテレビ(てれびのスキマ)

    毎夜ライフワークとしてテレビを観つづけ、テレビに関する著書やコラムを多数執筆する、てれびのスキマによる連載。昨日観た番組とそこで得た気づき、今日観たい番組などを毎日更新で綴る、2023年のテレビ鑑賞記録。

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1978年生まれ。ライター。テレビっ子。著書に『タモリ学』(イースト・プレス)、『1989年のテレビっ子』(双葉社)、『笑福亭鶴瓶論』(新潮社)、『全部やれ。日本テレビ えげつない勝ち方』(文藝春秋)など。

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