写真を撮ることにこだわりを持つアーティストやお笑い芸人による連載「QJWebカメラ部」。
月曜日は、加賀翔(かが屋)が担当。コント師として知られる一方で、芸人仲間などを撮影した写真の腕前にも定評があり、インスタグラムのフォロワーは10万人以上を誇る。そんな彼が、ついシャッターを切りたくなるのはどんな瞬間なのか。
芸人としての分岐点
第57回。今回はよしもと漫才劇場の写真。
僕は18歳のとき、同級生に「お笑いやってみない?」と誘われたことがきっかけで今がある。
高校を途中で辞めていたし、何か考えたり作ったりする人になりたいと漠然と思っていたので、何かになればと思いよしもとの養成所に入ることを決めた。
そこから一生懸命バイトをしてお金を貯め、引っ越しを決めたのだが、岡山から大阪へ行く前の最後の月に突然、同級生から「やっぱり建築士になりたい」と言われ、ひとりでの大阪行きが決定してしまう。
なぜ大阪にいるのかと困惑しながらひとりでコントをやってみたりしたものの状況は耐え難く、秋ごろにやっぱり地元に帰ると母に連絡したら「帰ってくるな」とぴしりと言われた。
帰れなくなりそれならばもうやるしかないとコントをがんばり始めたら、今度は風の噂で「漫才劇場というのができるらしくみんなコントはやらない方向になるらしい」と耳にし、がんじがらめの一年だった。
フタを開ければそんなことなかったのだが真に受けた僕はそれなら東京に行くしかないと大阪から出ることを決める。そんなよしもと漫才劇場に10年越しに初めて入ったので、さすがにくらくらした。かなり大きく分岐した瞬間だったと今になって思う。
初めての漫才劇場、どんなコントをして初舞台を踏むのだろうと思っていたが、僕の初マンゲキは『ヒーゴー音楽対決』という大平場ライブだった。「漫才」や「コント」ではなく、「ソウルパッション対決」という種目だった。
ソウルパッション前のロビーめっちゃかっこよかった。
加賀翔(かが屋)、中山莉子(私立恵比寿中学)、セントチヒロ・チッチ(BiSH)、長野凌大(原因は自分にある。)、林田洋平(ザ・マミィ)、森田美勇人が日替わりで担当し、それぞれが日常生活で見つけた「感情が動いた瞬間」を撮影する。