ラッキーが見ていた景色(ランジャタイ国崎)


池の向こう側の景気

さて、あたくしの実家には昔から、動物がたくさんいました。

子供の頃から犬猫に囲まれた生活をしていたので、

人間と犬と猫にあんまり境目がなく、人間はしゃべるし、犬は吠えるし、猫はよく鳴くなあという印象でぼんやりと過ごしていやした。

ここで良かったなあと思うことが、人や動物や出来事を、なんとなく、「ボヤーっ」とだけとらえて生きてきたので、

言葉よりも色や音のほうが先に「ぐわん」とくる感覚がずっと残っていて、それでいろいろ物事をとらえたりできるのが、すごく楽しかったりします。

子供のころ、どうしても言葉で伝えるのがまどろっこしくて、テレパシーとか、何かがあればもっと便利なのになあ、とも考えて

「どうしてこれ(言語)なんだろう?!」

そう、友達の干場くんに聞いたら

「でもその説明も!日本語だけどね〜!」

と、「してやったり」みたいなことを言われて、ケンカになったことがある。

そのケンカも、「なんだと!」「やるか!」「ふざけるんじゃない!!」「キィ〜!!」など、

めちゃくちゃ日本語で言い合いながらのケンカだったから、ほんと恥ずかしい。やんなっちゃう!

そんなあたくしですが、

昔、実家で「クロ」と「ラッキー」という2匹の犬を飼っていて、

高校2年生の時に、お父さんの仕事を手伝っていると、「クロ」が亡くなったと連絡が入った。

クロは老犬だったので、いつポックリいってもおかしくなかったが、当時高校2年生だった自分はかなりのショックで、今は泣かまいと、お父さんの仕事をなんとか手伝うのに必死だった。

家に帰ると、クロの亡骸は毛布に包まれ、優しくダンボールにおさまっていた。

小学校から飼っていたクロは

散歩が大好きだけれども、最近は年のせいでたびたび疲れて座ったり、よろけて倒れてしまったりすることがあった。

そんなクロが死んだから、

その日の散歩をするはずだった予定がパーになってしまった。

しょうがないから「ラッキー」と2人で近所をウロウロ散歩して、どうしようもない気持ちのまま帰ってきた。

翌日の早朝、朝4時。

夜のうちに『そうだ!』と思いつき、

クロの亡骸を「畑仕事で使う一輪車」に乗せて、上から毛布をして、いつも散歩している田んぼや山道を歩いてまわった。

今考えると「この人ヤババ!」となるが、

一緒に散歩した道を、もう一度、クロと歩きたかった。

ラッキーと、クロの一輪車をひいて、

毛布からクロの顔を出してやって、

いろいろ景色が見えるようにしてやって、

ゆっくりと山道を歩いた。

田舎の朝は早いので、2人くらい農家のおばちゃんとすれ違ったけど、変に思われただろうか。

それからしばらくして家に帰って、

起きてきた妹が、朝からまた号泣しているのを見て

「しょうがないちゃ、うんうん」

みたいなことを言って、過ごした。

それから1か月くらいが経ったとき、

「ラッキー」と散歩をしていた。

あたくしはいつもボーっとしていたので、

ヒモが「ピン!」となって、ハッと我にかえることがよくあった。

その日はずいぶん長いことたたずんでいたのか、

ラッキーが痺れをきらして、ヒモを引っ張って歩き出そうとしていた。

「ああ、ごめんねラッキー。」

『ハッ、ハッ、ハッ』

ラッキーがこっちを振り返る。

『、』

スンスン鼻息をたててこちらを見ている。

『、』

その時、なんでそんなこと聞いたのか、

よくわからないけど

「今日も暑いねラッキー。

オラの行きたいとこわかる??」

と聞いてみた。

『ハッハッハッ』

するとラッキーが、逆方向に歩き出した。

驚きながらもヒモに引っ張られてついていくと、

田んぼを抜けて、竹林をゆっくり進み、

竹のトンネルをくぐった先には

小さな川が流れている。

その川とはいえないくらいの、

小さな水の流れのその先に、その場所はある。

「、」

それは、

行きたいと頭の中で浮かべていた、

竹にかこまれた、小さな池だった。

『ハッハッハッー。』

ベロを出したラッキーが、暑そうにこちらを見ている。

その瞬間、言葉も、全部をこえてきた。

目に見えない、言葉では伝えられない、音でも、色でもない。

知らない。

知ったこっちゃない

伝わるはずのない、

なんともいえない、素晴らしく綺麗なものが、

全部をこえてきて

それを通じて、ラッキーがこちらを見ている。

『ハッハッハッー。』

竹がゆらゆら揺れて、

その背景を後ろにしたラッキーは、

嬉しそうに見えた。

たまたま、偶然だったかもしれない。

ラッキーがたまたま歩いた方向が、この池だっただけかもしれない。

よくわからない。

でもそれは、

ラッキーにとっては、どうでもいいことだったかもしれないけど、

自分にとっては、一生心に残る。とんでもない、素晴らしい瞬間になった。

それから高校を卒業して、

東京に行ってからも、田舎に帰ってくるたびに変わらない散歩の日々が続いた。

「あんたはラッキーと散歩をするために帰ってきとるな」

そう母親が言うくらいに、毎日散歩に出かけていて、

山を見たり、シーズン前の田んぼを2人で走り回ったり、休日の小学校の校庭で遊んだり、夏には山陰を歩き、冬には雪野原をグサグサ歩いた。

不思議に思っていたのは、

あの「小さい池」についたときに、いつもラッキーは池の反対側に行って、そこに座って、しばらくたたずむことだった。

お気に入りの場所なのか、なかなか動かない。

「?」

“まあ落ち着く場所なんだろうなあ”

そう思いながら、

また東京に戻って、

田舎に帰って、散歩して

また戻って、

そうして年月は過ぎていって

東京に来て、しばらくの、1月。

正月の朝に、

実家から連絡があった。

母親からの電話で、ラッキーが亡くなったという。

電話口でしくしく泣いている母親に、

「しょうがないちゃ、うんうん」

みたいなことを言って、過ごした。

不思議と涙が出なかったのは

田舎に帰ったら、ラッキーとばっかり散歩していたからだと思う。

ヒモに引っ張られて、ラッキーの行きたいとこに行き、おおよそ食べられる美味しいものは、たくさんあげた。

たくさん散歩して、笑って、走り回って

全力で遊んだ。

思い残すことはなかった。

しかしラッキーがいなくなってからは、

田舎に帰っても、外に出かける理由がなくて、困った。

散歩は好きだけど、

田舎は、1人で若者が畑道や山を歩いていたら、変に思われるので、なかなかそれもできない。

しょうがないので、家で猫たちと遊びながら、ぐーたら過ごす日々が続いた。

さらに、それから数年後。

田舎に帰ると、

家では

新しく子犬を飼っていて、名前を「コトラ」と言った。

リビングではしゃぐ子犬を見ながら、

犬も猫も大の苦手なお父さんは

「お母さん、また飼うてん。。アホやろ、、」

そう頭を抱えて、その父親の足周りをコトラは走り回り、ソファーにいる猫にちょっかいをかけ、猫が一目散に逃げていった。

「、、カズ散歩つれてけ。頼んちゃ、、」

うんざりしている父親に頼まれて、久々に散歩に出かけることにした。

玄関を開いた。

家の前からは、田んぼや山が大きく見える。

そこめがけて駆け出して、稲のいい匂いをかぎながら走った。

田んぼ道を走っているとき、横から見る田んぼの苗たちがザーッと綺麗に疾走していく風景が好きで、楽しくなってきた。

さらに久しぶりの散歩にテンションが上がって、

ふと、

あの「小さな池」に行きたくなり

コトラを連れて行くことにした。

田んぼを抜けて、竹林をゆっくり進み、

竹のトンネルをくぐった先には

小さな川が流れている。

その川とはいえないくらいの、

小さな水の流れのその先に、その場所はある。

小さな池につくと、

子犬と2人。

首輪のリードの紐をはずしてあげると、すぐはしゃいで走り回っていく。

クロもラッキーもいなくなったその場所で、子犬のコトラが走り回ってるのが、なんかヘンテコでおかしかった。

そのうちコトラは、池の周りを回って、

反対側に、

よくラッキーが休んでいた場所で座ると、あたりの草を食べだした。

「あっあぶない」と、あわてて追いかけて、

はしゃいだコトラを捕まえて、リードの紐をつけてバタバタしていると、

しゃがんでいたので、犬の目線になった。

池の向こう側の景色が見える。

反対側から景色を見るのは、はじめてだった。

ラッキーの目線で景色を見るのは、はじめてだった。

「、」

ようやくわかった。

ラッキーの目線の先には、

僕が立っていたのだ。

「、」

ラッキーは、

「、」

いつも僕を見ていたのだ。

知らなかった。

言葉がないから、わからなかった。

なんでいつもそこで座っているんだろうと思っていた。

いつも不思議に思っていた。

でも、今。

ラッキーは、この景色を見ていたことがわかった。

「、」

その瞬間は、

全部をこえて、やってきた。

「ラッキー。言うてくれんと。わからんて。」

竹がゆらゆら揺れて、川が小さく光りながら、僕もそこにいた、この景色が。

「、」

素晴らしい。景色だった。

素晴らしい。景色だった。

この地球に、もういない犬から見せてもらった

最高の景色だった。

しばらくその場所にたたずんでいたのか

リードの紐がピン!となった。

退屈そうにしているコトラに、

ごめんねと、散歩を再開した。

竹林を抜けて、思いっきり走る。

子犬のくせして足が速いコトラに、なんとか追いついていく。

田んぼ道を走る。

苗たちがザーッと綺麗に疾走していく。

「、」

もう地球にいない犬に、

「、」

なんとか、伝えてやりたい

「、」

言葉では届かない、知らない。

どうすればいいかわからない

「、」

それでも走っていく

「、」

山がにじむ。

夕日が赤く赤く、

「、」

足の裏側が熱い

「、」

すべて全力でこたえたい

「、」

子犬を見る。

嬉しそうに走っている。

「、」

きっと、くる。

「、」

いつか、やってくる。

「、」

いつか、

「、」

きっと、また

「、」

どこかで。

「、」

それは

「、」

その瞬間は、

「、」

全部をこえて、やってくる。

っぽくない??

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