『27時間テレビ』100kmマラソン優勝!モシモシいけ“OWV佐野との一騎打ち”を回想「ライバルでも、友達でもいよう」【サバイバルマラソン優勝への道】


“アスリート芸人”は数多くいるが、お笑いトリオ「モシモシ」のいけは、フルマラソンで3時間切りを達成するほどのスーパーランナー。お笑いと同じくらいの情熱をマラソンに注いでいる。

そんないけが、7月20日・21日に放送された『FNS27時間テレビ』(以下:『27時間テレビ』)の通し企画「100kmサバイバルマラソン」で優勝を果たした。

本連載では、マラソン優勝までの道のりを、いけ本人によるコラムでお届け。最終回は、本番当日の熱い戦いを振り返る。

「100kmサバイバルマラソン」で優勝しました!

はじめまして!
太田プロダクション芸歴7年目、お笑いトリオ「モシモシ」の、いけと申します。
普段はコントを中心に日々ネタを磨くお笑い芸人です。

新宿や下北沢でのライブを中心に、ちょこちょこネタ番組に出演しつつ、しっかりアルバイトで生活の軸を築き、持ち前のまじめさで着実に昇給し、人間としての尊厳を保てる程度の生計を立てて、やや湿り気の強いアパートで暮らす31歳。

ちゃんと若手芸人です。切実に、日の目を見たい、この僕が、いけです。

でも聞いてください、そんな僕が、
あの! あの『27時間テレビ』の! 学生時代からずっと観ていた、夏の始まりを告げる、おなじみの、あの! 『27時間テレビ』の!
「100kmサバイバルマラソン」で、

優勝しました!!!!

という、このコラム連載の第1回の書き出しのオマージュでの結果報告でした。けっこうおしゃれじゃないですか? そうでもないですか?

冗談はさておき、僕、優勝しました。

優勝後のインタビューのときに湧いて出てきた「夢みたい!」という言葉がそのとおりで、いまだに夢を見ているようです。
夢でないことを確認するために、毎朝、ゴールシーンの録画を確認します。
観れば観るほど、「夢……?」と思って、また巻き戻して再生する、そんな日々。

あの日の記憶は、正直ぼんやりしています。
100kmの道中も、ラストのトラックに入ってからも、ずっと曖昧な記憶です。

思い出されるのは、ラスト400m、競技場特有のプールサイドのようなあの匂い。強い日差しと青い空と、鮮やかな芝生のピッチ。吹奏楽部による“これぞ青春“な音色。ゴール前、突然脳に飛び込んできた、なんの脈略もない「白身魚のフライ」のイメージ画像。

これらの風景がぼやっと。五感でギリ感じ取れたものの精いっぱいの記憶です。
あんな素晴らしい体験ができたのに……もったいない。

あの日僕は間違いなく、人生で一番大きな経験をしました。
これまでの“いけの人生“にしては、あまりにも強すぎる刺激。

正直、あの日の感覚を書き起こすことは難しいです。そして、言語化することによって、夢から覚めてしまう気がして、なんだか切ないです。

ただ、僕が味わった気持ち、たくさんの大切な感情を、これから先の人生、けっして忘れないように、掘り起こした記憶をここに記しておきたいと思います。

これから書くことは、きれい事に聞こえるかもしれませんが、実際僕にとって、とってもきれいで、澄んだ思い出です。

有名な人しか走れないなんて、誰が決めたんだろう

本番前1週間の僕の心境は、「うれしさ3割、怖さ7割」でした。これは本番直前に書いたコラム第5回にもあるように、得体の知れない謎のプレッシャー的なものによるものでした。

しかし、いざスタートラインに立ったときには、「うれしさ9割、怖さ1割」になっていました。
僕の体は、ほぼうれしさであふれていました。意外と吹っ切れていました。

自分が『27時間テレビ』を構成する一要素になれていることが、舞い上がっていたわけではなく、冷静に噛みしめた上でうれしかったのです。怖さも受け入れられていました。いい意味で、飲まれていました。

では、残る「怖さ1割」はなんなのだろう。そんなモヤモヤを考えないようにしながら走っていた、たしか20km過ぎくらい、同じ太田プロの先輩のノッチさんが、僕の横で並走しながら、こう声をかけてくださいました。

「行くときはひるまず行くんだよ。いけの今後の人生のためにも、何も気にしなくていいから」

僕にとって、この言葉があまりにも刺さりすぎて。

世間的に無名の僕が、“もし優勝したら”の、未来。
たくさんの人に、気にするなと言われ、納得したつもりでいたけれど、それでも1mmだけ残っている不安。
叩かれるんじゃないか。話題として、弱いんじゃないか。「で、誰?」の嵐。
「怖さ」の1割はこれだったのだと思います。
そんな怖さを、ノッチさんが消し去ってくれました。

もちろん世間的に見れば無名なのは事実だし、そう言われるのを承知で出場しました。
その言葉をいただいてから、本当に吹っ切れました。

走りながら沸々と、
有名な人しか走れないなんて誰が決めたんだろう。
そう思えてきたのです。

有名とか無名とかどういう物差しなのか知らないし、僕にも名前はあるし、知ってくれている人がいて、僕に走ってほしいと推薦してくれた人がいて、心から応援してくれる人がいて、これが僕の生きてきた今日までの人生で。

そんな僕が名乗りを上げる舞台でもいいんじゃないか。
ネガティブな声をポジティブな力に変換する。
そのきっかけを与えてくれたノッチさんには、心から感謝しています。

心の整理は早々につきました。

キツいコースと暑さで、ダメージを受けた体

体のほうはどうだったかというと、それはもう、もちろんきつかったです。

一番きつかったのは、太ももの裏の張り。距離を重ねていくにつれてカチコチになる筋肉。これは僕の走り方の習性として、まず疲労感と痛みが出る場所です。

また、実際のコースは、テレビの画面越しで見るよりも、アップダウンが激しい。これはほんっとにやばいです。観てくれた人全員を連れて、あのコースをバスツアーしたい。走ってみてほしい、と言わないのが僕の優しさ。とにかくやばいのです。

繰り返される上りと下りの連続で、ダメージがどんどん蓄積されていきます。痛くなるものはもう仕方ないことなので、毎回の休憩で入念にマッサージしていただきました。

そして、暑さ。夜はかなり走りやすい気温でしたが、日が昇り出してからは日差しと湿度が気になり出しました。
気温は東京の暑さほどではないものの、とにかく体温を上げないよう工夫をしました。

両手には常に水を含んだスポンジを持ち、体を水で濡らし続けました。濡らした結果、途中お腹が冷えて腹痛に見舞われましたが、乾いたタオルをお腹に巻いて、対処しました。

眠気はカフェインに頼って吹き飛ばしました。集中力が切れたタイミングと、気合いを入れたいタイミングに限り、少ない回数で濃く摂取。

食事はかなりちゃんと取れました。正直もっと食べられないかと思ってました。
体が少しずつ固形物を受け付けなくなってきたころに、冷汁を作ってもらったのですが、これが最高。バクバク食えました。
暗い一室であぐらをかいて飯をかき込む、あさげのCMの如く。僕の100kmのパワーの源は、冷汁です。

100kmの道中はもちろん壁だらけだったけど、その壁に立ち向かうのではなく、うまくかわす。そんな気持ちで淡々と走り続けました。すべてはラスト、勝負の3kmのために。

「ラスト3km」から起きたこと

ラスト3kmのスタートの合図が鳴り、女性ランナーのスパートが始まりました。

このときの僕の心境は、「ああ、もう終われる」という安堵感と、「ここからペースを上げるのか」という絶望感でした。壁をかわしてきたつもりだったけど、97kmを走ってきたことによるシンプルな疲労が、心をネガティブな方向に引っ張っていました。

でも、やらなくちゃいけない。
女性ランナーの3分後、男性ランナースパートのクラクションが鳴りました。
初めは抑えました。勝負するための足は、最後の最後、そのときのために取っておかないといけなかったから。

ここからの記憶は断片的ですが、

「最初は抑えるよ~、焦らず、じわじわ」
「前、ちょっと速いなぁ」
「先頭まったく見えなくない?」
「え、え、ちょっとやばいよね?」
「俺、ちょ、俺ちょっと上げるよ? いい? いくよ?」

言葉にはもちろん出しませんが、僕を含む4名の集団の全員が、同じ映像を見ながら仮想のトークルームでチャットし合う感じ。理解し難いと思うけど、なんとなくそんな感覚。

とにかく遠かったです。取っておかなければいけない勝負の足を、消耗させないといけないくらい、前との差が縮まりませんでした。

主に、僕と佐野(文哉/OWV)くんのふたりで集団を引っ張り合いました。

集団を引っ張ることは、気力と体力を使います。なので、最後を見据えてなるべく誰かのうしろについていたい。引っ張ってもらいたい。でも、そんなことをしていられるほど前との距離が詰まってない。楽はしたい、でもやばい。

こんな思いを巡らせながら、お互いの体と息遣いを横目で意識し、数mm単位で前に出ては後退。言葉では表しきれないほど細かな攻防を繰り返していました。

気づけばラスト1km。僕たち4名の集団は、やっとのことで、先頭に立ちました。

ここまでで、僕の足はだいぶ消耗していました。呼吸も上がっていました。

このときの僕の心境は、「いい100kmだった」。
内心、勝負をあきらめていました。足も心も、疲れきっていました。

視界に入るのは、まだまだ元気な佐野くんのうしろ姿。横目に入ってくるワタリ(119)さん、森(渉)さんの肩の動き。視界に入る情報が、みるみる僕を疲弊させていきました。

その間も佐野くんはみるみるペースを上げていきます。体感、10段階くらいペースアップがあったかと思います。底知れないスタミナを感じました。
本当はもうない元気のスイッチを無理やりONにするために、帽子とサングラスを投げ捨てました。

ラスト400m、佐野くんとの一騎打ち!

ラスト400m、トラックに入りました。
佐野くんとの一騎討ちになりました。

佐野くんがまたペースを上げました。
ついていけませんでした。

「実はあのとき、まだ余裕あったんでしょ?」

よく聞かれるこの質問に、全力で回答します。
余裕なんて、あるわけないじゃないですか。

顔の歪みを見てもらえればわかると思います。
もがいたけど、届く気がしませんでした。
みるみる遠のいていく背中。
終わったな、と思いました。

バックストレートに差しかかり、差が3mくらいに広がったころです。
僕の脳内に突然、5つのことが、いっぺんに押し寄せてきました。

「この勝負、おもしろくしなきゃ」
きっとこれは、僕のギリ芸人としての意地。

「ここで負けるのは俺じゃない」
きっとこれは、僕のちっこいプライド。

「みんなに喜んでほしい」
きっとこれは、僕のシンプルな性格。

「結婚したい」
これは僕の、かねてからの願い。

「白身魚のフライ」の、画像。

これガチです。きれい事に聞こえるけど、ただただきれいな、事実です。
本当に急に。体感にして1秒。

間違ってキーボード押しちゃってたときのパワポのスライドショーみたいな。
ババババッと思いが流れてきました。

気づくと、心が「ウオォォォ!!!!」と叫んでいました。
かっこつけていうならば、覚醒……?
僕は、「勝ちたい」と思いました。

佐野くんに追いつきました。
最後のコーナーを曲がり、直線に入りました。

僕のすべて、体力とかそれどころではない、本当の意味での僕のすべてを振り絞りました。
胸の「モシモシ いけ」のゼッケンを、拳でポンッと叩きました。
心の中で、「俺だ」とつぶやきました。

一番で、ゴールテープを切りました。

限界の先へ!自分史上最高記録を達成

ラストの1kmは、2分53秒でした。

このタイムは、僕がマラソンを始めてから、一番速く走った1kmでした。
大会でも練習でも出したことのないタイム。「限界の先」へ行けた瞬間でした。

うずくまりたい気持ちよりも、一番に喜びを分かち合いたかったので、相方ふたりとハイタッチしました。腕を上げることすらしんどくて、このときばかりはトリオであることを後悔しました。と同時に、この3人だからこそ辿り着けた舞台なのだと再認識しました。

ともに戦ったランナーのみなさんのゴールを一緒に喜びたかったけど、もう顔すら上げる力も残っていませんでした。

真っ白な頭のまま、何かを考えるとか意識するとかできない状態で、本能のままインタビューに答えました。
気づけば、「あげちゃう!!!!」という謎のギャグ的な言葉を発していました。あれは僕のどの引き出しから出てきたのだろう。これも本能。

あのときウケのひとつも取れず、好青年なコメントしかできない僕は、つくづく芸人っぽくないな、と思いつつ、それでもいいや俺は俺だし、と思えるくらい、がんばった自分が好きでした。

彼女にプロポーズ、佐野くんとハグ…「たくさん泣きました」

そのあとは、たくさん泣きました。

彼女にプロポーズをしました。人生に一度きりのこの機会だけど、依然として頭は真っ白でした。がんばって言葉を紡ぎました。

彼女は泣いていました。一緒に泣きました。いろんな感情で胸がいっぱいで、涙を流す隙間もないくらいだったけど、それでも涙があふれ出ました。

一緒に練習を重ねてきた、(大倉)士門さんと抱き合いました。耳元で言葉をかけていただきました。人の喜びを自分のことのように喜んでくれる。士門さんだって同じランナーなのに。涙が止まりませんでした。

『深夜のハチミツ』メンバーの輪に飛び込みました。みんなが喜んでくれている、そのことがもううれしくてたまらなくて。カメラを忘れてぐちゃぐちゃになりました。

控室に帰りました。
最初から最後まで、どうしたってお互い意識せざるを得なかった、最高のライバル、佐野くんのもとへ行きました。

きっとこれからもなにかとライバルになることがあるかもだけど、友達でもいよう、と言って抱き合いました。
あのデッドヒートは、一生の宝物です。仮に僕が負けていても同じです。何度会話をしたって築ききれない、走りで通じ合えた、ふたりだけの、ものすごく特別で大切な関係ができました。

ともに戦った、もはや家族みたいなランナーのみなさんと、健闘を讃え合いました。すれ違うスタッフのみなさん、全員から祝福していただきました。

スマホを開くと、いかつい量のメッセージが届いていました。僕の人生じゃないみたいでした。

自分の家に帰り、荷解きしながら、また、じわっと泣きました。

「人生が色づいた」主人公になれた瞬間

あの日を越えて、くすぶっていた僕の人生が、なんだか色づいた気がしています。
光が差した、日の目を見られた、といえるかどうかはまだわかりません。これから次第です。

でも、いけの人生にしては大きすぎる一歩。
「人生を変えたい」と意気込んで立ったスタートライン。ゴールして、生活は今のところ大きくは変わっていません。ただ、もともと抱いていた感謝の気持ちがさらに成長し、これからの生きる指針が強く太くなりました。

「テレビの中の主人公になれるかもしれない」

そんな期待を抱いて走り、それが叶ったかどうかはわかりません。でも間違いなく、僕が見る世界の中で、僕はあのとき主人公でした。
それは、優勝という結果を抜きにしても、あの日に向けて立ち向かい、あの場を走った自分が誇らしく思えたからです。それは全ランナー同じです。

こんな気持ちを抱かせてくれた、この「100kmサバイバルマラソン」は、テレビとか、競技とか、それらを通り越した……何かです。めっちゃキツくて、めっちゃ考えさせられて、めっちゃ最高の、えげつない何かです。
正体にまでは辿り着いていないけど、この100kmには、ただただ感謝の気持ちでいっぱいです。

やっと色づいたこの人生を、これから先、さらに彩っていきたいと思います。
(訳:お仕事が欲しいです。モシモシとしての仕事、いけとしてマラソンの仕事、どっちも! もっとがんばらないと! バイトも好きで恵まれてるけどそろそろ卒業したいし、自炊もがんばるけど週2くらいで外に飲みに行きたい! いい家に引っ越したいとまでは言わないから、湿度に対策を講じたい! 甥っ子とかにちゃんとした額のお年玉あげたい! 好きなことでちゃんと食っていきたい! ありきたりな表現だけど、これがスタートライン。いけのこれからにどうぞご期待ください! よろしくお願いします!)

この経験をさせていただいた、支えていただいた、応援してくれたすべての方に、心から感謝します。

P.S.
終わってから食べたもので、一番感動したものは、「チキン南蛮」でした。
「白身魚のフライ」は、5日後くらいに惰性で食べました。
なぜあのときなぜ「白身魚のフライ」の画像が頭をよぎったのか。
そんなモヤモヤを抱えながら、今日も走りに行ってきます。

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Written by

いけ(モシモシ)

太田プロダクション所属、お笑いトリオ「モシモシ」のボケ担当。1992年11月4日生まれ、群馬県出身。おバカな設定と熱苦しい演技のコントを軸に活動中。『キングオブコント2023』、『M-1グランプリ2023』ともに準々決勝進出。『ツギクル芸人グランプリ2021』決勝進出。『ネタパレ』(フジテレビ)「ニ..

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