2015年2月、中一男子生徒殺害事件
解散後のソロ活動に関しては、皆、開放感と不安感を交えながら肯定的に語ってくれたが、T-PablowとYZERRの口から引退が仄めかされたのは印象的だった。前者は「最近、セカンドキャリアのことしか考えてないです。音楽はそんなに長くはやらないと思うんです。悔いのないようにちゃんと終えて、その後は料理人でもやろうかなって」「10代の頃からずっと“主人公”みたいなことをやってきて」「けど、もうそこはしんどいな」「あんな胃が痛い気持ち、ストレスがかかる感じを20代後半、30代のオレがもう1回やれるのか」。
後者は、自身が代表を務める会社=New Rich Entertainmentの経営の楽しさは「音楽以上ですね」、今後の音楽活動は「うーん、やってもいいかなって感じですね。いまは目の前に選択肢がありすぎて。逆に言うと何でもできるんですよ。何をやったら面白いですかね?」──というように。それはアーティストとしての価値を上げるためのブラフだったのかもしれないが、現在の日本のラップ・マーケットに彼らの上昇志向を受け止めるキャパシティがないことも確かだろう。これ以上を目指すとしたら、ラップ以外を選ぶしかない。
またYZERRは、BAD HOPのサクセス・ストーリーを支えてきた戦略について、コロナ禍の例えを使い、以下のように振り返ってくれた。「1波2波3波……っていう考え方が僕の中にあるんです」。そのままビジネス書にできそうな語りを聞きながら、New Rich Entertainmentの活動がいわゆるスタートアップのブームと重なっていることを思う。「1つ目の波を作るのは簡単で、それはある程度の才能があったら誰でもできる。BAD HOPで言うところの「Life Style」(2016)とか「Ocean View」(2017) がそうですね。それで、次の2波目がめちゃくちゃ大事。2波目にいけない奴も多いんです。僕たちで言うと「Kawasaki Drift」(2018)」。
「Life Style」(*5)と「Ocean View」(*6)は、MVが前者は横須賀市の海辺の公園で、後者は熱海市のよりリゾートっぽいスタジオで撮影されていることが象徴するように、ごく初期のミックステープで描いた工場地帯の煙った風景とは正反対のポップな楽曲。それらのバズが彼らの人気を決定的/全国的なものにしたことは確かだろう。やはり川崎区でキャロルを結成した矢沢永吉が、特にソロ以降、メロウでBGMとしても機能する楽曲をつくったからこそ広く受け入れられていったのと同じことだ。
不良は辛い現実に生きるからこそ、現実逃避を好む。一転、「Kawasaki Drift」はその現実を突きつけるようにハードコアなアプローチに回帰した楽曲。下敷きとなっているのは2015年2月、まさにBAD HOPがラップ・グループとして飛躍しかけていた時に彼らの地元で起こった、ある事件だ。
同事件=中一男子生徒殺害事件が少年問題やレイシズムなど、現代日本における課題を露わにしたという解釈に関しては、『ルポ 川崎』などで再三書いたのでここでは繰り返さない。ひとつだけ強調しておくと、当時、BAD HOPがSNSで宣言したのは、自分たちは事件とは無関係だが、確かに被害者/加害者たちは地元が同じであったし、また同じ抑圧の中で生きてきて、ただそこでのフラストレーションを暴力ではなく表現に昇華しようと考えているのだ、ということだ。
解散公演の最後に歌われた/歌わせた、「Kawasaki Drift」の「川崎区で有名になりたきゃ/ひと殺すか ラッパーになるかだ」というラインはまさにそのような思いから生まれてきた。そして同曲はヒップホップ/ラップ・ミュージックのジャンルを超えて、時代を象徴するものとなった。しかし「ひと殺すか ラッパーになるかだ」という5万人の合唱を聴いた時、高揚すると同時に胸が痛んだのは、選択肢の間違った方──「ひと殺す」しかなかった若者たちのことを考えてしまったからだ。
T-Pablowはインタヴューで、彼の名を一躍知らしめた〈高校生RAP選手権〉第4回大会の優勝後、メジャー・レーベルから契約金1億円を提示されたがそれを蹴り、地元の仲間とインディペンデントでやっていくことを選んだと振り返った。「はっきり言って、オレがメジャーに行っちゃってたら皆犯罪者ですよ。パクられて懲役行ってる奴らばっかだったと思います。そうさせないためのラップであり、BAD HOPだった。本当にそのひと言に尽きるんですよね。仲間がいい人生を送るため」。
それは素晴らしい話だ。一方で、BAD HOPは自分たちのキャリアを“奇跡”だと形容した。実際、日本のラップ・グループで、ハードな環境で生まれ育った幼馴染で結成して、これだけ芸術的にも商業的にも評価されたグループは他にいない。しかしそのような“奇跡”に恵まれず、「ひと殺す」──とまではいかなくても、泥々とした人生を歩まざるを得なかった若者は「Kawasaki Drift」をどう聴くのか。
「ひと殺す」しかない若者に寄り添うBAD HOP
『ルポ 川崎』の取材をしていた頃、川崎区の公園ではBAD HOPに憧れてサイファーを組んでいる少年たちがたくさんいた。彼らはいま何をしているのだろう。アポ電強盗で老女を殺した犯人や、フリースタイルバトルで負けて罰ゲームで川に飛び込まされ死亡した被害者が川崎区の若者だったと聞くと、いつかのあの少年ではないかと思ってしまう。もちろん東京ドームのステージに上がったCandeeやDeechのように、BAD HOPの後輩で、才能溢れ軌道に乗りつつあるラッパーもいる。
ただ「Kawasaki Drift」を、東京ドームに満ちていた高揚から離れ、いま改めてひとり部屋で聴き返してはっきりと感じるのは、「川崎区で有名になりたきゃ/ひと殺すか ラッパーになるかだ」というラインのボーストとアイロニーと共にある、誤解を恐れずに言えば「ひと殺す」しかなかった者に対する共感だ。それは、トリを務めるT-Pablowのひとつ前のパート──Benjazzyの「早死にした奴らの供え 手を伸ばす浮浪者と同じDNA/オレら隠せねぇ 毛並みからちげぇ/ミスりゃあとがねぇ ガキの憧れ」というラインとの呼応によって強調される。
『ルポ 川崎』に掲載されている中一男子殺害事件についての証言、「オレは、毎朝、事件が起こったところをランニングで通るんですけど、献花の場所はどんな面白いものを置くか、大喜利みたいになってましたよ。コンドームとか。あと、ごそごそしてる人がいるからなんだろうと思ったら、ホームレスが菓子を根こそぎ袋に詰めてて」という発言がバックグラウンドの説明になるだろう。「ひと殺す」者も、日々起こる事件に麻痺した者も、供え物を盗む者も、「ラッパーになる」者も、みな同じ街で何とか生きてきたのだ。
「Kawasaki Drift」は「ひと殺すか」「ラッパーになるか」──そのような二者択一で、後者=成功者の視点から前者を切り捨てる歌ではない。ラッパーの表現には、「ひと殺す」しかなかった人間の姿が重なる。だからこそ、いままさに岐路に立たされている人間の心にも響き、彼らを「ラッパーになる」道へと導くのだ。T-Pablowの「Kawasaki Drift」を経たラスト・アルバム『BAD HOP』のクライマックス「Empire Of The Sun」には、「拳や道具握るより殺傷能力たけぇオレのバースは/多くのヘッズを殺しそいつらがラッパーとして生まれ変わった」とある。ラッパーは「ひと殺す」しかなかった人間の価値観を殺し、ラッパーへと生まれ変わらせる。実際、いま最も注目されているラッパーのひとりだろうWatsonのリリックからは、かつていわゆる半グレ的ライフスタイルにハマっていたことが窺えるが、そんな彼は「人生変えたのはT-Pablowのパンチライン」(「Feel Alive」)と歌う。
たとえ“奇跡”に恵まれなかったとしても、「ひと殺す」よりもましな、「ひと殺す」思い、「ひと殺す」しかない環境を芸術として昇華できる道があるかもしれない。もちろん成功は保証されていない。ラッパーになることによって、より酷い状況に追い込まれるかもしれない。しかし岐路の片方の先にある、東京ドームのステージで5万人のiPhoneのライトに照らされるBAD HOPの姿は、人殺しよりずっと魅惑的なのだ。
磯部涼による連載「音楽のなる場所」の第3回は、2024年8月21日(水)ころの公開を予定しております。
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