妻を信じきれない40代エンジニアの「墓まで持っていく話」【#11/ぼくたち、親になる】

文=稲田豊史 イラスト=ヤギワタル 編集=高橋千里


子を持つ男親に、親になったことによる生活・自意識・人生観の変化を、匿名で赤裸々に独白してもらうルポルタージュ連載「ぼくたち、親になる」。聞き手は、離婚男性の匿名インタビュー集『ぼくたちの離婚』(角川新書)の著者であり、自身にも2歳の子供がいる稲田豊史氏。

第11回は、ふたりの娘がいるIT系エンジニアの40代男性。家族関係的にも経済的にも不自由なく暮らしているが、妻にとある疑念を抱いている。

※以下、村松さんの語り

「こうありたい」がない

昔から結婚に関して「こうありたい」というイメージを抱いたことが、一度もないんです。

だって、「あるべき家庭の姿」を思い描いて、誰かと結婚して、子供を作って、もしそれが実現できなかったらどうするんですか? 「理想像」なんていうハイリスク・ハイリターンの賭けにベットして(賭けて)外したら、悲惨極まりないでしょう。

だから、子供を作るにあたっても、ポジティブな期待も、ネガティブなイメージも、どちらも持ちませんでした。よく、子供ができると趣味に費やす時間が減るとか、仕事に没頭できなくなってキャリアに影響が出るとかいう人がいますよね。僕の場合、そこはまったく想像しなかったというか、リアリティがないまま作りました。

※画像はイメージです

よく男性で、育児によって自分が成長したとか、何かの達成感を味わったというようなことを語る人がいるけど、僕はそういう尺度で考えたことがありません。育児に関する予想外の事態も、「目の前に解決すべき問題が降ってきた」というだけのこと。何かロマンチックに語るような代物じゃないでしょう、育児なんて。

子供を作った理由ですか? うーん、そんなこと言われても(笑)。なんとなく、としか言いようがないです。もともと「こうありたい」がないので、確固たるビジョンのもとに子作りをしたわけではないんです。

メメント・モリ(死を想え)

育児は本当に仕事と同じで、夫婦で担当をきっちり分けすぎると、うまくいかないんです。基本は、余裕のある人がやる。「リソースに無理が出ないよう、動的に均衡させる」ってやつです。チーム単位で遂行する仕事とまったく一緒。

領分とか担当を属人的に決め込むと、自分が関与できない領域ができちゃうじゃないですか。これが夫婦の育児だと、もし妻がなんらかの理由で担当タスクをこなせなくなった場合、全体が回らなくなって、僕も不利益を被るでしょ。これは絶対に避けたかったんです。

要するに、軸足の半分を自分以外に置くような生き方が嫌なんですよ。そっちがコケたらこっちもコケるなんて、御免こうむりたい。昔から僕、基本的には「ひとりで生きていけないと、まずい」って思考なんです。パートナーも家族もいていいけど、いなくても何ら困らない人生でありたい。

妻も子供も大切ですが、究極的には執着がないんです。「いなきゃ死ぬ」とはならない。

うちの夫婦生活は、言ってみれば常時「メメント・モリ」状態なんですよ。毎日、いつ死んでも相手が困らないように、っていうマインドで生きてる。相手に依存しないし、期待もしない。「理想像」にはベットしない。

別に、何かに絶望してるわけじゃないんです。絶望というより、諦念かな。

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妻の真知子とは、この部分で波長が合っていると思います。「私、これが達成できないと嫌だ」みたいな考え方をしない点も、僕と似ている。どこへ行きたいとか、何が欲しいとか、こういう結婚生活がしたいとかが、一切ない。他人への変な執着や期待もしない。

ただ正直言うと、真知子を完全に信じきれてはいません。出会いは大学時代なので、知り合ってから30年近く経ちますが、いまだに本心を測りかねるところがあるんです。

妻は本当に僕のことが好きなのだろうか?

たとえば、なぜ海外移住を承諾してくれたかが、いまだにわからないんですよ。

真知子は結婚・出産後も、大手食品メーカーのラボで研究者として働いていましたが、僕に転職オファーが来たので家族で移住したい旨を相談したら、「いいんじゃない」のひと言で、あっさり承諾してくれました。

だけど……移住を提案した僕が言うのもなんですが、大手企業での輝かしいキャリアを捨てることを彼女が簡単に受け入れたのは、今もって謎です。

移住後、彼女は一切仕事をせず、Kindleでひたすら本を読んでいて楽しそうではありますが、自己実現的な部分やアイデンティティ的な部分をどう処理しているのか、まったくわかりません。

移住の話を持ちかけた当時、「ぶっちゃけ、もう働きたくないのよね」と僕に言ってはいました。ただ、本心かどうかの確信はいまだに持てないんです。

言葉どおり本当に就労意欲が減退していたところ、僕の転職と収入倍増話が渡りに船だったのか。あるいは、口ではそう言っているけど、本当はずっと何かを「我慢」しているのかもしれない。

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ただ、「本心はどうなの?」と問い詰めて「実は……」と言われたところで、困ってしまいます。もしかしたら関係性が変わってしまうかもしれない。だから聞きません。聞かなければ平穏な毎日が続いていくので。あえて自分から、ちゃぶ台をひっくり返すようなことはしませんよ(笑)。

それで言うと、さらに根本的に、長らく僕の中でくすぶっている疑念があります。果たして真知子は、本当に僕のことが好きなのだろうか?と。

互いが「最愛の人」ではない夫婦

なぜそんな疑念を抱くのか。それは、真知子と「メメント・モリ」的な意味で波長が合っている僕自身、真知子が「最愛の人」であるとは、必ずしも言いきれないからです。

実は僕、大学時代に真知子の前に付き合っていた元カノのことを、いまだに引きずっています。

その元カノ・美智子は、映画や本やアートといった文化的な趣味の波長が、真知子よりずっと僕に合っていました。僕と真知子の趣味がまったく合っていないというわけではありませんが、美智子には遠く及びません。

また、僕はパートナーから「愛している」といった言葉をたくさん欲しいタイプの人間ですが、美智子はものすごくそれを口にしてくれました。一方、真知子はまったく口にしない人です。

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元カノと現妻をそんなふうに比較するのが幼稚で愚かなことだと、頭ではわかっています。ただ、もし美智子が今、目の前に現れたら、僕は揺れてしまう。悩んでしまうでしょう。

つまり僕自身、妻の真知子を「生涯、最愛の人」と言いきることができないんです。ということは、僕と同じく「他人に依存しないし期待もしない」生き方を信条としている真知子だって、同じかもしれない。「最愛の人」が僕ではない可能性は、十分にある。

この疑念は一生、解消されないでしょうね。真知子に申告する気も、確認する気もないので。墓まで持っていく案件です。

ただ一方、こういうことを確認しない、言語化しない、可視化しないからこそ、この先も家庭は円満だ、とも言える。家庭円満って、いったい何なんでしょうね?

30年間の積み残し

たぶん、僕は基本的に他人を信じてないんです。

思い起こせば、そうなったきっかけも元カノの美智子でした。彼女と別れる引き金になったのは、彼女がある日の夕方に首に巻いてきた、僕が見たことのないマフラーです。

当時の僕は、そのとき感じたんですよ。「ああ、美智子は僕以外の人に気持ちが向いている」と。そのマフラーは、明らかに“僕に向けて巻いたもの”ではなかったので。

美智子に確認はしていません。確認しないまま、別れました。だけど、僕には絶望的な確信がありました。

その件は、今もって答え合わせがされていない、僕の人生における大きな「積み残し」です。上書きもリセットもされていない。僕はこの30年間、解かれていない問題を抱えてきました。30年間、「人の本心って、本当のところはどうなんだろう?」と虚空に問いながら生きてきました。

どんなに仲の良い、ほころびのない交際相手でも、長年連れ添った夫婦でも、本心なんてわからない。そういう疑念を、現在の妻である真知子にも、現在の自分自身にすら抱いているということです。

本質的には自分にしか興味がない

僕の子供たちも、大切は大切だけど、やっぱりどこまでいっても他人ですよ。本心なんて知る由もない。

実は、子供たちの趣味がなんなのか、どういうことに興味を持っているのかは、よくわからないんです。会話もするし関係性も良好ですが、子供たちは本心を僕に見せてくれない。

いや、僕が積極的に知ろうとしないだけなのかもしれませんが。

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結局、僕は、本質的には自分にしか興味がないんだと思います。そういう厨二っぽい考え方は親になったら変わる、と主張する人もいるけど、僕の場合、まったく変わりませんでした。

結婚しようが子供が生まれようが、僕の精神性には一切変化がなかったと言いきれる。今現在も、「美智子と別れた30年前の延長線上に立っている」という感覚が抜けきれていないんです。

これは妻や子供たちには絶対に言えないことですが……。今この瞬間、僕たち家族が歩いている歩道に、猛スピードのトラックが突っ込んできたとしましょう。そのとき、僕が子供たちや妻の身代わりになって死ねるか?と問われたら、「もちろん」とは即答できません。

その瞬間になってみないと、本当にわからないんです。もしかしたら、「妻や子供たちより、自分が生き残りたい」という気持ちが勝ってしまうかもしれない。

それこそ、この話は墓まで持っていきます。

「家庭円満」とは何か

※以下、聞き手・稲田氏の取材後所感

【連載「ぼくたち、親になる」】
子を持つ男親に、親になったことによる生活・自意識・人生観の変化を匿名で赤裸々に語ってもらう、独白形式のルポルタージュ。どんな語りも遮らず、価値判断を排し、傾聴に徹し、男親たちの言葉にとことん向き合うことでそのメンタリティを掘り下げ、分断の本質を探る。ここで明かされる「ものすごい本音」の数々は、けっして特別で極端な声ではない(かもしれない)。
本連載を通して描きたいこと:この匿名取材の果てには、何が待っているのか?

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稲田豊史

(いなだ・とよし)1974年愛知県生まれ。ライター・コラムニスト・編集者。映画配給会社、出版社を経て、2013年に独立。著書に『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ──コンテンツ消費の現在形』(光文社新書)、『ぼくたちの離婚』(角川新書)、『ポテトチップスと日本人 人生に寄り添う国民食の..

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