『げんしけん』が平成オタクに刺さる理由。心は現代視覚文化研究会にあり

2024.3.10

文=小林 私 編集=高橋千里


気鋭のシンガーソングライターで大のマンガ読みである小林私が、話題の作品や思い入れの深い作品を取り上げて、「私」的なエピソードとともにその魅力を綴る新連載「私的乱読記」。

今回は、2000〜2010年代に『月刊アフタヌーン』で連載され、テレビアニメ化もされた『げんしけん』。小林私が本作と出会い、人生が変わった理由とは。

人生と価値観を変えた『げんしけん』

数年前に友人に貸した『げんしけん』は今、高尾から千葉まで旅をしたらしい。いずれ返却されたときに読み直そうと思っていたのだが、ついに電子版で買い直してしまった。

起稿にあたって改めて読み進めていたのだが、思うように読めない。初めて読んだときの、ページを繰るたびの高揚感が、いや、ある。しかし、この物語のすべてを知ってしまっているせいで、つらい。

俺は折木奉太郎になれないし、日本ひきこもり協会に誘われないし、クリスマスに魔法少女が3人入った段ボールも届かなければ、酒癖の悪いボンデージの院生を追ってフランスに行くこともない。そうして斑目晴信に己を重ね、春日部咲に萌えたのだ。

小林私
小林私

ま、暗い話はさておき。『げんしけん』は人生を変えるマンガだ。いや、断続的なショックで半ば強制的に価値観を正常にされるというべきか。

俺は『げんしけん』と『シャニマス』に出会っていなければ、人間のことをパターンの集合として認識したまま人生を終えていただろう。

かつての自意識をこじらせたオタクに刺さる

『げんしけん』1巻/木尾士目/講談社

舞台となる現代視覚文化研究会は、サブカルチャーを愛する者たちの大学サークルである。

アニメ、マンガ、ゲーム、エロゲ、コスプレ、BLとさまざまな現代視覚文化を好むオタクたちの日常を描いたコメディだ。日常とひと口には言い難い繊細な心の機微を、それはもう見事に描いた作品である。

「君はあの時 ハナゲが出てたんだ!!!!」

あまりにも繊細なもんで、ここ一番というときのセリフがこれだ。でも、このセリフで泣かなかった読者はいないと思う。

『げんしけん』を語る上で斑目を語ったものは公式・非公式問わず無数にあるだろうし、怖くて怖くて『Spotted Flower』も読めていない俺が大して語ることもないのだが、ミュージシャンらしく一番好きなセリフ(たくさんある)のひとつを紹介しておこう。

自分の思いに気づき始めた斑目がばったり春日部と出くわし、高坂(真琴)と一緒に少しだけゲームをしたと聞かされたときのセリフがこれだ。

「別の星の人でいてほしかった」

『げんしけん』14巻/木尾士目/講談社

さて、話をもう少しエッセイ寄りに。

『げんしけん』の舞台では、一般人(初期の春日部咲)のオタク的知識はまだまだ「かくげーとかいうの」「あー……ぷらもでるですか……」程度。

俺の通っていた中学校ではラノベを読んでいたら気持ち悪がられたり、校内放送で初音ミクが流れたらブーイングが起きたり、二次元美少女のCDジャケットとあらば非オタの放送委員が差し止めたりと、田舎はまだそんな雰囲気だった。

今は比較的、オタクと一般人の垣根もなくなりつつある。それでも、深夜アニメをこっそり観たときの高揚感を肯定してやりたいと思う魂を抱える者もまだいるだろう。そういう香具師に、『げんしけん』は刺さる。

オタクであるということは、俺は自意識だと思うのだ。ファンとかマニア、シニカルや根暗とは似ているようでなんだか成分が違う。

俺が好きなものはキモくて結局世間には認められない!と卑下しながら、それを愛する自分も愛してやりたい。

インターネットで逆張り面しながらn番煎じの冷笑をして、おしゃれな感じもいけちゃいますみたいな奴らに負けねー!って気持ちを抱えながら、あっち側のほうが楽しそうだなと指くわえて見てる。

でもここまで来てしまったプライドを今さら払うわけにもいかないし、そんな俺カッケー……いやしかし……という逡巡。

でも、その自問自答を続けてる人と巡り合うと、何歳でも、どんな短時間でも不思議と友達になっている。小さな現代視覚文化研究会ができ上がるのだ。

コミケで体感した『げんしけん』の世界

去年、初めてコミケ(『げんしけん』でいうところの“コミフェス”)に参加した。学生のころにコミティアやボーマスに行ったことはあるが、コミケは初めてだった。

しかもサークル側。夏は友人の誘いで『ぼっち・ざ・ろっく!』の合同本に、冬はVTuber・薬袋カルテの合同本にイラスト寄稿兼売り子をやった。

『ぼざろ』合同はほかの参加者がほとんどイラストレーターだったこともあり、なんと壁サー。売り子は地獄みたいに忙しかったが楽しかった。

食べなきゃ死ぬけど食べる体力がない、という状態になり、おにぎり1個を20分くらいかけて食べたのを覚えている。

より印象深いのは冬コミ。活動当初から追っかけて、もう5年も前に引退してしまった薬袋カルテの同人誌を作らないか、と当時一緒に追っかけをやっていたネ友から誘いがあったのだ。引退以来連絡なんて取っていなかったのに、誘ってくれてうれしかった。

なによりうれしかったのは当日、通りすがりのオタクのひと言だ。

「この時代にこの名前を見かけるとはw 1部ください!」

学生時代にマンガで読んだ『げんしけん』の世界がそこにはあった。

オタク礼賛をしたいわけではない。むしろオタクほどオタクのことが嫌いだ。荻上千佳のように、己の浅ましさと反射させてしまう。それを棚上げして、俺のほうがまだマシなどと思う醜さも自覚する。

オタクは自分のことをツッコミだと思ってる、とはよくいうが、あれは「このオタク集団の中で俺は冷静なほうなんですよ」というアピールもあると思う。街で誰もよそのコミュニティなんて気にしてないのに、そういう自意識もオタクたらしめている一因だ。

それでも認めて飛び込まねばならない瞬間のきらめきの価値を、『げんしけん』を読んで知る。

小さな現代視覚文化研究会を作って

読み返していて思う。

自分を偽らずに前へ進んだ笹原完士と、隠したつもりになって停滞した斑目晴信は、無印から二代目で見事に対照的に描かれているではないか。

大きくは恋愛というものの中で、他者を客体化することのおぞましさ、対話を通した受容、完膚なきまでに失敗する重要性をこれでもかと。

その上で俺たちはいつまでもキャッキャと遊ぶのだ、小さな現代視覚文化研究会を作って。

連載「私的乱読記」は4月発売予定の『クイック・ジャパン』vol.171にも掲載。
『クイック・ジャパン』vol.171では、マンガ『ほしとんで』を取り上げます。
(※本連載は『クイック・ジャパン』と『QJWeb』での隔月掲載となります)

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小林 私

(こばやし・わたし)1999年1月18日生まれ、東京都あきる野市出身のシンガー・ソングライター。多摩美術大学在学時に本格的に音楽活動を始め、自室での弾き語り動画やYouTubeでのユニークな雑談配信も相まって注目を集める。2023年6月、キングレコードのHEROIC LINEからメジャー第1弾となる..

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