「カミングアウト」から「女子高生」まで──花王の国際カミングアウトデーでのツイートから考える「性と言葉」
どれだけの人が「カミングアウト」という言葉の本来の意味を知っているのだろうか。
ジェンダー・セクシュアリティの用語には、本来の用法とは異なる使われ方、あるいは根本の認識から異なった意味のまま定着してしまった言葉が多数ある。そうした例を挙げながら、適切な用法を知り、使うことの意義を考えていく。
「カミングアウトバラエティ」以降の世界
花王が10月11日の「国際カミングアウトデー」にシャンプーブランド・メリットの公式ツイッターアカウントで行った投稿が批難を呼んだ。国際カミングアウトデーは性的マイノリティの認知向上と尊厳の獲得のために設けられた記念日のひとつで、とりわけ当事者が自身のセクシュアリティをオープンにする「カミングアウト」という行為にフォーカスしたものだ。
#メリット ってどんなシャンプーなのか知らんし。
というあなたに話しかけています。
実は…#ノンシリコーン シャンプーなんですよ。
#国際カミングアウトデー ということで、
みなさんが知らなそうなことをカミングアウトしてみました。。。
世界との面し方が一変する、当事者にとって人生の重大な転換点となり得る「カミングアウト」が、なんらセクシュアリティと関係のない文脈で使われた。ごく軽薄な調子で。ただ、この件を受けて「こういう使い方ってまずいのか!」と冷や汗をかいた人は少なくないだろう。
「実は博多ではラーメンと同じくらいうどんが愛されている」とかその類の、他所の人があまり知らないローカルなあるあるネタを発表するというだけのことが、司会者の「カミングアウト!」のかけ声を受けて発表される長寿番組があった。
番組の正式名称は『カミングアウトバラエティ!! 秘密のケンミンSHOW』(日本テレビ)、前述した内容を踏まえるといかに当事者の尊厳を踏みにじるものであるかわかる。この後継番組は現在も放送されているが、2020年に『ディスカバリー・エンターテインメント 秘密のケンミンSHOW 極』に改題され、例のかけ声も廃止されている。ただし、先に上げた例のような「カミングアウト」の本来的でない使われ方を広める一助となったのは想像に難くない。
“こういうこと”は本当にごまんとある。
用法の誤り、あるいはより根本の認識の誤りが広まり、定着した例がいくつもあって、我々は日々気づかずに使ってしまっている。
あなたの「ジェンダーフリー」はどれだ
「カミングアウト」とはまた位相の違う話だけれど、「ジェンダーレス」や「ジェンダーフリー」もまた本来的ではない用法で使われることが多い言葉だ。
日本オリンピック委員会(JOC)の会長であった森喜朗がミソジニー発言によって批難を受けた件について、その孫娘はこう話した。
「そうですね。たぶん、悪気があったわけではないと思います。もちろん発言は不適切だったんですけれども。現代の日本の、なんていうんですかね、ジェンダーレスのことは確かにそこまですごく理解していたわけではないと思うんです。ただ、決して蔑視する意識がなかったことは家族はみんな分かっています」
『森喜朗氏の長女が告白「父が問題を理解するのは年齢的に難しい」』NEWSポストセブンより
文脈からして、意図しているのは「ジェンダー平等」、カタカナでそろえるなら「ジェンダーイクオリティ」のことだと推測できる。「まさにこれ」といったわかりやすい例だ。体系的な知識のある人ならば、こういう使われ方に引っかかりを覚えたことがあるのではないだろうか。
「ジェンダーレス」は振り切れて男性的とも女性的ともつかないシルエットのカットソーなど、主に衣類をはじめとした製品について用いられるのが一般的だ。また違ったニュアンスだけれど、「男女兼用」とだいたい同じ場面で使われるものといえる。
「ジェンダーフリー」に関しても同様に「ジェンダーイクオリティ」がふさわしいであろう場面で使われる例を日常的に見聞きする。ここから先は怖い話だ。
字面から「ジェンダーについての自由」といったニュアンスに読み解いてしまい、それが広まったということなのだろう。ただ、「オイルフリー」の化粧水が「オイルが入っていない」ものだということを踏まえればわかるとおり、この言葉が使われ始めた当初は「ジェンダー(という概念)の除外」といった意味合いのものだった。つまり多くの人がイメージするのと真逆の意味ということだ。差別構造や社会的抑圧など、解決すべきジェンダーの問題を思考から「除外」した世界の捉え方。そういった態度を批難するために専門家によって定義されたのが本来の「ジェンダーフリー」だ。それが日本でまったく異なる意味づけをされた、あるいは別ルートから和製英語的に発展していったのか。前述の衣服などに言う「ジェンダーフリー」の用法もどこかのタイミングで出現し、混在している。
そして現在。さっき言った“怖い話”だ。Googleで検索すると、ここまで挙げてきたような本来的でない認識に基づいて語彙をもっともらしく解説する記事が上位を占めてしまっているのだ。つまり、この先の未来も時間の経過と共にさらに広く深く誤謬が根づいていく環境が強固にでき上がっているということ。少なくとも筆者がこの記事の執筆に際してGoogle検索をした際には、思いきり見当違いな内容の記事が最上位に表示されていた。
こういうことはジェンダー・セクシュアリティの用語についてものすごくポピュラーな状況だ。できる範囲で記事の修正を要望するメッセージを送っているが、きりがないので、志を共にする人にはぜひ協力してほしい。
「ガールズパワー」からわかること
また別の例として、ここ数年女性向けの、しばしばフェミニズムに親和的なスタンスの広告などで見かける「ガールズパワー」という言葉について触れておきたい。端的にいえば、この言葉はジェンダー論やフェミニズムの歴史に存在しない。字面としてはほぼ一緒の「ガールパワー」ならあって、十中八九この誤表記と見ていいだろう。
重箱の隅をつつくようなことを……と思うかもしれない。同意見だ。このケースで問題なのは、字面そのものではなく、その根本の“認識”。平たくいえば「その間違え方するってことはわかってないよな」という話だ。
順を追って説明していく。まず何をおいても最初に語るべきことは、この「ガールパワー」にはモデルが存在するということ。「ブラックパワー」だ。
1960年代、つまり公民権運動の時代から掲げられている、黒人差別への抵抗のスローガンだ。「BLM」より遥か前から存在する、BLMと同種のキーワードといえる。ジェンダー・セクシュアリティに関する権利運動の多くは黒人の権利運動を手本にして発展してきた。「ガールパワー」はその代表例といえるだろう。原典に「’s」がつかないので、参照して作られた「ガールパワー」も同様に「’s」がつかない。
この経緯を知っていれば、「ガールズパワー」という間違い方はしないだろう、という話なのだ。借用している言葉の成り立ちをろくに調べもせず、リスペクトなしにただ乗りしているのではないかという疑念を持たざるを得ない。
「クィアベイティング」という概念がある。これは、クィア・性的マイノリティに“フレンドリー”なふうを装っているものの、表面的・パフォーマンス的・広告戦略的な域に留まっていて、実態が伴わないスタンスを指す言葉だ。“いい奴”だと思われるためにクィアを利用してるんじゃないか?という不信感を持たれるような深度、方向性の表象。各々思い浮かぶものがあるんじゃないだろうか。
日本にもすでに根深くクィアベイティングが蔓延っていて、我々は日々それを見分け、フェイク野郎たちから身を守る必要に迫られている。「ガールズパワー」という言葉遣いからは、同様に女性たちに向けられた“ベイティング”の匂いを感じ取ってしまう。
「男の体」も「女の体」も存在しない
また違った位相の例として、「男の体」「女の体」といった言い回しがある。「ガールズパワー」は認識が不十分なことが字面の間違いとして表出したもので、こちらは認識が誤っている例だ。言葉の誤用じゃなく、認識そのものが違う。ジェンダー論・クィアスタディーズではずいぶん前に否定され、もうこういう言い方はやめようという合意形成がなされている。
どういうことかというと、「男の体」「女の体」というものが自明のものである、間違いなく存在するという前提に立つと、トランスジェンダーの人々を「女の体を持っていない女」「男の体を持っていない男」と規定することになるからだ。他者に対して「女’」「男’」といった扱いをすることはけっしてあってはならない。だから、そうした価値観を温存する言葉遣いを正すため、コミュニティが尽力してきた。
一方で、当事者のTikTokerやYouTuberが「男の体」「女の体」といった表現を無反省に使っていたり、「元男の子」「元女の子」と名乗っていたりという例も存在する。「元男」「元女」といった表現も同様に、「男の体」「女の体」というものが存在するという前提に立つ語彙といえる。目先のキッチュさに惹かれて名乗るにしても、学術的には間違った言葉遣い・発想であるという点について説明していく責任がある。
「性同一性障害」「性転換」もまた、現在は認識ごと改められ、使われていない言葉だ。「障害」であると定義することで可視化を図る段階から進展し、病気扱いというスティグマを払拭するため、現在では「性別違和」という呼称で表現されている。「性転換」もまた「男の体」「女の体」からの“転換”という現在否定されている前提を元にした言葉遣いであり、現在は「性別適合手術」と呼ばれている。
使う言葉で示せること
何を言うか、何を言わないかに尊重が表れる。これまでに挙げた言葉の背景にはいずれも、その適切な使われ方の周知に努めた先達、コミュニティの途方もない貢献の歴史がある。適切な用法を知り、使うことによってリスペクトを示していきたい。
それは何もアカデミックな言葉に限った話じゃない。こうしたイシューは生活の中にこそあって、だからこそ日々実践していける。たとえば「女子高生」という言葉を使うのをやめ、取り立てて性別を示す必要がない限りただ「高校生」とだけ言うことにしてみる。そうしたときに表現できるのは、他者に対して無闇やたらと女であることを特徴づけないというスタンスだ。
まだまだある。「イクメン」はどうだろうか? イクメンってなんだったっけ? 自分の子供の子育てをする男とかそんな意味だった。それって「父親」じゃないのか? 「イクメン」という言葉で「父親」の一部を切り離して規定したとき、無化するものがないだろうか。そういった精査を一つひとつやってみる。何も特別なことじゃない。これまでにもやってきたはずだ。あなたは「看護婦」や「スチュワーデス」をもう使っていないのだから。
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