あけましておめでとうございます。アニメ作品を軸に社会現象を読み解く「藤津亮太のクイックジャーナル」新年第1回は、1月2日に第5話が放送される『「鬼滅の刃」遊郭編』(フジテレビ)を入口に、吉原遊郭はアニメの中でどう描かれてきたのかを考察します。
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『「鬼滅の刃」遊郭編』のキーワード「羅生門河岸」とは
2021年2月5日、アニメ『「鬼滅の刃」遊郭編』がついにスタートした。「遊郭編」は吉原の遊郭に潜む鬼を退治するため、主人公・竈門炭治郎たちが音柱・宇髄天元と共に潜入捜査を開始する、というストーリー。舞台となる吉原の遊郭は、いうまでもなく江戸時代からつづく一大歓楽街で、そこは貧しい親によって身売りされた女性たちが働く「苦界」でもあった。吉原遊郭の光と影は『鬼滅の刃』をはじめとするアニメの中でどう描かれてきただろうか。なお、江戸時代に遊女は女郎と呼ばれていたが、ここではより広い意味で使われている遊女で統一した。
吉原遊郭は、広さ20700坪のおおむね長方形をした土地で、周囲は黒板塀で囲まれ、さらに周囲には「お歯黒どぶ」と呼ばれた堀があった。「お歯黒どぶ」は、お歯黒の液を捨てられたため水が黒く濁ったことから名づけられたという。そして、不審者の侵入と遊女の脱走を防ぐため唯一設けられた出入り口として大門があった。江戸時代にはこの中に、遊女やそのほかの職業の人間など1万人が住んでいたという。
炭治郎たちは「遊郭編」第2話でついにこの吉原遊郭に足を踏み入れる。このとき、くぐっているのが大門。時代劇などに出てくる大門は黒塗り板葺きの冠木門だが、ここでは明治40年に建設された、金属製のアーチを持つ大門が描かれている。アーチの上に飾られているのは竜宮城の乙姫の像である。この大門は、豪華な遊郭のセットで知られる実写映画『吉原炎上』にも登場する。同作は明治40年から44年を舞台にしているが、比較的時期が近い吉原遊廓を舞台にしていることもあり、『鬼滅』のスタッフも参考にしたのではないだろうか。
大門をくぐった炭治郎たちは、吉原のメインストリート「仲之町」の賑わいに圧倒される。画面では紅葉が並木になっているが、これは通りの中央に植木棚があり、季節の植物が植えられていたからだ。桜の季節にはここは桜並木にもなったという。また劇中でも描かれたとおり「仲之町」は花魁道中が行われる場所でもあり、一種の“広場”の機能も持っていた。
宇髄天元は、女衒を装ったのであろう。女装させた炭治郎たちをさまざまな遊女屋に押し込んでいく。ちなみに諸国を回って娘を集めてくるのを山女衒、親に頼まれて娘の身売り先を斡旋するのを町女衒と呼ぶそうだ。
では当時、娘たちはどれぐらいの値段で売られていたのか。『江戸の色町 遊女と吉原の歴史 江戸文化から見た吉原と遊女の生活』(安藤優一郎/カンゼン)によると、貧農の娘は3両から5両で売られていたという。また、下級武士の娘だと18両で自らを身売りした例があるとも書かれている、この「身売り」の金額が遊女の借金となり、彼女たちは日々の仕事を通じてこの借金を返していくことになる。
*米価で換算した場合、1両(幕末期)は現在のおよそ4000円~10000円(『日本銀行金融研究所貨幣博物館』「お金の歴史に関するFAQ」参照)
同書には大正時代の吉原について次のような記述がある。「1926年(大正15)の段階で、吉原には貸座敷が二千二百九十四軒もあり、引手茶屋は四十三軒、遊女は二千五十七名を数えた」。吉原も大きな被害を受けた関東大震災(1923年)後でも、2000人を超える遊女が働いていたとすると、炭治郎たちが訪れた大正初期(原作では細かく言及されていないが、ファンなどの考察では大正初期ではないかと推定されている)はそれ以上の賑わいだったのではないだろうか。
「影」の部分を象徴するような場所といえる。また鬼を題材とする『鬼滅』だけに、羅生門という単語はとてもしっくりとなじんでもいる。
『天保異聞 妖奇士』の鮮烈なコントラスト
この「切見世」をドラマの重要な舞台として組み込んだのが『天保異聞 妖奇士』だ。同作は天保14年(1843年)を舞台にした伝奇時代劇で、吉原遊廓が舞台になるのは説十四「胡蝶舞」と説十五「羅生門河岸の女」の2話。この2話は遊女の連続殺人を扱った連続エピソードだ。
エピソードはまず、本所深川の岡場所が手入れに合い、そこで捕まった遊女たちが吉原遊郭で働くように命じられるシーンから始まる。
江戸時代、幕府公認の遊郭は吉原だけ。それ以外の場所は非公認の私娼窟で、江戸の各地にあった私娼窟が岡場所と呼ばれていた。ところが天保の改革で、この岡場所が次々と潰されていく。そうした状況がこのシーンの背景にある。また手入れにあった岡場所の私娼たちは吉原で競りにかけられ、吉原で働くことになったという。
役所に捕えられた岡場所の私娼が、吉原に引き渡されることもあった。吉原に送られた私娼たちは、吉原の五町に分配されて、町ごとに入札が行われた。1819年(文政2)の記録によれば、十二人の私娼が送られてきて、最高齢のはまが四両三分、二十歳のみさが四十両三分という入札金だった。平均二十二両ほどで、これら入札金は町ごとに積み立てて、廓内の共同入費に使われた。
『江戸の色町 遊女と吉原の歴史 江戸文化から見た吉原と遊女の生活』安藤優一郎/カンゼン
本エピソードのゲストキャラクター、私娼の清花は、人に雇われるのはまっぴらだとこの競りを拒否し、羅生門河岸の切見世で働き始めるのだ。切見世は、大見世、中見世、小見世というさまざまな遊女屋の中でも最下層の見世。黒板塀の向こうはすぐお歯黒どぶという裏通りに面した場所にあった。
裏通りは幅が一メートルあるかないかの細い路地で、人が二人並んで歩けないほど狭かった。その通りの両側に棟割長屋が並んでいたが、その長屋を間口四尺五寸(約 一・四メートル)、奥行き六尺(約 一・八メートル)に割って部屋をつくった。(略)入り口が開いていれば開店中で、客をとると入り口を閉めた。
切見世の入り口には小さな角行灯が掲げられ、屋号や『火用心』、『千客万来』などの文字が書かれていた。入り口を入ると、三尺(約〇・九メートル)ほどの土間があり、土間をあがると鏡台や化粧台が置いてあって、敷布団が用意されている。ここが客との交渉の場である。当然ながら便所はなく、客は我慢しなければならない。長屋を割って部屋にしているので壁はなく、見世と見世の仕切りは襖一枚だったというから、交渉中の声は隣に筒抜けだった。
『江戸の色町 遊女と吉原の歴史 江戸文化から見た吉原と遊女の生活』安藤優一郎/カンゼン
説十五「羅生門河岸の女」で描かれた切見世は狭くて、汚い。しかも襖が破れ、隣に病死したばかりの遊女の死体が転がっている姿が描かれる(ここで「浄閑寺に投げ込みにいかないと」という内容のセリフも出てくる。浄閑寺は遊女が葬られたことで知られる“投げ込み寺”のひとつである)。説十四「胡蝶舞」で大見世の売れっ子、嬉野花魁を軸に華やかな世界を描き、登場人物のひとりに「年季は10年であける」と無邪気に語らせて、あえて「光の部分」を見せた上での、この切見世の描写は、コントラストが鮮烈で、印象的なエピソードとなっていた。
『百日紅』に見る遊女と浮世絵師の関係
一方、大見世あるいは中見世が登場する作品としては『百日紅』がある。杉浦日向子の同名漫画のアニメ化で、葛飾北斎とその娘、お栄を軸に、江戸の人々の生活を軽妙に描いている。本作に北斎とお栄、そして居候の善次郎が、吉原遊郭に出向く展開がある。
3人は吉原遊郭へ向かう日本堤を歩いており、その左手には大きく吉原遊廓が見えている。3人の歩いたルートは、吉原遊郭に向かう時によく使われたものだ。そして大門をくぐると、女のお栄は入って右側にある「四郎兵衛会所」で通行証をもらっている。吉原は男の出入りは自由だったが、遊女の脱走を警戒して、女性の出入りは厳しく管理されていたのである、この「四郎兵衛会所」の描写は原作にはないが、杉浦の別作品のシーンを参考に描かれている。
ちなみに3人が大見世に向かったのは遊ぶためではない。お栄は、花魁小夜衣の錦絵の下絵を描くため。善次郎と北斎は、夜になると小夜衣の首が伸びる、という噂を確認するためだ。なお当時の人気の花魁は一種のアイドルスターであり、錦絵などのメディアで取り上げられたということはよく知られている。
そして夜半、お栄と北斎は小夜衣の顔から“顔”が抜け出している様を目撃する。怪現象が収まったあと、北斎が小夜衣に「そのまま顔が戻らなかったらどうする」と尋ねると、小夜衣は「その時はその時ざんしょ」と答える。この時カメラは、小夜衣の顔を避け、筋が艶っぽく浮き上がった細い首や薄く笑った唇だけを捉えている。この時の台詞と画面から、この世になど未練はないという小夜衣のニヒリスティックな気分が滲み出していて、それまでの華やかな花魁の世界に、影がすっと入り込んでくるような描写となっている。
3人は明六つになって吉原遊廓を後にする。大門を出て坂道をあがっていくと、見返り柳が立っている。見返り柳は、枯れるたびに新しい柳が植えられ、現在も6代目の柳が台東区千束4丁目の交差点に立っている。
『伏 鉄砲娘の捕物帳』から垣間見える現実
最後に紹介するのは『伏 鉄砲娘の捕物帳』。本作は「伏」と呼ばれる半人半犬の者たちを狩ることになった浜路という猟師の少女の物語。本作で描かれた“江戸”は、リアリズムに則ったものではなく、イマジネーション先行のかなりフィクショナルな空間として描かれている。吉原遊廓も史実よりもさらに巨大で、ひとつの独立した町のようだ。だがそれだけにポイントポイントで、現実を反映した要素が登場すると、ひときわ印象的だ。
男装した浜路は兄・道節に連れられ吉原遊廓に足を踏み入れる。ここで道節は、遣り手婆によって切見世に連れ込まれる。この時支払う料金がちゃんと切見世の相場の100文になっている。さらに道節の前に遣り手婆が遊女となって現れるというオチがつくが、切見世は年齢制限がなかったのだそうだから、あり得ない話でもなさそうだ。
本作のお歯黒どぶは、吉原遊廓の塀の内側を流れる下水のようなものとして描かれている。作中では「足抜けした女郎や引き取り手のない赤ん坊がここに捨てられる」と説明され、表通りのきらびやかさと対照的な場所であることが強調されている。浜路はお歯黒どぶを挟んで、一度会ったことがある青年・信乃と、初めてゆっくり言葉を交わすことになる。だが信乃こそ、浜路の追う「伏」であった。
以上、吉原遊廓を描いた4つのアニメ作品の中で、光と影がどのように扱われたかを見てきた。光の中には「文化」が結晶化して存在するが、一方で影の中には「人間」がいる。巨額のお金が集まることによってしか成立しない「文化」というものが存在するのは間違いない。しかし、その光が強ければ強いほど、「影」もまた色濃くなる。光を見る時には、その色濃い影の中に埋もれた人間をちゃんと見据えるようにしたい。
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