『東京卍リベンジャーズ』稀咲鉄太の巧妙なキャラ設定から、イマドキ漫画の「悪」の描き方を考察(マライ・メントライン)
『東京卍リベンジャーズ』のキャラ設定に唸る
とある事情により、最近『東京卍リベンジャーズ』という人気漫画を最新巻(24巻)まで読破しました。ご存じでしょうか? いわゆる90年代っぽい学園ヤンキー系フォーマットをベースとしている感じですが、主人公がタイムリープして過去状況を改変することにより、愛する人を死の運命からなんとか救い出そうという、なんとゆーか、『君の名は。』の男気満載武闘アクション版みたいな……といってしまうと業界有識者の方々から怒られるかもしれませんが、要はそういう話で大変おもしろいです。
でもってこの作品、個人的にすごく印象に残った点として、主人公が苦心惨憺しながら何度過去改変しても、現在に戻ると手を変え品を変え「悪の最もクソな要素」がしっかり生き残って拡大し、一般社会がさりげなく地獄化しちゃっているという構造性が挙げられます。これはJFK暗殺阻止をテーマにしたスティーヴン・キング御大の『11/22/63』で描かれた「ちょっとやそっとじゃ歴史の文脈を改変できないように宇宙は動く」的な原理の反映として味わうことも可能ですが、私はそれ以上に、作中で常に巧みに「悪」の根幹コンセプトを形成し、その具現化のお膳立てをしつづける稀咲鉄太というダークヒーローのキャラ設定の巧妙さに唸りました。
稀咲鉄太の絶妙なさじ加減
稀咲鉄太は形式上は常にナンバー2かナンバー3待遇幹部だけど、実質的に組織の方向性を形成して仕切ってしまう、ナチス第三帝国でいえば「ユダヤ人絶滅政策を決定し推進した」親衛隊大将ラインハルト・ハイドリヒみたいな存在です。というかハイドリヒっぽいのはそこだけではない。「法的に定義されていない悪は悪ではない!」的な前提に則って心理/組織コントロールの戦略を執着的にあれこれ打ち出しながら「道理」の軌道を歪めてしまう資質とか、むしろそのへんが重要です。とはいえ、同じく高度な道理破壊系の悪といっても、『PSYCHO-PASS サイコパス』(フジテレビ)シーズン1の敵のラスボス、槙島聖護のような快楽充足的な美学主義者とはまた違う、絶妙なさじ加減なわけです。
そもそもハイドリヒは現代史的に重要かつ有名な人物であるわりに、何気に的外れな描写(単に冷酷・残虐・強欲・陰険・無恥を極大化させてひとつの器に押し込んだ、的な)ばかりされてきた人物です。悪はただ悪辣に描けばよいというものではない。たとえば、これまで彼の心理的本質とその複雑なグロテスクさを的確に活写したと思われる作品は、私から見て小説ではフィリップ・K・ディックの『高い城の男』、映画ではケネス・ブラナーがハイドリヒを演じた『謀議』ぐらいですね。なんという少なさ!
『高い城の男』はこの前Amazonプライム・ビデオで映像化されて評判になりましたが、あれも元は1962年の作品の話です。ディックがすごいというより後代のほかの作家たちが不甲斐ないと見るべきか。『謀議』のケネス・ブラナーは、まったく顔が似ていないにもかかわらず「これぞハイドリヒ」感がすごかった。逆にいえば、エース級シェイクスピア俳優の渾身の演技でこそ初めて描ける領域にあるナニカ、なことがよくわかるというか。
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