egg編集長・赤荻瞳 クライアント営業も楽勝に!?ギャルサーで学んだこと

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ジャーナル_egg赤荻瞳

構成=いつか床子 編集=森田真規


2014年に休刊した伝説のギャル雑誌『egg』をウェブで復活させたのは、当時21歳だった赤荻瞳さん。まったくの未経験からウェブ版『egg』の運営を軌道に乗せ、雑誌『egg』もクラウドファンディングで資金を集めて見事に復刊させた。
そんな彼女が今回テーマに選んだのは、日本の学校や社会に蔓延する理不尽なルールです。10代後半のときにギャルサーで得た経験が今に活きていることについてなど、私たちには知る由もない興味深い話が明かされています。

学校にはびこる理不尽なルール

1月8日の朝日新聞朝刊の一面に「理由なきルール 型どおりの授業 学校がつらい」という見出しの記事がありました。2歳から8歳までドイツで暮らしていた男の子が、小学2年生のとき帰国。入学した公立小学校で出会った「納得できないルール」の多さに、学校に行くことがつらくなっていったと言っています。

休み時間には図書室ではなく屋外で遊ばなければならない、筆箱は袋型ではなく箱形でなくてはならない。両親が学校に理由を問い合わせても、「学年の決まり」の一点張り。男の子は最終的に不登校になってしまった、と書かれていました。

ほんと、学校って「なんでこんなルールあるんだろう?」って思うことがいっぱいありますよね。全国の女の子たちからも「校則がキツくてメイクもできない」「どうやってギャルになればいいのかわからない」というメッセージが届いています。『egg』のモデルオーディションをやるときも「(校則があって)髪が染められないんですけど受けてもいいですか?」って。

幼稚園のときの夢は玉の輿かモー娘。

私は小学校のころからギャルをやっていて、卒業式には109系の派手な白いシルクのドレスを着て行ったんです。胸元も背中もガッツリ空いてるやつ。それにファー付きの手袋をして、首にもいろいろ巻いて。髪も派手にしたいから付け毛を買って、当時の安室ちゃんみたいなモヒカンにしたんです。

そしたら「なんて格好しているんだ」とか「あの子なんなんだ」って、先生やまじめな子の親からいろいろ言われたらしくて……。「てか、卒業式なのになんでそんなこと言われなきゃいけないんだよ、ウゼー」って思っていました(笑)。

ギャルをやるために選んだ高校も、いざ猛勉強して入学してみたらイメージと全然違いました。『egg』の「かわいいギャルがいる高校ランキング」で1位になった高校だったのに、髪が明るいと頭髪検査に引っかかって真っ黒に染め直さなくちゃいけなかったり、メイクもナチュラルなものなら許されたんですが、つけまをバチバチにはできなかったり。

もっとみんなギャルやってると思ったのに、校則に縛られてできなかった。「あれ、聞いてた話と違うじゃん!」って。先生にもめちゃくちゃ目を付けられましたね。「このままじゃ普通に終わっちゃう。3年間無駄に過ごせないな」と思って、1年で辞めて渋谷に出てきました。

高校を出て、就職してっていう社会のレールから外れる不安はまったくなかったです。小さいころから一生働きたくないと思っていましたし、幼稚園のときの夢は玉の輿かモーニング娘。になること(笑)。時間に縛られる生活が想像できなかったんです。

渋谷にいるのは「みんな一緒」よりどれだけ自分が目立つか、個性を出せるかという人たちの集まりで、私にはこっちのほうが合っていました。「渋谷めっちゃ自由じゃん」って、解放された気になれましたね。

縛られずに生きたくて高校辞めたんだから、みんなが大学に入る歳までは絶対に誰より遊びまくる!と決めて、渋谷でギャルサーに打ち込みました。