『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』ギギ、ハサウェイ、ケネスの三角関係から恋愛を学ぶ

2021.7.6

カミーユ・ビダン、クェス・パラヤ、ギギ・アンダルシアの共通項

『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』は、『ガンダム』の生みの親である富野由悠季監督が1989年に発表した小説の映像化。6月11日から公開となった本作は、3部作の第1部という位置づけで、公開2週間で興行収入10億円を突破するヒットとなっている。

主人公はハサウェイ・ノアという青年。彼の正体は、反地球連邦政府運動「マフティー」のリーダーだ。ハサウェイは、マフティー・ナビーユ・エリンというマフティーのリーダーとしての名前の下、宇宙に住む人々を支配する地球連邦政府の要人をターゲットに暗殺を行うなどのテロを実行している。
物語はハサウェイが地球行きのシャトルに乗船しているところから始まる。このシャトルが、マフティーを名乗る偽物にハイジャックされる。彼らを制圧する過程でハサウェイは、謎めいた少女ギギ、連邦軍の大佐ケネス・スレッグと知り合う。こうして軍人とテロリストとギギという奇妙な“三角関係”ともいえないような不思議な“三角関係”ができ上がる。

三角関係の要に位置するギギはどのような人物なのか。まず彼女は「正しい直感」の持ち主として描かれている。ある状況や人物を見た瞬間、そのものの本質をパッと把握できる力。ガンダム世界では、こうした能力はニュータイプ(宇宙空間で暮らすことで洞察力と直感力が増した存在)の特徴とされているが、この原稿ではそこについては深くは触れない。そしてその正しい直感というのはどこから導かれているかというと彼女が「鋭敏な感受性」を持っているからである。「感受性」とそれに基づく「直感」。それが彼女の中心にある。

富野監督は、こうした人物を好んで描く傾向にある。描き方は多少突き放してはいるが、「感受性」と「直感」そのものへの信頼は厚い。代表的な存在は『機動戦士Zガンダム』(1985)の主人公カミーユ・ビダン、『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』(1988)のヒロインであるクェス・パラヤだ。『逆襲のシャア』は『閃光のハサウェイ』の10年ほど前の出来事を描いており、クェスは、当時のハサウェイが恋に落ちた相手でもある。
こうした「正しい直感」「鋭敏な感受性」を持っている人間は、そこから生まれた「純粋な視線」を周囲に向けることになる。それは結果、エキセントリックな振る舞いとなり、世間としばしばコンフリクトを起こすことになる。

たとえば裸の王様がいるとしよう。
カミーユもクェスもギギも、裸で得意満面の王様が、さまざまな欺瞞(商業主義と虚栄心)の結節点であることを一発で感じ取るはずだ。おそらくカミーユであれば、裸であるのに喜々としている王様が許せず、殴りかかるだろう。カミーユのセリフを引用するなら「修正してやる」というヤツだ。クェスは、そんな王様を軽蔑し、つばのひとつぐらい吐きかけるか、「あんた、ちょっとセコいよ!」と厳しい言葉を投げかけるかもしれない。富野監督はそういうタイプの人々の純粋さを肯定しつつ、「でもそういう純粋さって、幼さでもあるし、生きづらさでもあるのよ」と言わんばかりに、悲劇へと追い込んでいくのである。

では、ギギは、裸の王様を前にしたとき、どう振る舞うだろうか。作中の描写から想像するに彼女は、カミーユやクェスのように直接的に感情を爆発させることはないだろう。王様を「つまんない人間」と評しながらも愛想笑いぐらいはするかもしれない。でも口を開けばきっと「どうしてわざわざ裸なんです? 誰かにおだてられていません?」と物事の真髄を端的に指摘するのではないだろうか。

三角関係の要に位置するギギ(C)創通・サンライズ
三角関係の要に位置するギギ(C)創通・サンライズ

ハサウェイはギギのどこに惹かれたのか

ギギがカミーユやクェスと異なるのは、その「正しい直感」「鋭敏な感受性」を内側に持ちつつ、一応の「社会性」という鎧を身にまとっている点にある。
ギギは、伯爵と呼ばれる大保険会社の創業者カーディアス・バウンデンウッデンの愛人である。高齢である伯爵に“囲われている”という状況が世間からどういう目で見られているかを、彼女はじゅうぶん承知をしている。カミーユやクェスが世間にだけ向けていた「純粋な視線」を、ギギは自分にも向けているところがあるのだ。そしてその少し冷めた視線が彼女を独特の存在にしている。(なお、自分の社会的立場を冷静に見ていたキャラクターに『機動戦士ガンダム』のララァ・スンががいるが、ララァは逆に社会に対しても諦念かそれに類する視線を持っているように見える)。

ハサウェイはそんなギギのどこに惹かれたのか。それはギギの一番根っこにある「鋭い感受性」の部分だ。ハサウェイはテロリストのリーダーとして、なぜ自分たちの戦いが必要かを「頭」で考えている、ロゴスの人だ。だからこそ全身で感じ反応する感受性を持っているエロスの人、ギギに惹かれてしまう。もちろんそこにかつて恋したクェスの影を感じているのはいうまでもない。

作中で、空襲の中、ハサウェイがショックで泣きじゃくるギギを抱きしめるシーンがある。ギギは目前で巨大ロボットの戦闘を目撃し、その鋭い感受性でそのショックをすべて受け止めているのである。小説ではそこを「赤ん坊のように泣いている」「耐性を持っていない、子供の反応である」と描写している。ギギは、ひどい、こんなの怖いとつぶやく。それに同意するハサウェイ。
しかし、実はその空襲は、マフティーの作戦の一環である。「頭」で考えるなら、ギギの子供っぽいリアクションなど無視すればいい。しかしハサウェイは、ギギの感受性に抗えない。頭では子供っぽいと思いながらも、「ギギが全身で感じている怖さは、それはそれで正しいのだ」とハサウェイは思わざるを得ないのだ。こうして乾いた砂漠に水が染み込むように、ロゴスの隙間にエロスが入り込んでいく。それはハサウェイにとっては、長らく忘れていた感覚に違いない。

ハサウェイのこの感情はすごく劇的に書かれているが、自分と異なる感受性のあり方に強く心惹かれるというのは、けっして珍しいことではない。ずいぶんと若いころ、知り合いを銀閣寺に連れて行ったことがある。そのときまで知らなかったが、その知り合いは苔が好きなんだという。だから、銀閣寺に到着すると庭の苔に「ヤバい!」を連発していた。こちらは「書院造」とかその程度の知識だけだったから、銀閣寺の苔に興奮できるその感覚と、それが「ヤバい!」という言葉にだけしかならない様子に、とても刺激を受けた。このような相手の圧倒的な感性に触れた感覚は、相手への関心につながる。

ギギとハサウェイ(C)創通・サンライズ
ギギを抱きしめるハサウェイ(C)創通・サンライズ

どうしてケネスはギギを幸運の女神として扱うのか

では、ケネスのほうはギギにどのような好意を感じているのか。ケネスは庶民出身でありながら、実力でここまで出世した人間である。つまり実務家のリアリストだ。しかも自信家だから、押しも強い。ケネスは、ギギに自分の勝利の女神になってほしいと思っている。
ケネスは自分の実力に自信があるからこそ、最後に明暗を分けるのが“運”であることを知っている。ならば女神も自分の領域に引き入れることで“運”をも呼び寄せようというわけだ。ではどうしてケネスはギギを幸運の女神として扱うのか。ギギはケネスとシャトルで初めて会ったとき、ケネスがどのような身分の人間かをずばり言い当てている。ギギのこの「正しい直感」が、ケネスの根拠だろう。
「正しい直感」の持ち主は“引き”が強い。ならば自分のもとに運を運んでくれるかもしれない。もちろんこれは科学的な根拠などない。けれど危険な仕事をしている人間が、最後の最後に「験を担ぐ」というのはある意味とても合理的でもある。これはケネスだけでない。ハサウェイも空襲の中を逃げるとき、ギギの“引き”の強さに賭けるシーンがある。

このケネスの気持ちもよくわかる。僕自身は大変“引き”が弱い。考えて迷って選んだほうが「ハズレ」になることが多い(と感じている)。だから“引き”の強い人がいるなら、その人の“運”を少し分けてもらいたいと思う。側にいてくれれば、安心して日々を過ごせるのかもしれない。これはこれでじゅうぶん、人を好きになる理由のひとつであると思う。

ギギと向かい合うケネス(C)創通・サンライズ
ギギと向かい合うケネス(C)創通・サンライズ

ガラスの芯=魂のありよう

このようにギギという人物は「鋭い感受性」「正しい直感」「社会性の鎧(これは自分の美貌を理解しているということも含まれる)」という3つの要素が重なり合ってでき上がっている。「情緒不安定」とも評されるギギだが、それは時に応じて、この3つのレイヤーの中をギギが行ったり来たりするからだ。だが、このような精神構造をしていると思ってみるとけっして「情緒不安定」ではない。
映画ではカットされているが、小説でケネスはギギを「芯がガラスみたいなくせに、上っ面は、えらく若々しい肉体がおおっているという奴だ……」と評し、ハサウェイも同意をする。この「ガラスの芯」こそ「鋭い感受性」と「正しい直感」の部分で、「肉体」が世間から見えている「社会性の鎧」の部分というわけだ。そしてハサウェイとケネスは、その「ガラスの芯=魂のありよう」に惹かれているのだ。

『閃光のハサウェイ』で描かれたギギとハサウェイ、ケネスの関係。それは「人の心のありようというものに惹かれる理由」が相手の魅力と自分の側の理由というふたつの側面から、端的に描かれている。そういう意味では本作もまた間違いなく「恋愛を学ぶこと」ができる作品だ。しかも、観た人が過去の恋情を振り返り、改めて「なぜ好きになったのか」を検証したくなるような、そんな側面も持つ一作であった。

『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』(全国ロードーショー中)(C)創通・サンライズ
『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』(全国ロードショー中)(C)創通・サンライズ

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