「JK」という言葉が悪の権化。女子高生がすべて「偶像としてのJK」ではない(奥森皐月)

2020.10.15

きらめく学生生活は送れない

学生団体の討論会で発表をする奥森皐月

リアリティーショーをきっかけに生まれたカップルに人気が出る現代。仲睦まじげな美男美女の組み合わせを見て、癒されるという感覚があるそうだ。

しかし、これも偶像。現実の高校生が同じような恋愛ができるわけがない。手本とされる恋愛の姿は、限りなく現実に寄せた作り物だ。そのような番組は、「リアリティー」を除いて「ショー」だと捉えながら観るべきだと思う。

進学校に通う高校生なら、勉強に時間を割くため遊ぶ暇がない。親が厳しい家庭の高校生であれば、制限があって自由はない。経済的ゆとりがない家庭なら、羽を伸ばすためのお金がない。当たり前のことだが、それぞれの学生には事情や抱えているものがあって、困っている人もいる。「偶像JK」のようなきらめく学生生活を送れない人がほとんどなのだ。

誰も彼もが典型的なJK像・学生像に収まることなどあり得ない。「みんなちがって、みんないい」とは言い切れないが、十人十色なのは明白だ。だからこそ、学生は「こういうものだ」、学生だから「こうあるべきだ」という理想を押しつけることはしないでいただきたい。

答えのある問いに向き合うだけが「学生」か?

奥森皐月
学業と仕事の合間に、あらゆるお笑いライブに通っている

年長者の意見は基本的に尊重するべきだと思って生活している。だが、以前どうしても納得できない言葉を受けた。

進路指導の授業で、講師の方から「学生と社会人の違いは何か」という質問を投げかけられたときのこと。経済的な面や、働くということを軸に違いを考えていたが、その講師の方が出した答えは異なっていた。

「答えのある問いを解くか、答えのない問いを解くか。が、学生と社会人の違いである」

あのときの私の表情こそが、豆鉄砲を食らった鳩の顔だ。思いもよらぬ答えに驚き、そのあと何度咀嚼しても理解はできなかった。これを聞いて悲しい気持ちになったのは私だけだったのだろうか。

私には探究活動や社会貢献に励む学生の知人が何人もいる。答えのない問いに果敢に立ち向かっている学生なんていくらでもいるのに、とがっかりした。その反面で、学生はしょせんその程度にしか思われていないのだろうという気持ちも湧いた。

受験や成績のために勉強して、答えのある問いにだけ向き合う。同じ方向を向いて席に着き、ただひたすら教師の話を受ける。先に述べた「偶像JK」の姿とはまるで別物だ。しかし、これも学生の姿として捉えられている像である。

何気ないアドバイスの皮を被った暴言で

奥森皐月 お笑い好きが高じて『R-1ぐらんぷり』にもエントリーした
お笑い好きが高じて『R-1ぐらんぷり』にもエントリーした

やりたいことが“一般的な”道から逸れているとき、「もっと学生らしいことをしろ」と言われてきた。

ひとりでいれば、友達を作れ。
本を読んでいれば、運動をしろ。
運動をしていれば、勉強もしろ。
よい成績を取れ、よい大学に行け。

亀の甲より年の功。それはきっと正しい意見なのだろう。ただ、少し長く生きているからといって自分のものさしだけで若者の夢を潰してしまうのは許されないことだと思う。

「その仕事は稼げないだろうから目指すべきでない」
「将来に役立たないことなら意味がない」

何気ないアドバイスの皮を被った暴言で、傷ついている若者がいる。それだけは、あってはならないことだ。あくまでも私の年代のことを例に挙げたが、これは全世代共通ではなかろうか。

自分の価値観を他人に押しつけるべきでない。こんなにも単純なこと、小学生でも理解できる。けれど、平気で押しつけてくる人がいる。そして気づかぬ間に、自分も他人に同じ嫌な思いを与えている可能性もある。

昨今の問題だってこれさえ守れば起こらないはずだ。誹謗中傷もハラスメントも、自分の押しつけから生まれるものだと私は思っている。いち早くこれらが解消してほしい、だからこそ他人を受け入れる大きな度量を備え持つべきだ。

自分の持ち合わせていない価値観も知ることが大切だとすると、私にできることはひとつに定まる。

私自身が「偶像JK」を具現化した存在になってみること。

週末、ライフジャケットを着た少女が「メンタンピン、ドラ・ドラ!」と声高らかに高尾山を登っていたら、それは奥森皐月。

奥森皐月の「クイックジャーナル」は毎月1回の更新予定です。


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