「JK」という言葉が悪の権化。女子高生がすべて「偶像としてのJK」ではない(奥森皐月)
3歳のころから芸能活動を始めた奥森皐月。『おはスタ』(テレビ東京)や『すイエんサー』(Eテレ)などにレギュラー出演し、2019年の『やついフェス』では「公式キャンペーンガールオーディション」でグランプリを獲得した、16歳の女優・タレントだ。
今回は、女子高生だからとすぐに「JK」のイメージを求められる違和感から、世間的な「偶像JK」とはどんなものか、そして大人たちに伝えたいメッセージを綴る。
目次
喜びで深夜に飛び跳ねた『深夜の馬鹿力』
人生初の連載、それも最初の記事は一介のラジオリスナーとして「ラジオと伊集院光愛」を綴った。
これが想定していた枠を大きくはみ出すように反響が大きく、うれしい半分困惑もしている。何よりも衝撃なのは、伊集院さんご本人に届いてしまったことだ。私の人生のバイブルであるラジオ番組『伊集院光 深夜の馬鹿力』(TBSラジオ)の放送内でその記事について話してくださった。
野暮なことが書いてある、とけなされるのを覚悟していたが「褒めてほしいところを褒めてくれている」との評価。喜びで深夜に飛び跳ねたが、翌朝に冷静になったときは何か皮肉のメッセージが隠れていたのではないか?と不安になった。
その感性を与えてくれたのも、やはり伊集院さんなのだろう。ハガキも送っていないのに名前を呼んでいただけたのは本当に光栄なこと。とりあえず、そのパートは録音して保存した。
何かつらいことに直面したら、その音源を聴いて活力にしようと思う。
悪の権化は「JK」という言葉
私は現在、高校に通いながら芸能活動をしている。この生活の中で、最近大きな悩みを抱えるようになった。
仕事現場で現役の高校生だと自己紹介をすると、必ずと言っていいほど今の「JKカルチャー」について尋ねられる。これがとにかく困る。なぜなら相手の期待に添うことが絶対できないからだ。
ラジオとお笑い鑑賞と神社巡りが趣味の私は、かなり浅はかなJK知識しか持ち合わせていない。流行りのTikTokや、K-POPアイドル、イケメン俳優について聞かれたところで、情報のストックが皆無なので何も申し上げることはできないのだ。ライブシーンで注目の若手芸人の紹介ならいくらでもできるのに。
「タピオカの次に流行るスイーツはなんなの?」なんて聞かれた日には頭から煙が出る。それを知っていたら、すでに出店してそのスイーツの先駆者として大儲けをしているだろう。そもそも、これまでの歴史で一時も途切れず新しい人気スイーツが登場してきただろうか。少なくとも、タピオカの前には空白の期間があったと思う。
トレンドについて聞いてくる大人を咎めるつもりは微塵もない。悪の権化は「JK」という言葉自体だ。
「偶像JK」を現実の高校生に重ねないで
女子高生という言葉は、高校生の女性を指し示す。しかし「JK」はどこか流行に敏感で華々しい印象を持っているように感じる。インフルエンサーも、恋愛リアリティーショーに出演しているのも、SNSでバズるのも、女子高生ではなく「JK」だ。
みんなの理想によって生まれた「偶像女子高生」こそが「JK」というもの。流行りのメディアに露出している女子高生や、アニメ、マンガ、ドラマが偶像を作り出した要因だと思う。
私は声を大にして言いたい。「偶像JK」を現実の高校生に重ねて考えないでほしい、と。現代の三次元に「偶像JK」はまず存在しない。仮にいたとしても、それはごくわずか。大多数は「JK」の部類には入れない。
たとえばアニメに登場する「JK」たちは、高校に通いながら釣りや麻雀や登山などをする。女子高生と異色の組み合わせが人気の要因だろう、悠々自適な生活でうらやましい。
ただ、現実の女子高生にそのような余裕はてんでない。勉強・テスト・塾・部活・バイト……と学生が抱えていることは案外多いし、時間が余っていてもYouTubeやSNSを見て過ごすのが実情だ。
アクティブな学生の生活は、ほとんどが二次元の世界に留まっているように感じる。叶うことなら私だって、釣った魚を食べたいし、麻雀も練習してみたいし、山の上からきれいな景色を眺めたい。
もうひとつ物申したいのは、芸能活動をしている「JKキャラ」は完全なるフィクションだということ。実際にその境遇にいる私が言うのだから間違いないはずだ。
一見して華々しい学生生活に見えるであろうが、そうでもない。撮影が終わって帰宅した深夜、翌日提出の課題を必死に解きながら寝落ちする姿なぞ見せられたものではないのだ。討ち死にしたかのような形相で床に倒れている描写は、今のところどの作品でも観たことがない。提出が間に合わない描写はもっと観たことがない。