二重構造を生み出す語りのテクニック
主人公の〈私〉は母校の高校ラグビー部でOBとして練習を手伝いながら公務員試験突破を目指している大学4年生。政治家志望の意識高い系の彼女・麻衣子はいるものの、最近はあまりうまくいっていなくて、そんなとき、友人のお笑いライブを観に行った会場で灯という1年生の女の子と知り合って──。
と紹介すると、大学のキャンパスを舞台にした青春恋愛小説かと思うかもしれませんが、さにあらず。〈私〉のキャラクターが、そんな物語になることを許しはしないのです。将来設計は堅実だし、女性には優しいし、生活態度も良好だし、倫理観も申し分ない。言動の表面だけをなぞっていくとまとも過ぎるくらいまともな〈私〉なのですが、その「まとも」さを支えているのはマナーや常識といった外部から与えられた規範に基づく自分ルールで、思考停止のままそうした自分ルールというレールにただ乗っかって動いている人物だということは、物語のしょっぱなから作者によって示唆されているんです。
高校ラグビー部の練習のあとは監督の佐々木に肉をご馳走になるのがルーティンになっているのですが(そうしたルーティンから逸脱することに慣れない〈私〉は、それゆえに物語後半で肉の供宴が佐々木の都合で中止になると、かなり不穏な内面を明らかにする)、物語冒頭、佐々木の家に向かう車中で飼い主がいないチワワを見かけるエピソードがその一例になっています。信号で止まった車の中にいる〈私〉から目を離さないチワワ。それを気にする〈私〉。しかし、〈そのうちに車が動いたので、チワワはすぐに見えなくなり、私はもうチワワの心配をしなくて済んだ〉。見えないものは存在しないも同然とばかりのこの〈私〉の合理性は、同じパターンでその後も何度か繰り返し読者に提示されます。
朝は早く起き、きちんと朝食をとり、ベッドの上で仰向けになって左手で自慰をし、シャワーを浴び、大学へ向かう。お笑いライブの会場で脚を露出した女性(あとで灯ということがわかる)と隣り合わせになり、わざと自分の脚をぶつけようとするものの〈自分が公務員試験を受けようとしていることを思って〉やめる。女性に親切にするのは小さいころに亡くなったからほとんど思い出がない父親が〈女性には優しくしろと、口癖のように言っていたのだけはよく覚えてい〉て、〈どうして女性に優しくしないといけないのかはわからないが、(中略)ひとつしか覚えていないのだから、せめてそれくらいは守っていたかった〉から。自分に好意を抱いている灯から、公務員試験が終わったお祝いにチョコレートケーキを作ったから家に来てほしいと誘われれば、自分には彼女がいるからそれはできないといったんはきちんと断るものの、ちゃんと言った上でならいいだろうとばかりにキスはして、でも、そのときに抱くのは〈灯の首は、私の前腕ほどの太さしかなかった。もっと筋肉をつけないと、これではあまりにも危ない〉という性欲ともロマンティックとも無縁の感慨。
読み進めれば進めていくほどに、〈私〉の内面の薄っぺらさや思考停止ぶりが明らかになっていくのですが、それは作者によって〈私〉の心の声を教えてもらっている読者にだけわかることで、この物語の登場人物らにとっては、〈私〉はおもしろみには欠けるものの好青年であることに変わりはない。この二重構造を生み出す語りのテクニックを存分に活かしているのも、『破局』の美点のひとつなのです。
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