日本語の中の「ソーシャル・ディスタンシング」――ヒキコモリから憲法改正まで(粉川哲夫)

2020.5.14

日本語という言語にあらかじめ備わっていたソーシャル・ディスタンシング

どうも私のもの言いには、日本の外の文化を「生粋」とし、それを奉(たてまつ)るきらいがあるようだが、そういう奴をイナカモンというのである。しかし、イナカモンも少し年季を積むと、異文化の感動が単にイナカモンの無知と好奇心の産物であって、私を驚かせた外国人は私が思い込んだほどフレンドリーで感情がこもっているわけでもない、ということがわかってくる。

握手にも握り方に違いがあり、痛えなあと叫びたくなるほどギュッと握る握手もあれば、壊れ物に触るかのように握る握手もある。女性の中には、手の甲を出す人もいて、こちらはその指の1、2本だけを軽く握り、膝をついて靴にキスでもしなければいけないのかと錯覚する。女王さま気取りなのである。ハグだって、普通は、がっちりと抱きしめるというよりも、両手で相手の上半身をそっと覆うといった感じだ。キスに至っては、どこにするかで関係度が大きく変わる。なんかの加減で額にキスしてしまったら、相手は自分が子ども扱いされたと憤慨するなんてこともある。

キスやハグがハラスメントだという議論で最近よく話題に挙がる「タッチ魔」ジョー・バイデン次期大統領候補

初対面でもすぐにファーストネームで呼ぶ「親しさ」にもカラクリがある。ごく身近な者からしかファーストネームで呼ばれたことのない習慣のなかで育った者が、アメリカなんぞに行ってそういう経験をすると、えらく感動してしまうものである。しかし、これも、イナカモンの無知の思い込みであって、事実はもっと入り組んでいる。早い話、ファーストネーム主導の世界では、姓を名乗らないですむ。ということは、その人の出自や係累を明かさずに名を名乗れるということであり、あとくされのないソーシャル・ディスタンシングになっているのだ。

ソーシャル・ディスタンシングという点で、日本文化に一日の長があるとすれば、それは、風土とか宗教のためというよりも、日本語という言語の内部の強制力だろう。日本人(日本語文化で育った者)の表情や身振りがスタティックなのも、話し言葉を文字化する上で、英語などよりもはるかに強く規律にはめる力を持っているからだと思う。英語は、文字表現としては同じでも、発音や抑揚で大いに意味が変わる。日本語の会話文は、発音のまま文字に定着しようとする傾向が強い。無表情のまま小声で「フザケンナ」と言っても、相手は真顔になるだろう。これは、英語では無理である。ボソボソ声でしゃべって通じる言語という点では、日本語のほかに何語があるだろうか?

ウイルスのように伝染していった英語の次世代言語とは?

この記事が掲載されているカテゴリ

ツートライブ×アイロンヘッド

ツートライブ×アイロンヘッド「全力でぶつかりたいと思われる先輩に」変わらないファイトスタイルと先輩としての覚悟【よしもと漫才劇場10周年企画】

例えば炎×金魚番長

なにかとオーバーしがちな例えば炎×金魚番長が語る、尊敬とナメてる部分【よしもと漫才劇場10周年企画】

ミキ

ミキが見つけた一生かけて挑める芸「漫才だったら千鳥やかまいたちにも勝てる」【よしもと漫才劇場10周年企画】

よしもと芸人総勢50組が万博記念公園に集結!4時間半の『マンゲキ夏祭り2025』をレポート【よしもと漫才劇場10周年企画】

九条ジョー舞台『SIZUKO!QUEEN OF BOOGIE』稽古場日記

九条ジョー舞台『SIZUKO!QUEEN OF BOOGIE』稽古場日記「猛暑日のウルトラライトダウン」【前編】

九条ジョー舞台『SIZUKO!QUEEN OF BOOGIE』稽古場日記

九条ジョー舞台『SIZUKO! QUEEN OF BOOGIE』稽古場日記「小さい傘の喩えがなくなるまで」【後編】

「“瞳の中のセンター”でありたい」SKE48西井美桜が明かす“私の切り札”【『SKE48の大富豪はおわらない!』特別企画】

「悔しい気持ちはガソリン」「特徴的すぎるからこそ、個性」SKE48熊崎晴香&坂本真凛が語る“私の切り札”【『SKE48の大富豪はおわらない!』特別企画】

「優しい姫」と「童顔だけど中身は大人」のふたり。SKE48野村実代&原 優寧の“私の切り札”【『SKE48の大富豪はおわらない!』特別企画】

話題沸騰のにじさんじ発バーチャル・バンド「2時だとか」表紙解禁!『Quick Japan』60ページ徹底特集

TBSアナウンサー・田村真子の1stフォトエッセイ発売決定!「20代までの私の人生の記録」