誰かの犠牲の上に成り立つ幸福は醜悪
前者については、映画評論家の町山智浩のツイート「ホステスが楽して儲けてるとでも思ってるの? ホステスの服や美容院代は自前だよ。シングルマザーも多いし、コロナで店が開けられなきゃすぐに生活に困る人も多いよ。さんざん遊んでるくせに彼女たちの生活の実態を知ろうとしなかったろ」(4月6日)をはじめ、多くの異論が寄せられました。
後者に関しては、在日外国人の皆さんから「わたしたちは日本で税金を納めています」といった正論や、それを支持する大勢のまともな皆さんからの反論がぶつけられています。
わたしはそのすべてを「なるほど」「そのとおりだ」とうなずきながら読みながらも、心の片隅で「ホステスさんがたとえどんなに楽して贅沢三昧な生活をしていようが、仕事がなくなったら困るんだから助けるべきじゃないの?」「税金を納めていなくたって、今現在日本で生活していて、この新型コロナウイルス禍で困っている外国籍の人がいるなら、全員助けるべきなんじゃないの?」と思っていたんです。
モーパッサンの短篇の登場人物たちだって、そのうちの6人は金持ちなんだから、彼らが他の人の費用も払って、あの村に滞在しつづければいい。「脂肪の塊」に望まぬセックスなど強要せず、あの村で敗戦が引き起こしている事態の収束を待てばいい。修道女ふたりくらい行けなくなったからって、天然痘に苦しむ兵士たちへの看護が滞るわけじゃない。まずは、目の前の困っている人(脂肪の塊)に救いの手を差し伸べるのが、神に仕える人であってほしい。
松本人志と杉田水脈の発言は、モーパッサン作品の中のロワゾーの下品な振る舞いそっくりです。わたしは、「脂肪の塊」に望まぬセックスを強要してまで自分の利益を守ろうとする、思いやりと想像力に欠けた世界はイヤです。誰かの犠牲の上に成り立つ幸福は醜悪です。
で、こんなことを書くと「頭の中がお花畑」と言ってくる輩が出てくるわけですが、お花畑、素敵じゃん。頭の中が地獄の釜と化すより全然いいじゃん! ねー。