「氷柱の声」の弱点を補って余りある「文芸の力」
「氷柱の声」あらすじ
2011年に高校2年生だった伊智花は、東日本大震災に遭遇した。美大への進学を考えていた伊智花だったが、参加したコンクールで被災者としての美談を語ることを暗に強制されたために夢を断念してしまう。10年が経ち、伊智花はミニコミ誌の編集部で働いていた。
杉江 マライさんのイチオシです。私もくどうれいんの大ファンで、著作はほぼ全部持っています。これが初めてまとまったかたちで書いた小説なんじゃないかな。
マライ 芥川賞の「東北・震災テーマ2篇」のもう1篇ですね。東日本大震災と東北が根本テーマです。トラウマを抱えた震災体験者である主人公が、それなりの日常を触媒として自己のアイデンティティや世界との接点を回復してゆく、というと、ありがちで見どころに欠ける話のように見えますが、実は今回、芥川賞・直木賞の全作ひっくるめて個人的にイチオシの作品がこれです。語り手の友人で震災体験者のトーミっていう女の子が出てきます。一種の「突破」キャラですけど、とにかく彼女が素晴らしい。こういう会話があります。
「なんか、かえせ、って、突然思っちゃったんですよ」
「氷柱の声」くどうれいん
「かえせ?」
「うん、かえせ。わたしの十代をかえせ、って、思っちゃった。なんていうか、震災が起きてからずっと、人生がマイボールじゃないかんじっていうか。ずっといい子ぶってたんじゃないかって思っちゃったんです。福島出身で、震災が起きて、人のために働こうと思って医師を目指す女。美しい努力、なんですよね、たしかに。もともとかしこくていい子だからわたしはそういうのできちゃうし、無理もなかったんですけど。でも、これからずっと美しい努力の女として生きていくなんて、もしかしたらいちばん汚い生き方かもしれないって思って、思ったらもう、無理かも! って。だから退学したの」
マライ この箇所読んだとき、私の脳を何かが貫通したんですよ。気づきとか罪悪感とか同情とか共感とか、そういう感じに言語化可能なものじゃなくて。強いて言えば「この人を見よ」って感じでしょうか。
杉江 本作の中核にある、美談で他人の人生を奪う者たちへの抵抗というくだりは、普遍性もあり、かつこの10年の世相に対する批判にもなってましたね。
マライ 「最高の、納得できる痛みがここにある!」という感じです。文芸的に見ると、心理とつながった情景描写が素敵とかいろいろ美点がある一方、人生の落としどころに意外性がないとか、弱点ぽさも散見されますけど、私に限ってはそういうツッコミどころはどうでもよくて、オールオッケーなんです。
杉江 おお、熱い。これ、第160回候補作の北條裕子「美しい顔」批判に対する『群像』編集部の返歌にもなっているんですよね。「美しい顔」は群像文学賞を受賞した北條のデビュー作です。東日本大震災の当事者視点で書かれているんですが、作者は震災を体験しておらず、複数のノンフィクションから描写を借用したことで「芥川賞候補作になってから」大批判を浴びたんですね、「被災者体験の収奪」だと。くどうれいん自身にはまったくその気がないと思いますが、「美しい顔」の失点を『群像』編集部が「氷柱の声」で取り返そうとしたようにも見える。私がこの小説で好きなところは、主人公が絵の内容で評価されず、震災の体験者だという美談の当事者として祭り上げられることに絶望を覚える最初のくだりと、呼応するラストシーンです。ここは表現者にはずきっとくる箇所だと思います。
マライ 固定的・執着的な価値基準に対する抵抗、たとえば「とにかく震災ベースで価値を判断する」者たちへの抵抗感があって、そこがいい感じだなというのがありました。
私は震災当事者じゃないのに、地下鉄でこの作品を読んでて泣いちゃったんですよ。そういう力がある。なんか悔しくて。
杉江 くどうは『わたしを空腹にしないほうがいい』ほかですでにエッセイストとして高く評価されていますが、そういう部分ではなくて自分の内奥にある震災体験と、疎外された青春時代を真っ向から書いてきたところにはとても好感を持ちました。正攻法で行くぞ、って感じですね。
マライ わたしは震災関係について、東北に行ってかなり取材したんです。だから、彼らの「思いとその重量が10分の1も社会に届いていない」感はすごくわかる。この小説は、そのあたりの違和感がなかったのが素晴らしかったんです。
杉江 深読みしちゃうと2011年の「震災ベースで判断される」口惜しさって、2021年の「コロナに負けずにがんばる」ことを求められる不本意な感じと根っこは一緒じゃないかとも思うんです。
マライ そう、絶対同じです。同感です。
杉江 これまで震災を扱った芥川賞候補作をいくつも読んできて、確かに初めて違和感のない自分の声で書かれた作品を読んだという気がします。10年経って初めて。
マライ 私もです。
杉江 そこは大きく評価したいのですが、小説としてはこれ、尻切れトンボ感はないですか? 最初に出てきた怒濤の滝の絵の話を最後に持ってきて、無理やり終わらせてしまったようにも読める気が。
マライ あります。さっき書いた「ありがち感」に含まれるというか。しかしそれを補って余りある「文芸の力」がこの作品に満ちているので、オッケーとしました。減点法で評価されるとヤバイんですよね(笑)。
杉江 「貝に続く場所にて」を評価するのは、この終わらせるための終わらせ方がなかったことなんです。マライさんのおっしゃる、読者の心に訴えるものがあるという加点式の評価ももちろんよくわかります。どちらで評価されるか、ではないでしょうか。
マライ 同感です。もしドイツが舞台でなかったら、私も「貝」推しだったのかもしれない(笑)。
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