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念願のテレビ初出演で、“一発目の劇団ひとり”にボコボコにされる

──2007、8年ごろに「ホワイト赤マン」でメディア露出が多かった印象ですが、当時の思い出をお聞かせください。
秋本 僕ら、実は1年目でテレビに出まして。『新しい波8』(フジテレビ)っていう香取慎吾さんがMCの番組に、スタッフさんが押してくれて出演できたんです。で、そのときに一緒だったのが劇団ひとりさん。「スープレックス」を解散したばっかりの“一発目の劇団ひとり”さん。もうバチバチにやられて。社員さんがいっぱい観にきているなかで、ひとりさんはウケて俺たちはスベって。地獄を見たのを覚えています。
久保田 当時のマネージャーさんが収録終わりに楽屋で、「デビューして数カ月でテレビの収録呼ばれたのは運はすごい持ってますけど、組み合わせが劇団ひとりってことは、最低に運がないですね」って言われて。「あ、こういう世界か……」って。
秋本 天下の香取慎吾さんが目の前にいるし、何話していいかわからないし、1年目はそこでかなりくじけました。
「ホワイト赤マン」で、ついに“後輩から楽屋弁当をもらう日々”からの脱却!……かと思いきや
久保田 「ホワイト赤マン」は、『レッドカーペット』のオーディションでけっこう落ちてたんですよ。闇雲にネタ持っていったらついにハマった!って感じでしたね。
僕その当時、吉村(平成ノブシコブシ吉村崇)とてつみちって芸人の3人で同居してたんです。ふたり共テレビに出ていて、僕だけまったく出ていない。3人で生活していると、ふたりがテレビ収録終わりに後輩連れてくるんです。はんにゃの金田(哲)とか。
で、「久保田さん、よかったらこれ収録で余ったお弁当だから」って言って、みんながその日の収録話で盛り上がってるなか、ひとりでキッチンの隅っこでもらった弁当食ってたのが、超悔しかったですね。だからオーディション通ったときは本当うれしかったです。
秋本 でもそっからまたちょっと苦しくなるんです。「ホワイト赤マン」で通ったから、僕ら的にはこれでいろんなネタがやれるなって思ったんですけど、「ホワイト赤マン」の設定でずっとネタを作ってください、となって。出してもらえることはすごいうれしいけど、この縛りでずっとやらなきゃいけないのかぁって。
ほかにもこういうネタあります!って相談しても、返答はいつも「自分らで飽きちゃう前に、世間の人たちはもっと観たいから、まだやりつづけたほうがいいよ」って。実際、テレビマンの方の言っていることが当たっていたんです。ずっとやりつづけてちょっと覚えてもらえたので。だから当時は、テレビの出方とかを全然わかっていなかった。

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