「佐々木」とは「青春」そのもの
――劇中では、井口さんはパチンコ屋の前でたむろする不良の役を演じられていますね。髪も金髪で、映画の中で特にバイオレンスなシーンでもあるので、驚く人も多いんじゃないかと思います。

井口 俺がやったのって、アクションと言っていいのかな?
内山 いや、アクションとは言わないんじゃない?
井口 じゃあ、揉み合い?(笑)
内山 「揉み合い」はしっくりくるね(笑)。あの場面は、カッコいいアクションとかじゃなくて、もっと泥臭い、どうしようもない画が撮りたかったから。

井口 泥臭さっていうと、細川岳と俺は近いものがあったんじゃないかと思う。リハでの立ち稽古の段階から、(細川は)全力で胸ぐらを掴んできて、もう、痣(あざ)がすごくて。細川岳という存在を通して初心を取り戻したというか、「本気でやるって、こういうことだよな」っていう感じがあった。
本当に、過呼吸になるんじゃないかっていうくらい息上がりながらふたりでやってたから。でも、歳を取ってもこういうことをやっていきたいなって、今回の撮影で強く感じましたね。
――『佐々木、イン、マイマイン』では、やはり脚本も共同で務められた細川岳さん演じる「佐々木」が、強烈な存在感を放っていますよね。佐々木は、人間の内側にある衝動、優しさ、強さ、悲しさ……そうしたさまざまなものを極めて純粋に体現する存在、あるいは現象と言ってもいいのかなと思います。おふたりの人生において、この「佐々木」のような存在として思い当たる人物や事象はありますか?

内山 監督である僕自身としては、やっぱり「佐々木とは細川岳である」としか言いようのない部分もあって。ただ、彼を中心にして巻き起こる渦や、この『佐々木、イン、マイマイン』という作品が広がり、関係していく輪のすべてが「佐々木」のような現象だとも思いますね。発端は細川岳の魂であり、彼の根っこの部分だと思うんですけど、監督としては、もはや作品自体が「佐々木」のような存在なんですよね。
僕も上京して来た身だし、「あいつが自分にとっての佐々木だ」と具体名を出して話せなくもないんですけど、どちらかというと、経験してきた記憶や、僕が今いさせてもらう環境、この取材の現場だって、「佐々木」の渦の中のひとつだっていう認識なんです。もっと言うと、「青春」そのものが「佐々木」とも言えるのかもしれない。
井口 やっぱり、モノを作っていく上で出会う仲間……それは俺にとってはバンドのメンバーだってそうですけど、内山拓也だって、この映画の渦の一端を担う「佐々木」だと思うんですよね。何かムーブメントを起こそうとする人たちが集まったら、一人ひとりが「佐々木」たり得るんじゃないかとは思います。

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