自分の固定観念で彼女が輝いてる瞬間を見逃していた
――『愛情観察』と『愛の輪郭』は、写っている女性と相澤さんの関係性や距離感は違いつつ、どちらも被写体の女性がとても伸び伸びしていますよね。それはまず相澤さんといて、ものすごく安心しているからだろうなと思いました。
相澤 『愛情観察』は僕なんか全然いなくていいと思ったんですよ、写真家として。自撮りのお手伝いに近い。女性がそれぞれ好きにしてくれたらいいっていう。でも今回は女性の姿というよりは、恋人を見つめる自分の目線が強く出てると思います。
僕と彼女の関係性というより、これは僕自身の話になっちゃいますが、若い男に対して勝手だなって思ったことありませんか? 20代のとき、「あんた全然私のこと見てないよね。愛してないよね」って何度も言われて。当時はそれにピンときてなかったけど、やっぱり男として認めてもらえてないなって感覚はずっとあって。
で、女の人たちが感覚として理解してる“愛”ってものがわかれば、その“愛”ってもので女の人たちを包めるんじゃないかなって思ったんですよ。だから20代半ばくらいからは、“愛”ってものがなんなのか知りたくて恋愛してきたんですよね。
今も結局わからないままではあるんだけど、でもやっとこの年齢になって、女性をそのまま見るとか、そういう向き合い方ができるようになったんだと思います。それまでは「女はこうあるべきだ」とかよけいなことを考えて、それを押しつけたりしてたんですよ。
――相澤さんにはふたりお姉さんがいらっしゃると聞いて、もともと女性に対しての偏見が薄いのかなと思っていました。
相澤 もしかしたら薄いほうではあったかもしれないですけど、女家庭で育ったからこそ一周回って「男らしくなきゃいけない」みたいなところもあるんですよ。実は、親父が失踪していて。僕が中2くらいのときに女作って逃げて、借金を母親に背負わせてという、なかなかの男なんですよ。その血が入ってるのがすごく嫌だったし、「俺も甘えたらこうなるんだろうな」みたいな恐怖があって。だから「男らしくなきゃいけない」の前に、「親父のようになっちゃいけない」が常にありました。
いなくなってからはずっと会ってなかったんですけど、僕が35歳くらいのときに連絡が来て、癌だから最後に会いに来てくれと。それで行ったんですけど、親父が死んでいく姿を見ても不思議と悲しくないんですよ。横にいた母親も、やっぱり全然悲しそうな顔してなくて。一度は愛し合った相手に、死ぬ間際こんな顔されるのやだなって思って、それからいろんなことを考えるようになりましたね。
ちょうど同じころ、写真に関しても象徴的なことがあって。自分は商業写真をやってきてたので、写真の技術への自信はそれなりにあったわけですよ。それで35歳くらいのときに付き合ってた彼女をプロっぽく撮影したんだけど、その写真を見た彼女は「ふーん、きれいだね」みたいな薄い反応で。だけど、料理してるところを何気なく撮ったら、「これ、超いいね」ってすごく反応がよくて。それで、自分のプロとしての技術とか自負なんて女性にとってはどうでもいいんだってことにちょっと気がついたんですよね。僕がいいと思う写真なんてただの固定観念で、そんなことに囚われてるうちに彼女が輝いてる瞬間を見逃していたんですよ。
そういうことが立てつづけに起こって、女性に対しても、写真に対しても「こうあるべし」っていう固定観念を疑い始めるようになりました。