ミュージシャンを夢見て福岡から上京&ディスコでダンスユニット結成!30歳で授かり婚、しかし産後の浮気で離婚……そして福島で8年間の除染作業に従事し還暦を迎えた男性の“気づき”とは?【佐伯ポインティのご長寿猥談 #6】

文=佐伯ポインティ イラスト=五月女ケイ子 編集=山本大樹


長い人生を積み重ねてきた人々が語る生涯最高の恋愛や性体験とは、どんなものなのか?

猥談を生業とする佐伯ポインティが、65歳以上の男女に濃〜い猥談を直撃取材! 戦前生まれの高潔なおばあさんからバブルの絶頂を味わったイカれたおじいさんまで、愉快なご長寿たちが登場します。

※本連載は一部に性的に過激な描写が含まれています。苦手な方は閲覧をご遠慮ください
※扱う時代背景を勘案し当時の表現を使用しているため、一部現代では不適切な行為の描写や不適切な表現も出てきます。本連載はそれらの行為を肯定するものではありません

ポインティ、あてもなく北千住の飲み屋をさまよう

著者・ポインティ氏。当初は浅草で取材を目論んだが失敗

北千住に降り立ったポインティと担当編集・山本氏。

北千住にした理由は「次、北千住とかいいんじゃないですか」「いいすね!」という、AIが発達している世界情勢と逆行するかのような、雰囲気による決定です。

北千住には演劇やイベントを観に何度か行ったことがあるのですが、若者がいない飲み屋街があるので、悪くないはずと思いつつ、いつもどおりご長寿の猥談が聞ける保証はなし。でも行くしかない。待っていてもご長寿の猥談が届くことはないのですから……。

北千住を歩いていると、奇妙な張り紙だらけの飲み屋を見つけました。

この取材はこういう違和感から始まるんですよね。

その飲み屋を外から見ていると、おそらくマスターであろう天才指揮者のような風貌の人になぜか急に話しかけられたので「取材をしていて、65歳以上の人の恋とか猥談が聞きたくて……」と言ったら、なぜか焼き鳥屋を案内されました。この時点で猥談が聞けなそうな気はしていたのですが、しかし取っかかりはない……焼き鳥屋に向かうしかない……。

そして焼き鳥を食べながら思いました。

これ、北千住で焼き鳥食べてるだけじゃん…と。

怒涛の“無”の展開により、焦りが生まれ、近くのスナックを検索する担当編集・山本氏。スナックのママに事情を話すと、常連で恋多きおじいさまを呼んでくださることに!

本当に、心から、天才指揮者から焼き鳥屋の流れ、いらんかったな〜〜!と思いつつ、そういう徒労感が顔ににじみ出ていたから、スナックのママがよくしてくれたのかもしれない、とも思います。

明らかに無駄なことをしたときほど、人生に無駄なことはないのだ、というテイでいくしかないのです。

何はともあれ、今回も取材にこぎつけた! 結果オーライ!!

〜ご長寿猥談プロフィール No.6〜
ヤスさん(65歳)
・福岡県出身の65歳
・離婚経験あり(息子2人)
・ディスコ全盛期に「MZA有明(エムザありあけ)」で照明技師&DJ
・震災以降は福島第一原発の除染作業に従事

ナンパにバンド活動に…モテたくて仕方なかった福岡の少年

ポインティ(以下、ポ) ヤスさんの初体験、聞いてもいいですか?

ヤス 中3のころかな。そのとき初めて付き合った彼女とは、お互い清純だったし、もう先っぽしかできなくてね。その子と別れたあと、福岡の天神ってところで友達とナンパして、その中にいたかわいい子とね。その日は4対4でボウリングしたんだけど、何日かあとにふたりで会ってね、そこで俺んちに行こうってなって、初体験だったな。

 初めてなのに、むっちゃ積極的ですね!

ヤス もう学生のころはセックスしたくてしたくて、毎日鼻血ブーブー出しながらウロウロしてたから。

 福岡の土地に血痕がついてたんですね。初体験、どうだったんですか?

ヤス いや、よくわかんなかったな。イッたのかイケなかったのかも覚えてない。たぶんイケなかった。でももうすぐに「次も早くしてえな」って思ってた。

 ちなみにセックス以外で熱中してたものってあります?

ヤス バンドだね! モテたいからっていう理由でギターを始めたんだけど。自分で曲作って、福岡のライブハウスで25歳くらいまでやってたね。

 おお〜! 目論見どおり、モテましたか?

ヤス モテたモテた! でも、そのころは4〜5年付き合ってる彼女がいたからね。ライブとかやっても、いつもついてきてたからそんなに遊んでないわけ。

 じゃあけっこう、音楽一本でやってた感じですか?

ヤス もちろんバイトしながらだけどね。当時はフリーターって言葉はなかったけど、フリーターのはしりだな。運転手やってたんだけど、どうせやるなら大きい車に乗りたいと思って、大型免許取ってスクラップ現場でダンプに乗ってたよ。

 大型免許あると仕事に困らないっていいますもんね。いつから東京に来たんですか?

ヤス 25歳のときにバンドが解散しちゃったんだよ。それでもやっぱり音楽がやりたかったから、もう東京に行くしかないって。遅いデビューだよね。

 ちなみに、バンドではどんな曲を作ってたんですか?

ヤス 俺はとにかく永ちゃん(矢沢永吉)が大好きだったから影響は受けたね。あとは、世代的には吉田拓郎とか、井上陽水とか。

 ギターと男って感じですね〜!

ついに上京! 平成のディスコ全盛期を目の当たりに

 上京してからはどんな活動を……?

ヤス 最初は友達のツテでレコード会社の人紹介してもらったんだけど、もう25歳だったから。「10代だったら付き人やれるけど、その歳だと無理だよ」って言われて、結局その会社の系列の照明の会社で働きながら、デビューを目指すことになった。アーティストのツアーとかに同行してライブの照明をやる仕事ね。

 あ、いきなり照明の仕事がもらえたんですね。

ヤス そう、なるべく音楽に近いところで働きたかったから。当時は80年代後半から90年代の前半で、ちょうどディスコブームが到来してさ。MZA有明(※1)っていうデカいディスコができて、海外のタレントをたくさん呼んで……。

※1 MZA有明(のちにディファ有明に名称変更し、2018年に営業終了)1980年代後半はディスコブーム、さらにバブル真っ只中だった時代で、都心の家賃が高騰したため、湾岸線などに存在した倉庫や工場跡を借り、内部を改装してディスコやライブハウスとしてオープンするというウォーターフロントブームの先駆けとなった。M.C.ハマーをはじめとして多くの外国人タレントがライブを行い、1990年3月には24年ぶりに来日したポール・マッカートニーがMZAで記者会見を行い、さらに異例のライブパフォーマンスを行った。しかし1991年、バブル経済期における投機失敗によりエムザグループが経営不振となり、営業を終了した。(Wikipedia「ディファ有明」より引用)

 おお、バブルの絶頂期っぽいすね!

ヤス そうそう、円高だったからもう有名人も呼び放題なわけよ。シックとか、アトランティック・スターとかを呼んで2週間くらい毎日のようにライブやるわけ。だから照明の仕事も儲かるんだよ。

 ARIAKE〜!って感じですね

ヤス 夢のほうも、あきらめてなかったのよ。日本でHIP-HOPが流行る少し前、「ニュージャックスウィング」っていうブラックミュージックが流行り出してね。日本でいうZOO、今のEXILEのHIROとかもやってたようなやつだよ。

 あ、ロックからそっちに行ったんですね。

ヤス そのときに俺も照明しながらそういう最先端のダンスを見て、踊りたくなってウズウズしてきちゃってさ。​​HIP-HOPのダンスグループを作ったんだよ。それこそEXILEみたいなやつを。まだ当時は誰もやってないんだから。ZOOがデビューしたかしてないかってころだから。HIP-HOPっていったって、日本だといとうせいこうくらいしか知られてなかったんじゃないかな?

 海外のアーティストを現場で見てたから思いついた展開、いいですね〜!

ヤス 音楽雑誌のバンドメンバー募集欄に「ヒップホップのダンサー募集!」って載せたりして、4人組のグループ結成したりしたんだよ。でも、早すぎたんだな。時代が俺についてこなかった。

 そのフレーズ本当に言う人いるんだ。ちなみに上京して照明の会社に入って、友達や彼女はできたんですか?

ヤス 毎日ディスコにいるから友達もできたし、照明だけじゃなくていつの間にか俺もDJやったりしてたから、ディスコの営業が終わったら遊びに来てた女の子と飲みに行ったりしてたね。

 当時のMZA有明っていったら、毎日めっちゃ人が集まる感じだったんですか?

ヤス それはもう、最先端だったからね。テレビの取材もしょっちゅう来てたし。

 ディスコ文化ってしっかりお金と注目が集まってたんですね。

ヤス そう、稼ぎも半端じゃなかった。月給で60万くらい。夜のディスコ営業だけじゃなくて昼はバブリーな会社がパーティーを開いたりしてて、そこの社長がポンと3万くらい小遣いくれたりね。週末なんかはほとんど寝ないで働いてたよ。でも、なんも残らなかった。

 え、そんなに稼いでたのに? 何に使ってたんですか?

ヤス たぶん飲み歩いてたんだろうな。貯金もどんどん増えて「おお、こんなに貯まったか」って思ってたんだけど、あっという間にシューっとなくなった。

 覚えてないんだ、バブルすぎて。

ヤス 俺も調子こいて会社から独立して、フリーの照明技師になったんだよ。だから入ってくる金額もすごかったんだ。でも3年くらいしたらバブルも終わって、パーティーの数も減っていってね。それで、流れに身を任せてたら気づいたら無職になってたよ。

パーティーが終わって─結婚するもセックスレスに……

 ちなみに東京で初めて付き合った女の子って覚えてますか?

ヤス 覚えてるよ。ジュエリーデザインの専門学校の子。まわりのDJのやつらはモデルとかと付き合ってたけど、その子はそんなにバブリーな感じの子じゃなかったな。2〜3年くらい付き合ったんだけど。

 ヤスさん、意外としっかりした期間付き合ってますよね。

ヤス まあ、その間にもちょこちょこ遊んでたんだけどな(笑)。それで結局別れて、次にまた違う子と付き合って。

 おお、次の彼女もMZA有明で出会った子ですか?

ヤス いや、27歳のときに横浜の本牧のディスコに再就職したんだよ。不便なとこなんだけど、たまに外タレも来てて。そこでDJやったり照明やったりしてたんだ。

 なんだかんだで照明の仕事は続いてるんですね。

ヤス まあそれしかできなかったし、誘われるがままにね。そこにたまたま高円寺でバンドやってるっていう女の子たちが遊びに来てて、俺が仲間を集めて合コンを開くことになったの。それで向こうの幹事は地味な子なんだけどかわいくて、これはほかのやつらに渡すのはもったいないなと思って、付き合って結婚しちゃったわけ。

 え、その子と結婚したんだ! どのへんがいいなって思ったんですか?

ヤス もうお人形さんみたいにかわいかったの。ケイコっていうんだけど、歳は俺より5歳くらい下でね。付き合って半年くらいでできちゃった婚、今でいう授かり婚か。俺もそのころには30歳になってたし、なんだかんだ福岡から出てきてずっとひとり暮らしで寂しかったのもあるしね。

 ちなみにケイコさんとのセックスはどんな感じだったんですか?

ヤス もう「どこからでもかかってこい!」っていう感じで、全部を受け入れてくれるような子だったんだよ。でも、子供ができた瞬間に変わっちゃったね。女の人って不思議だよねえ。まったく、何も受け入れてくれなくなっちゃって。

 子供ができる前はいい雰囲気だったんですか?

ヤス もうラブラブだよ。すごく寝つきがよくて、やってる途中にウトウト寝ちゃう子だったんだけど、それでもちょっと触ったりしてるとパッと起きるわけ。で起きたらまたイチャイチャして何回もって感じだったな。

 なんかキャイキャイしてるのが伝わってきますね。それがどうして……?

ヤス まあ、出産で嫁さんが入院したときに、俺は遊びまくってたんだよな。バブルを生きてきて、相手に不自由しない生活を送ってたから、もうわがまま放題だったんだな。それが全部バレちゃった。

 うわあ〜……自業自得じゃないですか……。

産前産後の浮気の恨みは一生モノ

ヤス 女の人のカンってすごいんだよね。携帯のメールとかも全部見られててね。その産前産後の恨みをね、ずっと今も根に持ってるんだよ。

 本当に、よく聞くやつじゃないですか!

ヤス 結局離婚したんだけど、そのときになってようやく気づいたね。子供が生まれてからまったく相手にしてくれなかったのも、俺が一番悪かったっていうのも、今ならわかる。

 それは、どうしてわかるようになったんですか?

ヤス いろんな人の旦那の愚痴とか離婚の体験談を聞くと、全部俺に当てはまるんだもん。浮気だけじゃないよ、対応とかコミュニケーションとか全部だよ。だから、世の中の若い男たちに忠告したいね。産前産後こそしっかりしろよ!と。記事にも書いといて!

 ちゃんとした後悔ですね。書いておきます。ヤスさんはどれくらい結婚してたんですか?

ヤス 息子が10歳で、次男が6歳のときに離婚したから……10年かな。41歳のときだね。

 あ、次男もいらっしゃるんですね。

ヤス 長男が生まれてから全然相手にしてくれなくて、まあそれは俺が悪いんだけど。でも夫婦で話し合って「兄弟はいたほうがいい」って話になったからね。奥さんも渋々って感じで受け入れてくれたけど、もう完全に「長男のために」って感じだね。俺のためじゃなくて、長男のために受け入れるわってなったんだと思う。今ならわかるね。

 それで、離婚の話はスムーズに?

ヤス うん。俺が養育費を払うことになってたから、特に揉めなかった。

 自分が全部悪いってわかってる人ですね……でもふたり分の養育費ってまあまあなお金じゃないですか?

ヤス でもふたり分とはいえ「食費だけでいい」って言ってくれたから、良心的な額だよ。それに俺も結婚して長男が生まれてからはDJも照明の仕事も辞めて、ちゃんとした仕事してたから。

 あ、そうだったんですね。どんなお仕事を?

ヤス 土木関係の会社で現場監督やってたんだよ。トンネル工事とか、国のお仕事を請け負う会社だな。

 おお、ディスコのDJから急に固いお仕事に……!

土木の仕事で被災地の復興へ…8年間の除染作業

 そこから今まで、ずっと土木のお仕事を続けてるんですか?

ヤス そうだね。ただ2011年に東日本大震災が起きて、そこからは8年くらいずっと被災地で復興の仕事をしてたんだよ。土木っていうのはインフラと結びついてるからね。

 そうだったんですね。被災地ではどんなお仕事を……?

ヤス 除染作業だね。放射能に汚染された土を全部取ったりとか、最初の5、6年はそれをやってて。後半の3年は、中間貯蔵施設​​(※2)の仕事だな。

(※2)中間貯蔵施設:中間貯蔵施設は、福島県内の除染に伴い発生した土壌や廃棄物等を最終処分までの間、安全に集中的に貯蔵する施設。(環境省 中間貯蔵施設情報サイトより引用/

 あ! ちょうどこの前、環境省が主催する、福島第一原発と中間貯蔵施設​​のスタディツアーに参加しました! あそこ、本当に広大な土地ですよね。

ヤス そうなんだよ! 除染作業やってて思うのは、本当にね、大変なのは風評被害。もう放射線量を計ったって、めちゃくちゃ低いんだよ。でもいざその土を持っていこうと思っても、いくら放射線量が低いとはいえみんな自分の家の近くに置くとなると嫌ってなるんだよな。

 あ、それも現地で聞きました。中間貯蔵施設の土を計測した放射線量と比べたら、普通に国外に行く飛行機に乗るほうが高いですよね(※3)。

(※3)飛行機と放射線量について:飛行機は高いところを飛ぶため、被ばく線量は地上と比べて高くなります。飛行機が8,000メートルの高度で飛行すれば、1時間当りの被ばく線量は約2~3マイクロシーベルトです。(1マイクロシーベルトは100万分の1シーベルトです。)我が国の海面での宇宙線の線量は1年間で0,26ミリシーベルトですが、高度約1万メートルで飛ぶ国際線では東京からニューヨークまでの飛行で約0,1ミリシーベルトだけ余分に被ばくすると推定されています。国内線の1回の飛行による被ばくは約0.003ミリシーベルトと推定されています。いずれも問題になる量ではありません。(国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 平和情報ネットワークサイトより引用)

ヤス よう知ってんな! でも別に、飛行機に乗るのだって、気になる量じゃないんだよ。それに比べたら、福島の土なんて全然大したことないんだけど。

 やっぱりイメージが大きいですよね。その仕事に携わった8年間っていうのはどういうモチベーションでした?

ヤス もともと仕事が好きだし、大して苦じゃなかったよ。それに俺はボランティアじゃないから、正義のためとかじゃなくて、会社に言われたからやってるだけだし。それで俺が何かの役に立ってるなら万々歳、っていう感じかな。

 でも、ヤスさんみたいな方が大勢いて、除染作業してくださったのは本当にすごいことだと思います。立派な仕事です。

別れた家族と恋人との間で

 離婚してからって、恋愛したりしましたか?

ヤス 50歳過ぎたころに、同い歳の彼女ができてさ。デートっていっても月に1、2回、俺が東北から帰ってきたときに会うくらいの。10年くらい付き合ってたかな。

 10年! 長いですね、その方はどんな人だったんですか?

ヤス 甘え上手な人だったな。俺は大好きだったね。もうお互い50超えてるけど、そんなの関係ないくらいずっとイチャイチャしてたよ。ずっと手をつないでいたいし、くっついていたし。

 その人とは、どんなデートするんですか?

ヤス 国内あちこちに旅行に行ったよ。俺も独り身だったし、ほかに金を使うこともないし。富山の氷見(ひみ)にはよく行ったな。寒ブリとかホタルイカとか、おいしいものを食いに行った。あとは俺がずっと福島とか岩手にいたから、たまに来てくれてね。わんこそばを食べたり、魚を食べに行ったり。

 楽しそうな大人のデートですね。どうして別れちゃったんですか?

ヤス まあ……彼女には、子供がいなかったのね。俺は別れたとはいえ前の奥さんとは連絡取ってたし、ちゃんと養育費も全額払ってたから、息子2人にも会わせてもらえてて。正月は、元奥さんと息子たちと一緒に過ごしたりしてたんだよ。来なよって言ってもらえてさ。

 うわ〜……。じゃあ、離婚してもヤスさんには家族があったわけですね。

ヤス そう。息子2人にとっては俺は父親で、元奥さんは母親だから。元奥さんともちろん恋愛関係はないとしても、家族として元奥さんや子供に会うっていうのが、彼女にとってはちょっと……思うところがあったんだろうな。

 それは、付き合ってるのに、寂しく思うってやつですね……。

ヤス 息子2人も成人しているし、そのうち結婚式に呼ばれたり、孫ができるかもしれないじゃん。元奥さんにも、息子にも、孫にももう会わないっていうのはさあ、やっぱり俺もできないわけよ。だからそのへんの価値観の違いがあってさ。

 難しいですね〜〜「前の家族に会わないで」って言うことが、できないわけですしね。言ったら悪者になっちゃうし。

ヤス そうなんだよ、しかもどういう理由でも、元妻に会うのはいい気はしないよね、向こうからしたら。

 10年一緒にいて、どんな最後でしたか?

ヤス 最後は突然だったよ。「最後は一緒になろうね」っていう話をしたときに、彼女は「あなたとは一緒になれない」って言ってた。「あなたが元奥さんや子供たちに会っている姿を想像すると、私は我慢できない」みたいな。それは前にも言ってたんだけど、俺はそんなことすっかり忘れてて。「だから、あなたとは結婚できない」って。俺はずっと一緒になるつもりだったからそんなこと考えてもみなかった。いきなりフラれちゃったね。今となっては彼女の気持ちもわかるんだけど。

 かけ違っちゃいましたね……。

ヤス 「もっと早く出会ってて、あなたとの子供もできていたら、それほど幸せなことはなかった」って言われてね。

 誰も悪くないからこそ、ifの話をするしかない……切ねえ……。

還暦を迎えて気づいた男女のこと

 ヤスさん、今は恋愛はしてるんですか?

ヤス そりゃあ、してるよ! 最近まで若い彼女もいたんだよ。別れちゃったけど。向こうはさ、子供がひとりいて、30そこそこだったんだよ。あと、これから40年生きていかないといけない。俺はもう20年しか生きられないから、別れることになっちゃったな。

 もう寿命の話してるじゃないですか。

ヤス まあ先のことを考えると難しいことはあるけど、今もがんばって女の子を口説いてるよ。気になる子は3人いる。

 相変わらずっすね〜!? いろんな恋愛を経験して、「こうしたらよかったな」とか「付き合ったらこうするべきだな」とか、今のヤスさんが思ってることはあります?

ヤス やっとね、女の人の気持ちが、ちょっとわかってきたかな。

 時間かかりましたね!?

ヤス 俺はね、男と女って絶対わかり合えないもんだって思ってる。それは今もそう思ってるんだけど、長く生きてるとちょっとだけ「こういうことを考えてるのかな」ってわかるきっかけがつかめたりする。それを大事にしたいね。

 めっちゃいい話ですね。時間かかったけど、諦めてない。

ヤス そう。「俺と一緒だ」なんて思ったら大間違い。違いはあるけど、絶対わからないわけじゃない。若い人たちは、​​俺の失敗から学んでほしいよ!

 素晴らしい結論!

取材を終えて

ミュージシャンを目指して上京してきたヤスさんでしたが、時代の流れもありディスコの仕事から土木関係の現場監督へ……。

まさか、有明のディスコの話と、福島第一原発の話が、同じ人生のエピソードトークに登場するとは!と、人生の数奇さを感じました。

また、さまざまな女性とも付き合ってきたヤスさん。ヤスさんはカップルの考え方の違いについて、「相手を自分と一緒だと思ったら大間違いだ」と豪語したのち、永ちゃんの「アイ・ラヴ・ユー、OK」を歌ってくれました。

何度も間違ったけど、それでも相手を理解しようとすることを諦めなかったヤスさん。他者への理解って、人生の後半で「やっとちょっとわかってきたかも……」ぐらいのものなのかもしれません。

それでは次回のご長寿猥談でお会いしましょう〜!

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佐伯ポインティ

(さえき・ぽいんてぃ)マルチタレント。1993年生まれ、東京都出身。早稲田大学文化構想学部卒業後、株式会社コルクに漫画編集者として入社。2017年に独立し、猥談系Youtuberとして活動をスタート。18年には日本初の完全会員制「猥談バー」をオープンした(現在は閉店)。24年7月からは「佐伯ポインテ..