お笑い芸人として活動しながら、キャバクラで働いていた経験のある、ピン芸人・本日は晴天なり。
キャバクラには数多くの“拗(こじ)らせおじさん”たちが来店するが、その中には群を抜いたクセを持つおじさんが存在するという。そんな“拗らせおじさん”の中から、今回は自分の気持ちに素直になれず、つい相手が嫌がることをしてしまう「スカートめくりおじさん」を紹介する。
“毒舌=かっこいい”は大間違い
世代や性別を問わず、自分の気持ちに素直になれない人間は存在する。それが悪いことだとは思わない。だけど、人に不快感を与える方向でその気持ちが出てしまうのが、“拗らせ50代”だ。
意地悪なことを言って女の子を困らせ、「も~!」と言ってほしい。キャバクラではそのやりとりを延々と繰り返し、楽しそうにしている男性は多い。少なくとも私が店で出会った男性はそういう人が多かった。
私はそういったおじさんのことを「スカートめくりおじさん」と呼んでいた。女子が嫌がることをして喜ぶ。昭和のころから時が止まっているからである。
スカートめくりおじさんは長いこと指名しつづけているキャバ嬢がおり、店に来るたびに私のことも場内指名してくれていた。だけど、指名のキャバ嬢が「昨日、家の前で見知らぬ男がずっとこっちを見てて怖かったんだよね……」と話したら、「お前みたいなババア、誰も襲わないよ」なんて言ってしまう。もちろん指名しているわけだから、そのキャバ嬢のことが嫌いなわけではない。むしろ、頻繁に通っているくらいなので、大好きなはず。それでもそういうことを言ってしまうのだ。
そのとき私は腹が立ってしまい、思わず「最近は“まさか誰もババアのこと襲うやつなんていないだろう”という心理を逆手に取った性犯罪も増えているらしいですよ!」と反論したが、まったくピンときていなかった。こういったおじさんは自分の価値観と合わない新しい情報は自動的に遮断するらしい。
スカートめくりおじさんは、そっけなくて冷たい男がカッコいいと思ってるようで、少し太ればパンパンだのアンパンマンだの、少し痩せたら貧相だのガイコツだのと言う。ほかにも「ネイルしたんだ~♪」と言うと、「何それ、ジャマじゃない?」と返してくるし、「見て! この写真かわいく撮れてるでしょ?」と言うと、「う~ん、実物よりはマシかな」なんて返してくる。褒めたら電流でも流れる体なんだろうか? 単にデリカシーがないだけとしか思えないが。
少しでも「そういうのやめなよ~」などと指摘すると、「昭和の男はこうなんだよ」などと言ってくる。同じように昭和の女性たちも明治の男たちにこんなことを言われていたんだ、と思うとダル過ぎる……。
思春期のうちに気がつくべきこと
たまにマンガの主人公に対して、これは予備軍なんじゃないかと思うことがある。『となりのトトロ』のカンタ、『タッチ』のたっちゃんなど。だけど、彼らのほとんどが小学生から高校生くらいのキャラクターである。
思春期なら恥ずかしさが勝ってしまい、感情がうまくコントロールできず真逆のことを言ってしまう、ということがあるだろう。そのときに「なんであんなこと言っちゃったんだろう……」と反省し、その失敗を経て大人になっていく。たっちゃんだって最終的には「浅倉南を愛しています」と素直に伝えているのだから。
学生の中には、まだその思春期特有の症状が治らず、同じクラスやサークルの女友達に対して、「お前と一緒に寝ても何もしない自信がある」とか「一緒に風呂も入れるわ」などと異性として見てないアピールをしてしまうような「スカートめくりおじさん予備軍」が存在するので、気をつけてほしい。まして50代にもなって、同じことをしているようではもうアウトだ。
だけど悲しいことに、世間にはこういったおじさんが多過ぎて、こういう人の扱いに慣れている人も多い。特に私の母親世代なんかでは「それくらい許してやって」と擁護派も多く、スカートめくりおじさんを受け入れてしまう。だから、指摘した側の器が小さいと思われることもあり、注意もしづらく、改善されることが少ないので、本人に悪いことをしているという意識がまったく芽生えないのだ。
照れ隠しで失言するか黙るかの二択なら、後者を選ぶのが正解ということを忘れないでほしい。
うちの父もこの傾向がある。当時流行っていたダボパン(ダボダボのズボン)を履いた中学生の私に「ニッカポッカかよ〜!」と言ってきたり、髪を切った母に対して「短くなって顔がデカく見えるな〜」とか言ってしまうのだ。父も昭和ど真ん中人間である。
恐ろしいことに、この傾向はかつて、私にもあった。好きな人に好きだと悟られたくなくてイジってしまったり、彼氏に対してうまく褒めることができず、下げるような発言をしてしまったり。だけど、歳を重ねるにつれ、やめなきゃいけないことのひとつだと気づけた。
「ありがとう」と「ごめんなさい」が言えない
スカートめくりおじさんは、主語が「俺」もしくは相手の呼び名が「お前」であることが多い。「俺」で始まる自分語りか、「お前はさ~」とダメ出しをしてくるからだ。本当にめちゃくちゃ多いこのパターン。もはや量産型おじさんといってもいい。
半世紀も生きちゃうと、それだけで自信につながってしまい、大したことない自分の半生を自己啓発本かのように語り出す。「人生とは」「人との付き合い方とは」「仕事との向き合い方とは」とかなんとか。
そのくせ、「ありがとう」と「ごめんなさい」が言えない。「ありがとう」は「おう」だし、「ごめんなさい」は「違うんだよ!」から入り、必死にグダグダと言い訳してくるパターン。足元を見られるとか優位に立たれるとか、このふたつの言葉には特にマイナスなイメージを持っているのか、「ごめんなさい」を負けたときの言葉だと思っている。威厳を保つためと思っているのかもしれないが、完全に逆効果だ。
スカートめくりおじさんは、指名のキャバ嬢が優しく包み込むように「まずごめんなさいって言えないの?」とストレートに促したとき、「そんなこと言えるかよ!」と言い放った。「そんなこと言えるかよ!」と言うほうがキツいはずなのに、それが言えちゃうところが拗らせ50代。
「ごめんなさい」も子供のころに照れくさくて、恥ずかしくて、意地を張ってしまって言えないというならわかる。だが、何度も言うが、相手は50代のおじさんだ。いつから成長が止まってしまうのだろう。
シャツのボタンが取れかけていたとき、指名のキャバ嬢が持っていた裁縫道具で縫ってあげたことがあった。それを見て彼は「へ~! そんなことできるんだ! うまいじゃん!」と言ったのだ。さすがスカートめくりおじさん。ぜんぜん上手に褒めることができないし、お礼も言えない。
このセリフを聞いて褒めてるんだからいいじゃんと思った人は注意が必要だ。まず「そんなことできるんだ」がじんわり失礼だし、「“うまいじゃん”じゃねーよ! “ありがとう”だろ?」と思うのが普通である。
見栄の張り過ぎは要注意
スカートめくりおじさんは、たまに会社の部下を連れてくる。相手が部下だとその扱いはさらにひどくなるようだ。基本的には自分の薄っぺら“俺”トークを繰り広げ、相手を呼ぶときはもちろん「お前」。私の中で、お前と呼んで許されるのは、仲よし男子高校生同士かルフィのみである。
何か物を取ってほしいときは部下に対してお前どころか「おい」と呼び、指先をパッパッと振るか、アゴをクンッと動かす。いったい、どこで習ったんだ。
このおじさんの一番悲しいところは、キャバ嬢に対しても部下に対しても悪意はなく、むしろ好意的であること。心の底から私たちの幸せを祈ってるし、面倒をみたいと思っているし、お金はちゃんと払う献身さがあるところ。
その証拠に「好きなもの頼めよ! いちいち飲んでいいですかとか聞かなくていいから!」などと言うので、キャバ嬢も部下もほぼ飲み放題状態。だが、お礼を言うと「おう!」とノールックで手を挙げる。
「ありがとう」と「ごめんなさい」が言えないおじさんは、見栄を張るタイプなので基本的に気前はいい。世話をしてあげているのに、大したことしてないフリをするのがカッコいいと思っているのだろう。
せこいことをしないからといってこんな態度では好かれるわけがない。キャバクラでケチなのは論外だが、見栄の張り過ぎも要注意だ。結果、私のお店に来ていたスカートめくりおじさんは会社のお金を横領したのがバレて姿を現さなくなった。なんとも悲しき幕引きだった。
素直に褒めることができ、「ありがとう」と「ごめんなさい」が言えるおじさんのほうが好かれるに決まっている。こんな簡単なことができないのだから、“拗らせ50代”は厄介なのだ。