乃木坂46・齋藤飛鳥はどのようなアイドルであったか?|#3 エースとして、そして卒業へ(2021~2023)
国民的アイドルグループの中心人物として、またモデルや俳優として活躍するタレントとして、常に人々を魅了しつづけた齋藤飛鳥。そのキャラクターは掴みどころがなく、場面によってさまざまな顔を見せる。結局のところ、齋藤飛鳥は何がすごかったのか?
波瀾万丈のその歩みから、現代における「乃木坂46」というグループの本質を考える短期連載の#3。今回はエースとしての地位を確立してから卒業に向かうまで、2021年~2023年の齋藤飛鳥を紐解いていく。
#1 乃木坂46齋藤飛鳥は既存のアイドル像からの“逃走=闘争”を図った|アンダーから選抜へ(2011~2016)
#2 “めんどくさい性格”からの成熟と、乃木坂46の大黒柱になるまで|センターからエースへ(2017~2020)
#3 齋藤飛鳥はどのようなアイドルであったか?|#3 エースとして、そして卒業へ(2021~2023)
孤独に人を想い、愛ある言葉で導く
グループ随一の読書家としても知られる齋藤は、今までにおすすめの本を数多く紹介している。齋藤が好む本は、そのどれもが人間の本質に迫る内容だ。好きな作品には、「古典」と呼ばれるものも多い。安部公房、遠藤周作やゴーゴリを挙げていたり、カミュの『ペスト』をおすすめし、「絶望に慣れることは絶望そのものよりもさらに悪いのである」を好きな一節として紹介していた(乃木坂46齋藤飛鳥、“インプット”へのこだわり「周りの意見を受け入れていくことがいかに大切か|BUBKA WEB)。
『アナザースカイ』(日本テレビ)の密着取材では、本を読む理由を、
本当は会話に入りたいけど入れないから手持ち無沙汰になってなんとなく本を開くときもある。相手が私と接することによって“無駄な時間を過ごしたな“って一瞬でも感じちゃったら、それはもう申し訳ないから…。私だったら会話が面白くない人とは一言も話したくないから…
乃木坂46齋藤飛鳥、メンバーの会話に入れなくなった意外な理由|クランクイン!
と語っていた。また、
落ち着くために読むというより、本当に私にとって普通のことというか。ただ知識は本から得たいという思いはあるので、小説でもエッセイでも、何かしら自分の中に取り入れたいとは思っていますね
齋藤飛鳥が語るファッション&ライフ「本を読むのは携帯を見るのと同じ感覚」
とも語っている。この発言からも、読書が習慣づいていることがわかる。
そして、講談社のキャンペーン「World meets KODANSHA」では、人生に影響を受けた一冊として『大江健三郎全小説 3』を挙げ、「他人との接し方。成長とはそれに伴いいくつかのものを喪失すること」「自分の考え方はネガティブでは無いのだと腑に落ちた」と語っていた。また、絓秀実の『群像』での大江健三郎「飼育」の批評に感銘を受けたとも語っており(「World meets KODANSHA」※記事は現在非公開)、原著だけでなくその批評にまで目を向けている。
齋藤にとって幼少期から読書は、現実から逃れることができる場所であり、それと同時に現実を見つめるために必要なモノの見方や受け取り方を学べるインプットの手段だったのだと思う。ただ本の中の物語を楽しむだけでなく、自分の人生と照らし合わせながら、人生のヒントを齋藤は読書を通して見つけようとしている。
そんな齋藤がインタビューやメンバーに話す内容は、読書を通して得た語彙力と物事を見る角度の鋭さによって、恐ろしく的を射ており、後輩たちは口々に「欲しいときに欲しい言葉をくれる」と話す。
最後のヒット祈願である『乃木中』#390〜#391「31stシングル ヒット祈願」では、40人もの後輩メンバー一人ひとりにメッセージを贈った。遠藤さくらに対しては、「あすかの子」とひと言で表現し、「自分は太陽が似合わない、と思うのはいいけれど、晴れにしてきた事実はそろそろ認めてあげて」と自信がなかった自分の姿と重ねながら、優しくアドバイスをしていた。
また、休業期間を挟み復帰していた清宮レイには「3歩進んだら2歩下がってみて、いいと思うよ」とポジティブに振る舞ってしまう性格を心配し、「今まで小股で、とにかく足を動かすことを考えてきたけど、ちょこっと引き返していったん息を吐いて、今度は大きな大きな一歩を踏み込むのもいいと思う」と具体的に助言していた。
このように、最後のメッセージでは、そのメンバーが今ぶつかっている壁との向き合い方や、メンバーに対する批評をしていたと思う。そして、そのアドバイスは齋藤の乃木坂としての経験と読書で得た思慮深さが組み合わさっているからこそ、力強く説得力のあるものだった。
齋藤はよく首を傾げたり、手をあごに当て、常に何かを考えているような仕草の中で言葉を紡ぐ。孤独に人を想い、いつもまわりに気を配り、何か壁にぶつかっていると思えば、ふらっと現れては本人以上にそのメンバーの現状を把握し、愛ある言葉で導いてきた。
齋藤飛鳥から考える“乃木坂らしさ”
乃木坂46の魅力について語る際にファンは“乃木坂らしさ”という単語をよく口にする。では逆に、齋藤飛鳥を通して、この「“乃木坂らしさ”とは何か?」について考えてみたいと思う。これまで齋藤の歩んできた軌跡は、多くが精神的な成長とその変化についてだった。齋藤は、乃木坂46のこととなると、普段と違って饒舌になる。
齋藤は「きっと、1期生が私の扉を開いてくれたからだと思います」と述べ、優しさを与えつづけてくれた乃木坂46のことを振り返っていた。“グループへの愛”について尋ねられた齋藤は、
乃木坂46に対しての愛は、なんでしょうね。家族、友だち、お互いを高め合う仲間。その全部の愛が凝縮されている感じかな。わりと自分が冷めているタイプなので、「愛はなくても生きていける!」って感じだったのですが、私の中で一番大きい存在は乃木坂だと自覚するようになってきていて。
「好き!」は、こっそり一人で噛みしめたい。 齋藤飛鳥が語る、”LOVE”という原動力。
それからは出会ったり別れたりを繰り返していく中で、メンバーやスタッフのみなさん、作品への愛がよりしっかりと芽生えたり認識するようになってきました。
と力強く答えていた。
齋藤は”齋藤飛鳥らしさ”をファンに任せ、“さまざまな齋藤飛鳥像”をすべて引き受け、必殺技やキャラクターに頼らず、流れに身を任せていくなかで、アイドルとしての武器を手に入れてきた。そして、この“齋藤飛鳥らしさ”の生まれ方は、まさに“乃木坂らしさ”が生まれる過程と同じなのだ。秋元康は“乃木坂らしさ”の本質について、アルゼンチンにあるカミニート通りの例を出し、以下のように語る。
港町なんだけど遠くから見ると、淡いピンクやグリーンでものすごくキレイ。ところが近づいて見ると、一戸一戸の家は濃い原色で、しかも半分だけピンクとか半分だけブルーとかなの。どういうことかと言うと、船の塗料が余るとそれを自分の家に塗ってるんだよね。その行き当たりばったりでバラバラな感じが、遠くから見るとすごく美しい色彩になる
『「乃木坂らしさ」に潜む罠~『別冊カドカワ 総力特集 乃木坂46 vol.2』後編~』
齋藤は卒業を発表したブログで、次のように書き記している。
いっぱい装飾したり殻を作って閉じこもったり、そういう事しか思いつかなかったんだー。そこから色んな私を見せていったから、失敗も、色んなパターンで経験しました。最悪な時期も、ちゃんとありました。焦ってもがいていた時間、決して短くはなかったと思います。だけどその過去、経験できて本当によかった。当時はまったくそう思えてなかったけど、あれが無かったらたぶん、私って私じゃないです。
齋藤飛鳥公式ブログ『恥ずかしいという感情がまだ残ってた』
さまざまなパターンを試し、失敗もしてきた、行き当たりばったりでバラバラな道筋が、美しい“齋藤飛鳥”という色彩を生み出したのだ。“乃木坂らしさ”とは、どんなに孤独であっても居場所はあり、人と関わることで自分さえも知らない新しい自分を発見することができる。
“乃木坂らしさ”は失敗や挑戦を許してくれる理想的な共同体が持つ優しさによって生み出されてきたと思う。そして、この優しさこそが“乃木坂らしさ”なのだ。だからこそ、各メンバーの別々の個性が集まったとき、港町を眺めたときに感じるような言葉にすることの難しい統一感が生まれるのだと思う。
卒業シングル『ここにはないもの』
卒業シングル『ここにはないもの』は、そんな乃木坂46の功労者である齋藤に、歌詞とMV、その両方で当て書きがなされている。歌詞には、サヨナラ、しあわせ、カーテン、太陽、青い空、希望(順に「サヨナラの意味」、「しあわせの保護色」、「ぐるぐるカーテン」、「太陽ノック」、「何度目の青空か?」、「君の名は希望」)といった、先に卒業した1期生メンバーがセンタ-を務めた楽曲のタイトルが並んでいる。また、齋藤がセンターを務めた楽曲のタイトルも「裸足で」(「裸足でSummer」)で登場している。
そんな仕掛けがある「ここにはないもの」は、中島みゆき「ファイト!」のように、楽曲冒頭で齋藤が話しかけるように歌うパートが印象に残る。
夜になって 街の喧騒も闇に吸い込まれて
「ここににはないもの」乃木坂46
僕はやっとホッとして 着ていた鎧を脱ぐ
それは大人たちに虚勢を張る姿じゃなくて
思い悩み背中を丸める無防備な自分
この部分は、齋藤が自然と振る舞っているように見えて、常に“本当の自分を隠そうとしている”ことを、“鎧を着ている”と表現している。そして、その鎧を脱ぎ捨てたときには、乃木坂46・齋藤飛鳥ではなく、思い悩みながらもなんとか今を生きてきた人間・齋藤飛鳥がいる。
カーテンを開め太陽とか社会と向き合わなきゃ
「ここににはないもの」乃木坂46
(中略)
誰かを盾にして生きていれば 自分は安全で傷つかないと思ってるけど
この手にズシリと重い 汗や結果を味わうこともないだろう
だから その道が荊だと知りつつも
裸足で歩いて自由を見つけてみたくなった
普通ならばカーテンを“開け”て、人は社会と向き合う。齋藤は乃木坂46に入るまで、また入ってしばらくは、自分が傷つかないように人とあまり関わらず、カーテンを“閉め”ることでなんとか社会と向き合ってきた。しかし、乃木坂46での経験を通して、齋藤はカーテンを“開け”始め、乃木坂46はかけがえのない場所になった。
曲内の“君”を“乃木坂46”に変換して歌詞を読むと、齋藤が歩んできた道のりそのものだと気づく。乃木坂にいる間は、齋藤には居心地がよい“青い空”が広がっているが、それでも自身のさらなる飛躍のために、グループを卒業しなければならない。
次のステップに進むために、齋藤が乃木坂46という靴を脱ぎ、“裸足で歩いて”いくことを祝福し、それを送り出す歌詞となっている。齋藤の未来は今以上に明るく、そして夢に満ちあふれたものとなるだろう、そう信じて秋元康はこの歌詞を書き連ねたはずだ。
MVは齋藤の大黒柱としての振る舞いを現したストーリーとなっていて、サビでは銀座線渋谷駅のホームで圧巻のソロダンスを披露している。衣装と駅の色合いは白で統一され、齋藤特有のしなやかなダンスと駅の鉄骨の構造の曲線美が調和し、ラストシングルにふさわしい出来栄えとなっている。
MVの最後には、卒業発表からの齋藤の振る舞いとリンクするように、後輩たちが自分なしでもやっていけることを確認し、置き手紙と共に颯爽と立ち去っている。齋藤にとって「ここにはないもの」とは、加入したときのような、不確定要素が多く不明瞭で、予測できないからこそ可能性に開かれた、今よりもずっと大きな夢とか未来のことだ。
アイドルからの逃走と闘争
まとめに入ろう。齋藤はファンの偶像としてかわいいを演じるステレオタイプなアイドル像からまず逃走した。本来の性格とステレオタイプなアイドル像との相性の悪さに絶望し、摩擦を恐れずめんどくさい性格の自分を表に出していくことを選んだ。そして、ほかのメンバーと自分のグループ内での立ち位置を客観的に眺め、手応えを感じた毒舌キャラで闘争することを自ら選んだ。
嫌味なく毒舌キャラを演じるためには、有吉弘行やマツコ・デラックスなどを見ればわかるとおり、ワードセンスとバランス感覚が必要だ。齋藤は読書や俯瞰して物事を見る癖のおかげでワードセンスは磨かれていた。また、思春期から大人たちと共に仕事をしていたことで、場の雰囲気を読むバランス感覚も身についていた。そして、なによりも齋藤のファンが、この初期の“あしゅりん”とは異なり、言いたいことを遠慮せず言い放つ齋藤に魅了された。その結果、齋藤はアンダーから選抜常連へと坂を駆け上がったのだった。
そうして次世代エースとの呼び声が高まると、齋藤の“暗さ”や“人見知り”がフォーカスされるようになり、ドキュメンタリーでは「キラキラなアイドルのトップを走っている乃木坂46の次世代エースが!」といった触れ込みで、その素性が消費されていった。結局アイドルはラベリングやそのキャッチーさから逃れることは難しい。それでも、そんな状況の中で、壁に寄りかかりあまり人と話さないという齋藤飛鳥像をも更新してみせた。
それは、乃木坂46を引っ張る存在に自分がなるためには、苦手であった人と関わることを、「人見知りは個性だ」と言い訳することなく克服する必要があると感じていたからだろう。乃木坂46を居心地のいい場所と思えたのは、年上のお姉さんメンバーたちが、積極的にはコミュニケーションを取らない自分を認めた上で、必要な時にはしっかりと優しく接してくれていたからだと気づいた。そして次は自分が後輩を導く番だと、覚悟を決めエースを引き受けたのだった。
そうやって、意識的に「明るい、おせっかいな齋藤飛鳥」を作り上げていった。以前の人付き合いが決してうまくはない“齋藤飛鳥像”があったからこそ、驚かれつつも、そのねじれによってさらにミステリアスさは増し、ファンにも好意的に受け止められた。たくさんの人に見られ矢面に立つ職業である“芸能人”がどれだけ記号によって得をし、そしてまたその記号に縛られてきたのだろう。アイドル活動をしながら人として成熟するのは難しいといわれるなか、齋藤飛鳥はすべてを見せ切った上で底を暴かれない胆力、頑固さと不敵さを持ちつづけ、人間としての深みを増しつづけた。
そして、これは齋藤の力だけではなく、乃木坂46という個性が尊重される場で10年というスパンの歳月をかけたからこそ為せる業だと私は思う。
齋藤は、今でもアイドルとしての意識、番組収録での貪欲さ、センターに対する意欲について、弱気な発言をする。これは自分を見つめ、自身に足りないものを自覚しているからであり、その上でなんとか期待に応えようとする。その積み重ねの中で齋藤は力をつけていき、グループになくてはならない存在となった。
そして、最後に齋藤は世代交代がうまくいくように、映画『映像研には手を出すな!』でで共演した山下美月や梅澤美波に次の乃木坂46の大黒柱となるように促し、4期生でセンターを任された遠藤さくらの保護者として振舞うことで、“乃木坂らしさ”の根幹であるつらいときに寄り添ってくれる圧倒的に優しい存在という生き様を見せ、先頭に立って逃走することなく闘争することを常に選択した。
また、齋藤は常にアイドルに、そして芸能界に対して批評的なまなざしを向けていた。当事者が自分を取り巻く状況に対して、批評的な視線を持つというのは難易度が高い。そして、批評精神を持つプレイヤーこそがトッププレイヤーとして、またゲームチェンジャーとしてその概念自体を拡張していく。齋藤は一から十まで期待に応え闘い抜くアイドルとは違っていたし、素をさらけ出すといっても親しみやすさを売りにするわけでもなかった。
齋藤は、複雑さを保ったまま、時には自信のなさを正直に打ち明け、ほかのメンバーに対する劣等感を隠すこともしなかった。人というのは本来曖昧で、多くの側面を持っている。そして、その一貫性のなさや複雑さこそがその人にしかない魅力のはずだ。齋藤は、表に出す部分だけが「わたし」のすべてではないと、本心を垣間見せることでわからせようとしていた。
アイドルも普通の人間で、そこにこそ“アイドル齋藤飛鳥”としての魅力があることを、トップアイドル乃木坂46の目まぐるしい暴風雨のような活動の中で提示してみせていたのだ。
齋藤が逃走するとき、人は齋藤の本心に目を凝らすが捉え切れない。齋藤が闘争するとき、人は齋藤の背中の大きさに驚く。齋藤が持つ魅力の核の部分とは、闘うときと逃げるときを予測することはできないが、“齋藤飛鳥”であるとその選択に納得できる、“逃走=闘争するアイドル”としての底の知れなさだと私は思う。
「ゆとり」と「Z世代」の接続と、明るい未来へのヒント
最後に無謀にも大きな話をしようと思う。それは、齋藤飛鳥を生み出し、快進撃をつづけた2010年代の乃木坂46の歩みとは日本社会にとってなんだったのだろうか?という問いだ。
乃木坂46の10年間は3部作だった。
生駒里奈が奮闘し乃木坂46とは何か?を定義づけた黎明期、白石麻衣・西野七瀬のWエースが乃木坂46を日本一のアイドルにまで引き上げた発展期、そして、エースの座を引き受けた齋藤が乃木坂46を引っ張り、2〜4期生がそれに応えて“乃木坂らしさ”を継承することで乃木坂46の強さを見せつけた成熟期。
そして、このどの時期にも1期生がいた。1期生は全員「ゆとり世代」だ。その名前の由来にもなっているゆとり教育とは、
1.豊かな人間性や社会性、国際社会に生きる日本人としての自覚の育成
文部科学省「新しい学習指導要領の主なポイント(平成14年度から実施)」
2.多くの知識を教え込む教育を転換し、子どもたちが自ら学び自ら考える力の育成
3.ゆとりのある教育を展開し、基礎・基本の確実な定着と個性を生かす教育の充実
4.各学校が創意工夫を生かした特色ある教育、特色ある学校づくり
を目的としていた。
しかし、学力低下や競争心の低下など、デメリットが取り沙汰され、失敗したと一般的にはみなされている。しかし、この1~4を見るとまさに、自ら考え行動し、個性を活かし、特色ある集団を作る“らしさ”を生み出すことを目的とした教育方針であったことがわかる。
乃木坂46では、競争心のなさがうまく働き個性が育まれ、協調性は損なわれなかったために、「“乃木坂らしさ”こそが魅力だ!」といわれるトップアイドルグループになった。乃木坂46とはゆとり世代のポジティブな特徴が詰まったグループだと思う。それは、日本の教育制度では果たせなかったものだ。
僕は同世代として齋藤飛鳥の持つ“ゆとり”のある振る舞いに魅了されていたのだろう。ゆとり世代にだってポジティブな面はあるんだぞ!と思うことができた。
2022年には5期生が加入し、2023年に1期生は誰もいなくなり、乃木坂46は第4章として新たなフェーズに突入する。5期生の印象について聞かれた齋藤は「別人類という感じがする」とし、2〜4期にあった“乃木坂らしさ”とは違った雰囲気で「もちろんいい意味ですけど完全に新しい風」と新入社員を迎える上司のように、後輩たちのことを表現していた。
5期生は「Z世代」だ。今、乃木坂46で行われようとしている世代交代とは「ゆとり世代」と「Z世代」との接続である。そして、その接続には、人々が世代に関係なく価値観や生き方を尊重し合える、明るい未来へのヒントが隠されていると信じている。
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