ネット上での顔出しがタブー視されていたころから
「だっせえ曲!そんな曲じゃこの先誰からも評価されずに死んでくだろうねwww」
の子は活動を始めて間もないころ、匿名掲示板に自作MVのURLを自ら書き込み、このような批判を食らっていた。彼はその言葉をそのまま歌詞にし、「うるせぇよそんなん!」「くそったれ!」などと言葉を加えた自作MVをアップロードして反撃した。
神聖かまってちゃんはニコ生などで匿名のコメントと向き合ってきた。「クソ曲」「才能枯れた」「ブサイク」「下手くそ」など、繊細なアーティストだと一発で心が折れそうなコメントが右から左へと流れる。の子は場が凍りつくような言葉もあえて拾い、ネット上の“本音”に立ち向かった。
ツイキャス(TwitCasting)、SHOWROOM、インスタグラムでのライブなど配信文化が一般的になる以前から、神聖かまってちゃんは配信を宣伝及びコミュニケーションツールとして活用してきた。当時はStickam、PeerCastといった世間にはまったく知られていない配信媒体で活動を行い、の子がノートパソコンを片手に都内の路上で叫ぶように歌って警察に連行されたり、ライブハウスだけではなくさまざまな場所で衝撃的な“ライブ”を行い、概念を打ち破ってきた。
これはインターネット上での顔出しがタブー視されていたころの話だ。その後YouTuberなどの出現で当たり前になっているが、当時は姿形をさらけ出すことに誰もが怯えていたように思う。人一倍メンタルが弱いはずのの子の行為は、とても勇気が必要なことだっただろう。
コメントに時に怒り、時に助けられる。それは日常のコミュニケーションでは愛想笑いや遠慮、社交辞令などでごまかされて簡単には得られないものだ。“本音”だからこそ生まれる感情の振れ幅に、の子はそのころから気づいていたのかも知れない。
だが、それをの子は破壊した。かつてのロックスターがライブ中にギターを叩きつけたように、の子は配信中のノートパソコンを床に叩きつけて破壊したのだ。
「遠くにいる君」にめがけて
2009年が暮れるころに小さなライブハウスで、ニコ生配信中のノートパソコンの画面をスクリーンに投影したライブを行った。それは世界でも類を見ない、初の試みだった。ライブ最後の『ロックンロールは鳴り止まないっ』で、の子はノートパソコンを床に叩きつけた。
ログイン画面の“ロックしています”が、違う意味に見える。ずっとの子が使っていたパソコンが、彼のスピリットを悟っているかのようだった。
破壊に理屈はないだろう。今の時代のロックスターはギターではなく、パソコンを壊す。2010年代の新しい幕開けを感じ、歴史的瞬間だと思った。
『ロックンロールは鳴り止まないっ』で歌われる<遠くにいる君めがけて吐き出すんだ 遠くで近くで すぐ傍で 叫んでやる>の「遠くにいる君」とは、パソコンの向こう側にいる人たちを指しているような印象を受ける。ライブハウスに配信を持ち込むと、わずか数百人の会場も数千人のキャパシティになり得る。あらゆる理由で外に出られない人たちも参加させるのは、の子がかつてひきこもりだったころの自分を忘れないでいる証拠だろう。