佐久間宣行は紛れもなく深夜の“兄貴”である!
アラフォー深夜リスナーの事情が少々複雑なのは、さきほど挙げた“卒業”するタイミングを逸したことが大きい。もう少し年齢が上だと、ビートたけしやとんねるずが深夜ラジオを去ったタイミングでひとつの区切りができた。しかし、アラフォー世代が開始当初から聴いてきた伊集院光、爆笑問題、ナインティナイン(岡村隆史)の番組は幸運にも現在までつづいている。
同時にこの期間で「深夜ラジオ=若者向け」という図式も形骸化。深夜ラジオから“卒業”する理由がなくなり、喜び勇んで5年、10年と“留年”するリスナーが続出したのである。リスナーが卒業せずに深夜帯に踏みとどまり、反対にパーソナリティや番組枠だけが変化していくという逆転現象が起きたのはアラフォー世代からである。
留年を繰り返すことで、かつては数年で失っていた深夜ラジオの“兄貴”という存在を、この世代は20年以上も持ちつづけることができた。次々と新しい“兄貴”に出会うことができた。深夜ラジオを知らない人にとって「真夜中に“留年”したオジサンリスナーがオジサンパーソナリティを兄貴扱いする」のはとても不気味に映るかもしれないが、ずっと充実したラジオライフを送り、年上のパーソナリティから刺激を受けつづけてきたのは紛れもない事実である。
しかし、そんな時間もいつかは終わる。長寿番組が常につづいていることであまり意識しないできたが、いつの間にか新たに始まる深夜ラジオのパーソナリティは同世代が中心になり、今や年下ばかりになった。年上の新しいパーソナリティが誕生する機会がめっきり減ってしまったのだ。長寿番組を聴きつづけていると、自分の思い出ともリンクして、パーソナリティとの距離は縮まり、生活の一部になっていくが、新しい出会いは不安定な分、特に刺激的だ。もう新番組で“兄貴”と会うことはないのではないか。そんな喪失感を覚えたときに始まったのが『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』だった。
佐久間宣行は学生時代からのラジオ好きで、「オールナイトニッポンに携わりたい」という思いから、そもそも就職活動でもニッポン放送が第一志望だった男(3次面接で脱落)。それゆえに、深夜ラジオのパーソナリティになった喜びが番組全体からあふれていた。タイトルコールで喜び、リスナーからメールで突っ込まれても喜び、番組中に機材トラブルが起きても喜ぶ。毎週語られるテレビ業界の裏側やさまざまなエンターテインメントの魅力は刺激的だが、何よりリスナーの心に刺さったのは、そんな「楽しそうにラジオと向き合う姿」。そこから「仕事もプライベートも目一杯楽しむ」という姿勢が大切なのだと改めて確認することができた。
パーソナリティもリスナーもオジサンだったが、紛れもなく佐久間宣行は深夜の“兄貴”だった。そんな気持ちは中年リスナーだけでなく、今の学生リスナーも同じかもしれない。
もちろん同じ時間帯を担当するCreepy Nutsや霜降り明星といった20代のパーソナリティからも刺激は受ける。ただ、年上のパーソナリティから感じるそれとは絶対的に違うのだ。どちらがいいか、という話ではない。あまりにも年上から刺激を受けるという形に慣れ親しみすぎたのだ。
もうすぐ春の改編期がやってくる。『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』が継続するのか終了するのか。どちらになるのかは知る由もないが、自分でも驚くほど「もうこの番組を最後に新しい“兄貴”と出会うことはないだろうな」という喪失感はある。「“留年”生活が終わり、ラジオとの向き合い方が変わってしまうのではないか」という予感すらある。
オールナイトニッポンがつづく、別の時間帯で番組を持つ、ラジオから離れてテレビのプロデューサーに専念する……。さまざまな可能性が考えられるが、もう少しだけでもいいから、“最後の兄貴”との関係を保ち続けたい。傍から見れば滑稽に映るかもしれないが、それがいち中年リスナーの密かな願いだ。