フォロワー数とか、いいね数とかどうでもよくなる
このマンガには、さまざまな天才が登場します。圧倒的にデザインがうまくて業界からも会社からも評価されるスタークリエーターもいれば、才能があまりにトガりすぎて精神的にちょっと危ういタイプの天才も出てきます。一方で主人公の光一は、天才になりたい、何者かになりたい、でも完全な凡人……というキャラクターです。
マンガにはよくありますよね。圧倒的な天才のキャラ。そういうキャラを見ると、天才になれない凡人たちは、どうにもこうにも退屈な存在に感じてしまいます。
人は、天才に憧れ、天才を崇め、嫉妬し、天才の作る伝説に目を奪われます。なので、一見、このマンガも天才の破天荒な成功とそれを支える凡人の話かと思いきや、まったくそうではありません。
もちろん天才はひとりでは生きられないので、凡人の支えが必要です。この作品内でも、天才にとってのバディ的な凡人キャラはよく出てくるのですが、「天才を支えるのは凡人が必要だよね、だから凡人も価値がある!」という感じでもないんです。
主人公の成長譚といいますか、「凡人もひたむきにがんばることで評価も上がるし、価値がある人物になるよね」といった価値観は根底にあります。天才にはなれなかったけど、凡人でも価値がある。それは作品を読んでいると感じられ、とても気持ちいいです。でも、それよりも注目したい点があります。
それは、天才も凡人も、出てくる人物たち全員が、「自分の仕事をしている」ことです。誰かに流されるでもなく、自らの意志と向き合い、葛藤し、自分の持ち場で自分の仕事をしている。とにかくほぼ全員が、いろんな状況で、それぞれの信条のもと、絶対に「自分の仕事をする」んです。ほぼ全キャラクターが、自分のため、誰かのために知恵を絞り、クリエイティブをひねり出して、ときには人に頭を下げて、社内政治を使いこなして……。あらゆる方向で自分の仕事をしようとします。
『左ききのエレン』では、常に中心となるキャラクターが違います。脇役だと思ったら、急にとても大きな存在感を出したり、意外な一面を見せたり。全員が自分の持ち場で、全力で仕事をしている。仕事って、楽しいことや達成感もあれば、つらいこと、悔しいこともありますが、そのことがリアルにあらゆる角度から描かれていて、こう、なんというか「仕事っていいなあ」という気持ちにさせてもらえます。 そんな気持ちになると、フォロワー数とか、いいね数とかどうでもよくなるんですよね。「天才になりたい」「何者かになりたい」、そんな気持ちを持つ余裕があったら仕事しろ、そんな気持ちにさせられる作品です。